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第四部 34-3
「あんたさ……」
葵は言葉を選ぼうとする自分に驚いた。からかって遊ぶのとは違う。省吾と本音で語り合いたい。それで傷付けるようなことになれば、自分を許せないだろうが、その裏にある願いには気付いて欲しかった。愛の言葉を聞きたがった省吾と同じ思いに揺れているのを、わかって欲しい。
葵は聡とのことを思った。二人の付き合いを隠してくれとせがまれ、叶えてやった。葵には大したことではなかったからだが、それと関係しないことでも、葵から何かを願ったことはなかった。聡に何も求めていなかったからかもしれない。この町に来て、省吾と知り合ったことで、聡との繋がりは泡沫 のように脆くも消えてしまった。
〝離れたらそれで終わり、元には戻らない〟
胸に声を感じた。葵は頷く代わりに、声へと気難しい顔をして見せた。
「どうした?」
省吾の声が耳に響く。葵が不意に顔付きを変えたからだろう。優しい響きに漂う甘ったるさに、落ち着きを取り戻した男の不安と気遣いが匂い立つ。葵は苦笑した。こうも簡単に願いが叶うとは思わなかった。嬉しかった。これで素直な思いをぶちまけられる。
「あんたさ」
葵は明るい口調で言い直してから、話を継いだ。
「さっき、最後までしないとか、うざってぇこと、言ったよな?それ、俺には聞き捨てなんねぇんだけど」
「えっ?ええっ?」
翔汰なら、目をぱちくりさせたというところだろう。省吾はそれに似た顔を見せたが、可愛いと感じる以前に、そこまで意外だと思われたことが、葵の顔を顰めさせる。
「クソがっ、俺をなんだと思ってやがる」
葵は僅かに声を荒らげて続けた。
「あんた、乙女心がどうのっつったが、俺にそいつを理解させようなんて、思ってねぇよな?マキノのことは好きさ、だけど、俺はマキノみてぇにはなれねぇぞ」
ふんと鼻を鳴らしてから、核心を口にする。
「乙女心だぁ?ったくよぉ、けったくそ悪ぃったらねぇぞ。そんなもん、俺からしたら、化けもんが吐いたクソゲロみてぇなもんだしな、それっくらい不気味でキモイってこった」
省吾の過去を気にしていると思われたままにはしておけない。誰とどういった付き合いをしていようが、葵は気にしない。過去に拘られては、葵も困る。しかし、先々を考えるのなら、葵が望む付き合いを、最初にきちんと話しておかなくてはならない。省吾が困惑しようが、譲れることではなかった。
「それって……」
省吾の物柔らかな口調に、苦々しさが浮かぶ。
「……やるか、やられるかってこと?」
葵は強く素早く、きっぱりと頷いた。
「前はあんたに先を越されたけどよ、あの状況なら仕方がねぇ。だけど、こうなったんだし、順番ってことで、今日んとこは、俺に回さねぇとな、だろ?」
「前って……ああ、声を掛けた日のこと?」
省吾は困惑から抜け出したようだ。苦笑しながらも悠々とし、自信に満ちた態度で、笑うように、それでいて半ば呆れたように続けている。
「……おまえ、寝てしまっただろう?順番を言うなら、俺の番をちゃんと済ませてからにしてくれないか?」
「クソがっ」
葵は苛立ったが、ここで癇癪を起こしては負けと、男らしく耐えた。省吾を思い―――もちろん、嫌みを込めてだが―――慰めるような口調で優しく言った。
「まぁさ、ヘタとは言わねぇが、あんたが勝手にヘタレちまったんだ、我慢しろよ」
「そう?俺のせい?それは悪かったね」
省吾は胸を震わせ、くつくつと笑う。そのまま背中からベッドに倒れ込んで行く。まだ話は終わっていないと、葵が振り向くようにして省吾に視線を向けると、省吾の瞳が緩やかに動き、葵の視線を受け止める。熱を感じさせるその眼差しに、悔しいことに、葵も熱くなった。
「やりてぇんだろ?」
葵は焦り気味に体の向きを変えてベッドに上がり、寝転がっている省吾の横に、胡座 を組んで座った。
「なら、素直に俺に回せ」
「うーん、どうしようかな?」
省吾は葵との会話を楽しんでいる。というより、からかっている。端 から葵に回すつもりはないようだった。葵は意地でも省吾を組み伏せてみせると決めて、追い立てるかのように言葉を放った。
「いいか、俺は公平にしようってるだけなんだ、あんたも男なら、うじゃうじゃ言ってねぇで、覚悟を決めろっての」
「だけど、ヘタだの、ヘタレだの言われたままじゃ、そんな気にはなれないよ。公平なんだろう?挽回のチャンスくらい、くれてもいいんじゃない?」
「あんた、それ、本気で言ってんのか?」
葵が顔を顰めても、省吾は少しも気にせず、にっこりと笑う。省吾より優位に立つどころか、丸め込まれそうな笑顔だった。葵は危機感を覚え、妥協することにした。狙い通りに進まないからといって、押すばかりでは能がない。
「なら、こうしようぜ。前に俺が寝ちまったのは仕方ねぇよな、色々あって、体調が万全じゃなかったんだからさ。で、今日はってぇと、最後までしないっつうくらい、あんたの方がイマイチだ。だから、そこんとこを、ってか、最後までしないってとこを、順番にしようってので、どうだ?俺も中途半端だし、あんたとおんなじさ」
「なるほど、いい案だね……」
省吾はやっと葵の話が理解出来たという顔付きで微笑んだ。
「だけど、おまえ、俺が言ったことを誤解している」
寝転んだままで、葵の膝をポンポンと楽しげに叩き、そのあとで身を起こして、省吾も葵と向き合う位置に胡座を組んで座った。
「ここまで来たら秘密にすることでもないから言うけど、最後までしないっていうのは、最後までしたらどうなるかってことなんだ。俺もおまえも、そこで成長が止まるってこと。俺はもう十八だし、止まっても構わないけれど、おまえはまだ十五で、子……ども……」
「ちょっと待て!」
葵は兎に角、省吾を黙らせたい一心で怒鳴った。〝成長が止まる?〟と、胸のうちで省吾の言葉を繰り返し、〝冗談か?〟と問い返す。胸に感じた声が否定した。冷静になって考えるよう囁かれたのを思い出すが、冷静でいられるような話ではなかったと気付く。葵はかっとして叫んでいた。
「クソがっ!ふざけんな!」
「そう言うだろうと思ったよ」
省吾は溜め息まじりに、宥めるように答えていた。
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