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第四部 33-2

 『血の契り』は過去のものになったが、血に棲むものは確実に存在している。剛造と尚嗣にはわかっていることだ。互いの孫と意志を融合させ、肉体を得たことにも気付いている。完璧な形になるには、まだ少し時間を必要とするが、蜂谷の先祖が残した陰陽についての間違った解釈のせいで、あの二人もそこまでは知り得ていない。  二人は祖父の立場から、孫達がどう生きるのかに口を出さないが、遠回しには伝えて来る。聡のことも、その一つだ。嫌みだと問い詰めたところで、楽しまれるだけだろう。剛造ならきっと、先々の孫の幸せを願ってのことだと、心にもないことを平気で言ってのける。尚嗣は多少の恥じらいを見せて、人生に悩みは付き物と諭したがりそうだ。どちらにしても、自分達がそうであったように、すんなりと行かせないつもりなのが、省吾にはわかる。  爺さま達二人とかかわって、睨み合うよう仕向けたのは、聡に寄生するそれが、半世紀もの昔に、児島俊作という名の少年に憑いていた頃にしたことだ。諦めの悪いそれは、またも仕掛けているが、血に棲むものと融合し終えた省吾には脅威とはならない。省吾が気にするのは、眷属であるそれが寄生する聡本人のことだった。  聡は人だ。人の感情は煩わしい。悔しいことに、血に棲むものが見せる剛造の記憶と共に、省吾も人としての感情に振り回されている。 〝妬いてんのか?〟  その通り。それでも葵に聞かれたことは嬉しかった。眷属である彼らのように共鳴した訳でもないのに、察してもらえたことが省吾を喜ばせた。しかし、嫉妬は次元の違う感情だ。妬くようなことはないと葵に言われても、自分以外の人との付き合いを根絶させない限り、連綿と湧き起こる。  嫉妬深さは祖父譲りだと、省吾は思う。優希もそうだ。蜂谷家の男には、必然的に備わっている。父親が道を踏み外したのも、高が女と馬鹿にしていた婚約者に、自分の男を掠め取られたことへの憎悪が原因だった。  省吾は父親を〝あの男〟と呼び、自分は違うと距離を置いていたが、葵を愛したことで、あの男が父親である事実を認めるしかなくなった。葵が省吾を受け入れてくれたことで、うちに抱える粗暴な獣も穏やかにしているが、葵の口から出る聡の名前には我慢がならない。葵が自分のものとわかっていても、身を滅ぼす程の激昂に呑まれそうになる。 〝自分でも驚いているんだよ、こんなにも嫉妬深い奴だったなんてね〟  隠したところで仕方のないことだと、省吾が自ら認めて言ったことに、葵が顔を赤くした。ふんと横向かれようが、見逃したりしない。目にしたことで、狂気が薄れ、マキノの店へと向けた足も軽やかになった。 〝早く来いよ〟  明るい口調の省吾に応えて、葵が駆け寄るようなことはない。わかっているが、意地汚いまでに高まるその思いは、どうにも抑えられなかった。ドアを開ける前に、向日葵に視線を投げたのも、有り得ないことだと理解するからこその遣る瀬無さがそうさせたのだろう。  マキノは葵を女扱いしないよう促している。向日葵を植えて、敢えて葵を男と位置付け、二人に陰陽の区別がないことを、省吾に思い出させた。余計なことだった。他の者にされていたのなら許していないが、マキノに手解(てほど)きをされた身では、それも出来ない。苛立ったが、聞き入れた。葵への愛が、省吾を(やわ)にした。  省吾は片頬だけでにやついた。甘々な男に成り下がった自分を笑い、さらに大きく口元を緩ませながらマキノの店のドアを開けた。葵へと移したその目をゆったりと細め、ただ眺めるだけの小さな喜びでも、零れ落ちる前にすくい上げ、向日葵の横に立って葵を待った。  葵が近付いて来る。省吾は微笑みで迎えた。二人してマキノの店に入り、ドアを閉めた。すぐに、たまらず葵を抱き締めた。 「ちょっ!何しやがる!」  外せないとわかっていながら、葵は抵抗する。葵の男としての誇りがそうさせる。 「やめなさい……」  マキノの声が遠くに感じた。それ程に、葵に触れた途端、ここがどこで、何をしに来たのか、省吾の頭から完全に抜け落ちていた。 「……嫌がる相手に、がっつかないの」  呆れたように続けられては、何も言い返せない。省吾は渋々葵を放した。マキノに言われて面白くなかったが、我ながら冴えないとは思っている。葵にも邪険に押し遣られた。硬派の沽券とでもいうのか、相当腹を立てたようで、比類ない美貌に怒りの炎を映し出している。  葵がうちにある光によって、薄茶色の瞳を金色に輝かせた時、人はその冷然とした怒りに恐怖を思う。それも省吾には美しいとしか見えないが、今の葵のひややかさからは、恐怖とは別の匂いを嗅ぎ分ける。美しさは同じでも、省吾の心は甘露で華やいだ匂いに刺激された。その違いに表された思いに、省吾が喜んでいることは理解していないようだ。葵は一人で、さっさと席に着いてしまった。 「食い気もぶっ飛びそうな暑さだってのに、腹ぁ、減ってかなわねぇの、早く食わしてくれよ」  葵は全く色気のない話で省吾を無視し、カウンター越しにマキノに話し掛けている。省吾は苦笑しながら隣に座った。春に二人で来た時と同じ席だった。葵が意識してその席を選んだことには気付いていた。

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