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第四部 31-4 (終)
二人は目立つ。香月の品位を備えた華やかさと、蜂谷の雄々しくも優雅な容姿は、いつの時代にも、得難 い美しさに彩られている。葵は父親似の類い稀な美貌にそこはかとなく匂い立つ程度だが、省吾は血筋による麗しさが完璧に形作られていた。
雰囲気は全く異なる二人だが、どちらも人の目を奪わずにはおかない卓越した美に溢れている。そういった二人がそこにいるというのに、姿が見えていないかのように、誰も視線を向けようとはしない。成長と共に注目され続けて来た省吾には、人目を気にせず自由に振る舞えるのは、新鮮な喜びだった。
誠司達仲間といても、省吾の自由は守られていた。彼らが作る壁の中でという限定されたものでも、人との交わりに興味のなかった省吾には、それで十分だった。葵を知り、省吾は自由でいることの違いに気付き、葵がしているように自らの意志で自らを解き放ったのだ。それは省吾を僅かばかり少年に戻すことにもなった。
「食欲だけで、俺を誘った?」
省吾はクスッと、メイを思わせるような子供っぽさで笑った。
「マキノの店の二階、覚えてない?」
「はあぁ?」
葵も周りを気にせず、声を高くして、弾むように答えている。
「マキノの店ったら、絶品クリームシチューだろうがっ」
「葵、おまえ……可愛くないな」
省吾は憎々しさ一杯に、思ったことを素直に言ったが、葵を調子付かせるだけだった。それならと、葵の肩に掛けていた手をすっと後ろに引いて、団子型に束ねてある髪を、根元からぐいっと下に引っ張った。
「なっ!ふざけんなっ!」
解 けなかったが、少し乱れた様子が省吾の目には色っぽく映る。葵にはわからないことだ。省吾は子供じみた仕返しに気分がいい。葵はいじけた顔をしていたが、それでも省吾の隣を離れず、その歩調に合わせてゆったりと歩いてくれていた。
裏と呼ばれる街に行くと思うと、出会ったあの日が自然と省吾の脳裏に浮かんで来る。駅のホームで声を掛けた時、葵は胡散臭げに省吾を眺め、警戒心を剥き出しにしていた。今も最低だの信用ならないだのと言われるが、殆どは省吾をからかう為に言っている。というより、単に正直な思いを口にしているだけかもしれない。
「話はマキノの店で?」
省吾は人の視線が及ばない隙間を歩きながら、諦め口調で問い掛けていた。少しばかり他人行儀になったのが、葵にも気付けたようだ。葵の返事はどこか楽しげで、それでいて気遣うような響きを含んでいた。
「ふふん、糞したあとみてぇなアレがある、ふざけた公園でもいいぜ」
「本気か?」
炎天下の公園は願い下げだ。そう思って言った省吾に、葵がにやついた。
「あんた、本気かって、さっきも言ったよな?」
その時の省吾の頭の中を思ったのだろう。くっと短く笑ってから続けた。
「さかってるくせに、ホント、ヤワな野郎だぜ」
そこで省吾にちらりと流し目をする。省吾がその目に気付くと、葵は少しだけ口調を硬くして話を繋げた。
「あんなに好かれてんのに、あんたが委員長を目の敵にするってのは、自分と真逆で悔しいってことだろ?委員長はあれで結構、男だからな。ちょっとずれてて、箱入り息子って感じだけどさ。だけど、あんたと委員長、どっちが好みかなんてヤボを言おうってんじゃねぇぞ。俺からしたら、妹扱いされて育った委員長に負けねぇくらい、あんたもお嬢さん育ちだろってことなんだよ」
「それって……」
省吾は自分らしさを意識し、物柔らかな口調で問い返していた。
「……葵流 の褒め言葉?」
葵はニヤリとしただけで答えなかった。改札に着いたのを理由に、うまくごまかされたようだ。続きがないままに、葵に促され、出会ったあの日のように二人して列車に乗った。
車内では狭い空間に出来た隙間を保つ為に、体を寄せ合い、静かにしていた。葵は〝クソ暑い〟と小さく呟き、ぶすっとしていたが、省吾は葵の体温に慰められていた。
この町の中心の駅に着くと、人の流れに見付けた隙間に沿って列車を降りた。裏と呼ばれる街へと続く通路に向かうが、学園前とは人の多さも桁違いで、視線が及ばない隙間を歩くにも、二人同時となると外れることがある。えっと振り向く人もいたが、彼らにしても、すぐに気のせいと、向き直っていた。
大した人数ではなかったが、省吾は人が振り向くたびに苛立っていた。葵との時間を覗き見されたようで、気分が悪くなる。葵の肩を抱く腕も、身勝手な思いに張り詰める。その微妙な感情の迸りを、葵に質 された。
「なんだよ?」
「なにって……」
どう答えようか、省吾は一瞬悩んだが、悩む間もなく、答えは既に口に出されていた。
「……おまえは俺のものだと思ってね」
さらりと返した言葉に、葵が顔を顰めた。〝俺のもの〟が気に入らないようだ。〝愛している〟以外は、どういった言葉も役立たずということなのだろう。葵の語気を強めた言い返しに、省吾は悟った。
「くせぇんだよっ」
「そう?だけど、否定しないんだ」
「ク……ソがっ」
葵の悔しさが心地いい。本音では喜んでいるのかもしれない。省吾はつい笑ってしまったが、まさかその隙を狙われ、わき腹にパンチを見舞われるとは思わなかった。
「なに?なんの真似?」
「あんた、わき腹だけは弱かったと思ってさ」
ゲームセンターでのことを言っているようだが、あの時は葵のパンチをよけている。葵に怪我をさせたくないと、身を引いたからだが、今回は気の緩みを突かれてしまった。
「おまえ、本当に可愛くないぞ」
「ったりめぇだろ、そんなもん、俺には似合わねぇんだよ」
葵は気が済んだとばかりに、ぱっと笑った。類い稀な美貌が晴れやかに輝く。その笑顔に可愛さはないが、独占出来る幸せに、省吾の胸は熱くなった。二人の時間は掛け替えのないものだ。些細なパンチの痛みを刺激的だと感じるくらいに、省吾を虜にして行く。
そこで二人は通路を抜けて外に出た。瞬時に、夏の眩しい日差しが襲い来る。肌を焦がす容赦ない暑さに怯みはしても、身を寄せ合う二人の体が離れることはなかった。
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