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第四部 34-2
省吾のキスは焼鏝 のようだった。硬く、熱く、印を付けるかのような激しさで、熱情を迸らせている。物柔らかな口調で喋り、品のある動作でゆったりしている男が、うちに隠す動物的な本性を解き放ち、ただひたすらに欲しいものを求め、自らを熱く滾 らせている。
葵は省吾のその熱に応えた。省吾の頭を両手で挟み、洒落たショートスタイルの髪に指先を潜 らせ、あたたかな頭皮をきつく掴む。僅かに見下ろす位置から、負けじと、挑むようにキスを返した。葵はまるで殴り合いだと、気持ちの片隅で思っていた。
勝負とするのなら、軍配は省吾に上がっただろう。葵が反応したと見るや、省吾は硬いと思わせたものに優しさを浮かべ、熱いと感じさせたものにぬくもりを映す。葵はじりじりした疼きに震え、苛立たしさに唇を開いた。そこへ省吾の舌が侵入し、それ自身が意志を持った生き物のように葵の舌をまさぐった。葵は痺れ、歓喜し、喘いだ。絡まる舌に煽られ、唇を熱く濡らし、省吾の舌から愉悦の夢をもらい受けた。
息が乱れた。呼吸が苦しい。どちらともなく唇を離した。二人共が息を切らし、離れ難いと額 を寄せ合う。そして笑い合った。
「……聞かせてくれっ」
省吾らしくない切羽詰まった口調だった。〝愛している〟と、同じ言葉を返してもらいたがっている。胡散臭くて信用ならない男が一途に思い、可愛い限りを尽くした瞬間だった。
「あんたが言ったんだろ、何も言うな……ってよ」
葵がからかうように言ったせいで、省吾が白けた顔をする。僅かに首を反らして、寄せ合っていた額を離そうとする。それを今度は、葵が省吾の首に腕を回して引き寄せた。耳に口を近付け、囁き掛ける。
「一度しか言わねぇ」
さらに声を潜 めて言った。
「愛してんぞ」
言ったと同時に、省吾の首から腕を外し、拳にした手で、殴り付けるかのように省吾を押し遣った。その手で省吾の肩口を軽く叩きながら続けた。
「そういうこった。だけどよ、この先、何があってもだ、ぜってぇ言わねぇからな、忘れんじゃねぇぞ」
省吾の呆 けた顔は、見応えのあるものだった。アホ面を晒す程、省吾を驚かせたことが、葵には嬉しい。
「あんた、可愛いぜ」
葵がニヤリとすると、省吾の顔が見慣れた優美さに戻る。アホ面を見せられたあとでは、つまらない顔だと、葵は思う。ふっと鼻で笑った拍子に、気持ちが緩み、お陰で省吾にその隙を突かれた。省吾は肩に触れていた葵の手を払い除けるようにして立ち上がり、さっと素早く葵の背中に両手を移し、軽々と葵を床から持ち上げていた。
「てめっ……!」
騒いだところで、怪我をするだけだ。男の誇りは傷付くが、省吾の目的を思うと、葵は笑い出していた。
「ホント、あんた、さかってんな」
省吾はうるさいと言い、二階へと階段を駆け上がる。部屋は整えられていた。春に連れ込まれたあの日と同じに、ベッド以外何もない部屋だが、清潔で涼しい。
省吾の足は迷いもなく、ベッドへと向かった。葵を抱 え下ろすという馬鹿げた真似はしない。二人して焦りが先に立ち、ほぼ一緒にベッドに転がり落ちていた。葵の無造作にまとめた髪を留めるヘアゴムが、弾け飛んだ。葵は顔に掛かった髪を払い、笑いながら言った。
「制服、着たまんまだぞ」
「靴もだな」
即座に省吾に返された。二人共が、どうでもいいことだとわかっている。葵の笑いは止まらない。それをやめさせようと、省吾がキスをして来る。ふざけ合うようなキスだったが、いつしかそれも熱を持つ。
「ああっ、心配するな、最後まではしない……」
自らに言い聞かせるように、省吾が声を掠らせて呟いた。
「……最後?」
葵は省吾に刺激され、熱く震え始めた体の奥に、自分自身の声を感じた。冷静になって考えるよう囁かれた気がする。葵は興が乗ったこの時にと思ったが、意志を強くして、体の震えを宥めに掛かった。
「なに?」
葵の様子がおかしいのは省吾にもわかる。一人で熱くなっても、惨めなだけだ。省吾も熱を収めようとしている。動から静へと移ろうその変化を目の前にして、葵は自分がいる場所を改めて意識した。省吾の下にいる。一気に熱が冷めた。
「どけ、あんた、重 ぇんだよ」
省吾のしなやかで逞しい体が邪魔臭かった。これは愛とは関係しない。己への誓いを忘れそうになったことに、葵は腹を立てたのだ。省吾は葵の横柄な物言いに苛立っていたが、気持ちを立て直そうというのか、葵から離れるようにして身を起こし、ベッドに腰掛けている。
「何が気に入らない?」
顔を俯かせて見せないようにしたのは、誰をも魅了する優美さが、鬼のような形相に歪み、葵でさえ怯えさせると気にしたからだろう。その片鱗を、ゲームセンターで見ている。怒り、欲望―――原因が何であれ、抑え切れない感情の発露だと、葵は気付いていた。
制服に隠されていても、その下で起きていたことは、互いにわかっている。葵は既に静まっていたが、省吾はまだ熱く燃え盛っているということだ。
省吾には余裕がない。それが葵を喜ばせた。葵はニヤニヤしながら起き上がり、省吾の隣に腰掛けた。嫌みったらしく肩に腕を回し、慰めるような口調で優しく言ってやった。
「あんたのキスは、中々なもんだぜ、それで食ってけんじゃねぇのか?」
葵の言葉を皮肉と理解したのか、省吾の肩がぴくりとした。それで省吾もどうやら完全に体の熱を静められたようだ。省吾らしい仕草でゆったりと顔を上げ、惚れ惚れするくらいの優雅さで微笑まれた。
「俺の過去を……気にした?」
「ちげぇよ、あんた、自信、なくしただろ?元気付けてやったのさ」
「そう?」
期待した答えでなかったことにむすっとしても、省吾は落ち着いていた。肩に掛かる葵の腕を叩 き落としながら続けている。
「それで、本当のところは、なに?」
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