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第四部 33-1

 省吾は先に一人でマキノの店へと足を進めた。葵の為にドアを開けようとしたが、つと手を止めて、その僅かな時間、店先の花壇へと視線を投げる。 「向日葵……」  密やかに呟き、苛立つように優美な顔を微かに歪ませた。向日葵を植えたマキノの思いが、省吾にはわかる。胸にも、血に棲むものの苦笑を感じて、脳裏に浮かぶ始まりの記憶に、同じ笑いを(にじ)ませる。 〝陰あれば陽あり、陽あれば陰ある〟  かつて血に棲むものが、『血の契り』を(たが)えた時に表す印として、蜂谷の先祖に語ったことだ。先祖はそれに〝男女(なんにょ)……なるか〟と答えている。狭量な考えだが、子孫を残すには男と女を必要とする人らしい言葉だとも言える。  葵と省吾は、その範疇にない。二人は陰であり陽だが、陽でもあり陰でもある。血に棲むものが望み通りの人となるには、陰と陽の二つの存在を必要とするだけのことで、どちらかをはっきりと区別するものではなかった。あの時、蜂谷の先祖は血に棲むものが見せた笑いを理解せず、肯定も否定もされなかったことに、ただ腹を立てていた。君主である男に欲情するような男でも、人である以上、理解し難いことだったのだろう。  眷属を寄生させるマキノは違う。理解していることなのに、マキノは葵を思って向日葵を植えた。人として見るのなら、葵には陽が似合う。省吾には陰の影がまとわり付いている。省吾が苛立ったのは、向日葵で陰陽の区別を匂わされたからだった。  葵にもマキノの思いが伝わったようだ。揚々と咲く向日葵に喜んでいる。省吾に知られないよう表情を隠しているが、隠し切れていない照れ臭さに気付かされる。 「ああ……」  省吾は溢れ出る愛おしさに溜め息を漏らした。葵は省吾のものだ。欠片を宿すのだから当然と、血に棲むものが嘲っても、省吾の人としての感情には同調している。誰にも渡さないという厳しさに頷き、歓喜する戯れへの期待に酔い痴れている。人としての欲望をどう処理するのかは、葵次第だ。手こずらされようが、その時が楽しみで仕方なかった。 〝愛している〟  それは古き良き時代の映画館で、葵の両親の事故について話していた時に、咄嗟に出た言葉だった。葵を知って、ほんの一週間という時期だったが、愛を知るのに時間は無意味と悟らされた瞬間でもあった。葵を丸ごと手に入れたい思いに、人並外れた強い意志も崩壊し、考えなしに言ってしまったが、その言葉は省吾にも衝撃を与えた。  蜂谷の家族に疎まれて育った省吾には、愛しいからこその切なさは奇妙なものだった。葵を初めて目にした時は、そこに激しさはあっても、肉体的な欲求しか感じなかった。それが今では、愛おしさと同じだけの狂気も抱え込まされている。  葵が葵以外の男であったのなら、ここまで掻き立てられることはなかっただろう。すぐに飽きて、欠片を宿す相手への義務と割り切った付き合いをしていたと思う。自分はそういう男だと、省吾にはわかっている。しかし、そうはならなかった。  葵の〝俺のこと、愛してんだよな〟と言わんばかりの目付きに辟易しても、何も言うなと言ったのは省吾の方だ。同じ言葉を返して欲しいとは、余りに惨めで言い出せないでいる。  誠司達仲間にからかわれるのも、省吾の苛立ちと焦りのせいだった。葵の気持ちはわかっている。半端な付き合いに見えるが、葵が省吾の告白を受け入れていることに間違いはない。だからこそ、言葉で返して欲しかった。眷属が寄生する仲間達のように、共鳴や交信が出来たのなら、ここまで言葉に拘りを持たなかったようにも思う。不安という女々しさに迷う自分を認めたくないが、葵の口から聞かされる確かな愛を手にしたい。 〝(せん)ないことを……〟  血に棲むものがからかい気味に、鬼になれと言うかのように囁き掛けて来た。 〝……陰陽の繋がりには無用ぞ〟  省吾は人らしく言葉を欲しがるのを馬鹿にされようが、気にならなかった。血に棲むものと融合したからには、人として省吾が求める愛を、血に棲むものにも無視することは出来ない。同じように欲しがっている。 「人らしい無駄が前戯になる」  そう皮肉めいた口調で囁き返して、花壇に投げた視線を葵へと移した。  葵の誘いが聡にあるのはわかっている。聡が優希と入れ替わって編入するだろうことも、尚嗣のマンションに姿を見せた時から気付いている。二学期にはその可憐で愛らしい姿を目にすることになると覚悟していたのだが、その日が今日に早まった。寄生するそれと意識を共有する聡が、穢れのない手弱女(たおやめ)のようなその顔で、大人達を手玉に取ったということだ。  中等部の体育館に突然現れるというのも、寄生するそれが好みそうな演出だった。誰が言い出したとしても、学園が許可したのなら、剛造と尚嗣も加担している。自分達が犯した間違いを、省吾と葵に解決させようという腹積もりなのだろう。この町の秘密に翻弄され、半世紀ものあいだ反目させられたことへの腹いせかもしれない。  省吾は暗躍したがる爺さま達二人を思い、葵を真似て呟いた。 「クソがっ」

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