143 / 154

第四部 34-4 (終)

「俺は今のままでもいいと思っているけどね。だけど、おまえはまだ十五で、子供だろう?子供のまま成長しないのは、人としては都合が悪い、大人になるまで待たないとね。それに、おまえ、やたら身長を気にしているだろう?俺を超えるかどうかはさて置いて、せめて二十歳(はたち)までは好きに大きくさせてあげたいじゃないか、だから、しないっていうのも、おまえの為なんだよ」 「はあぁ?俺の為だぁ?」  葵には、省吾の恩着せがましい言い方が気に障ってならない。にやついた顔を見れば、なおもって腹立たしい。 「俺に回すのが嫌で、適当なこと、言ってんじゃねぇぞ」  そう言い返したものの、腹立たしさへの(むな)しさが胸に広がる。葵は胸のうちに感じた声を、内心では受け入れていたのだった。 〝我、主人の欠片、陰陽を(にな)うもの〟  声は葵に成就の時が来たのを知らせ、主人とは何か、欠片とは何か、生命が誕生するより前から始まる長い年月を、脳裏に映し出して行く。  遥か昔、地表を覆うエネルギー体。人に神と称えられ、のちに鬼と蔑まれた意志の輝き。この町を守護する代わりになした人との約束、『血の契り』。血に棲むものと呼ばれ、悲願のその日が巡り来るのを待つ千年の日々。エネルギー体を中心に生み出された眷属達。主人を守る為、人に寄生し、感情を学んだそれら。『血の契り』の終焉。血に棲むものとの融合。肉体を手に入れたエネルギー体。さらなる願い。成就に必要な陰陽の結び付き。 「……なんてこった」  気の遠くなるような時間を見せられていたはずが、葵はそれを一瞬で理解していた。 「つまり、俺とあんたがやっちまったら……」 「人であることに変わりない。だけど、蜂谷の先祖が、その姿を見られなかったように、エネルギー体となって、人の目に触れられないようにも出来る。肉体を持ちながらも、エネルギー体にもなれる、変幻自在にね。時間なんて意味がないってこと、つまり、成長が止まる」  省吾は口にしなかったが、そこに予定外のことが起きたと、葵の中の血に棲むものが続けて行く。〝はぐれ鬼〟のことだった。  本来、人がエネルギー体と接触するのは不可能だった。エネルギー体がその強大な意志で望むのであれば、人の中に入ることのみ可能だった。蜂谷の先祖との会話も、そうした意志の力でされたことだった。その先祖に、陰陽を担わせる欠片を運ばせるには、人に寄生出来る眷属を使うしかなかった。強くなり過ぎた力を自らの意志で分けた片方を―――人の世で暮らすようになって〝半身〟と呼ぶようになった片割れを―――器にした。  欠片であっても、主人の一部であるエネルギー体に触れたことで、その半身は欠片から離れられなくなった。香月の先祖の前に運ばれた時には、半身としての意志も消え失せ、欠片に溶け込み、血に棲むものとなった。残された眷属は、狂おしい程に、欠片を求め始めた。  千年のあいだ、半身のそれは香月の側に現れては迷わし、蜂谷を遠ざけさせた。葵の脳裏に幾つもの顔が流れるように浮かび上がり、最後に見せられたのが聡の顔だった。 「クソがっ」 「わかったみたいだね、聡が何者なのか」  葵は頷いた。頭では理解したくないと思っても、胸のうちに囁かれる声を否定することは出来なかった。 「俺がこの町に来なかったら、あいつと一緒に年取って、クソったれなジジイになってたな。欠片っての?そいつが守ってたって、人の体なんだし、百年、もっていいとこさ。そんで、俺が死ねば、あいつの欲しいそれが俺から離れる。ジジイの俺は用済みってこった」  省吾は答えなかった。答えはいらないと言いたいようだ。聡の欲しいものは葵だ。寄生するそれが欲しいものは欠片だ。葵の魂と欠片の意志を融合させたあとでも、省吾と結び付かせなければ、互いに欲しいものが手に入る。寄生するそれが聡を(けしか)け、聡がそれの話に乗っただけのことだろう。 「あいつは……どうなる?」  葵は聡自身のことを気にした。胸のうちに問い掛けても良かったが、人らしく、省吾の口から聞きたかった。省吾は微かな笑いを含ませて、普段通りの物柔らかさで答えていた。 「あれには仲間がいる、彼らは決して仲間を見捨てない、〝はぐれ鬼〟になってもね。寄生する人の気持ちも同じだよ、それが離れない限り、聡を見捨てたりはしない」  葵は胡散臭くて信用ならない男の言葉を信じた。映画館で従兄弟のかわい子ちゃんが聞きたがっていたことが何か、これでわかった。〝古い付き合い〟から、聡のことを知ろうとしたのだろう。省吾が言ったように、仲間を見捨てないのだから―――。 「だからか?あんた、俺に連絡先を教えないよな?意地になってんのかと思ったけど、その辺が理由みてぇだな」  省吾が穏やかに戸惑っている。そうした芸当が出来るのは省吾だからだ。話が唐突過ぎて、わからないといった顔付きをしているが、落ち着きに変化はない。葵は安心して、省吾の話に感じたことを口にした。 「あんた、仲間って言った時、なんか変だったぞ、笑っててもさ。で、思い出したんだ、仲間ってのは、連絡、取り合うもんだけど、あんたは俺に教えねぇままだってな」  省吾が声を上げて笑った。葵が苛立つくらいに笑い続けている。わき腹を拳で軽く突くと、やっと笑うのをやめた。わき腹をさすりながらも楽しげに答えている。 「あいつらは仲間うちで共鳴して、交信して……」 「共鳴?交信?そういえば、クソみてぇなモニュメントんとこで、そんな話、してたな?」 「俺は繋がれない、蚊帳の外ってことさ。ついでに言えば、あいつらは匂いでも仲間だとわかる、それさえ嗅ぎ取れないようにしたのが、おまえの聡、大したものだよ」 「あいつの根性を甘く見ねぇ方がいいぞ」 「かな?」  省吾はくっと笑って頷いていた。それが儀礼的に見えたのは、少しも気にしていないからだろう。聡の話題は十分だと言って、話を戻したのでわかる。 「それで誠司達は、俺を思ってやらなくなった。共鳴も交信もね。おまえとは……どうだろう?」 「あんたにしては、弱気だな?」 「出会った日から、働き掛けているけどね」 「はあぁ?本当に?なんも聞こえねぇぞ」  省吾の苦々しさが、葵にはおかしかった。 「気にすんな、そのうち、聞こえんだろ、ってことで、俺ら、どうすんの?」 「どうって?」 「だからさ、大人になるまで待つってのはわかったけど、お預けってことだろ?たまんねぇよな」  そこで態度が逆転し、省吾が葵の言葉をおかしがる。そうなると、葵の方が苦々しさで一杯になった。 「何がおかしいっ、ホント、あんたとは気が合わねぇよな、こんな奴のどこがいいんだか」 「その言い方、どこもかしこもいいって聞こえる」  省吾は嬉しそうに言って、胡座に組んだ足を(ほど)いていた。逞しさと柔和さが噛み合う不思議さを見せながら、ベッドから降りて床に立つ。 「おまえ、さっき、俺をなんだと思っていやがると言ったけど……」  葵の腕を掴んで同じように床に立たせてから続けて行く。 「……その台詞、おまえがこの部屋で眠りこけていた時に、俺も言ったな、なんだと思っているってね」  葵は返事に窮した。悩んで、口をへの字にしているうちに、省吾が続きを話していた。 「それ、二人で教え合わない?どう思っているのかをさ」  省吾は葵の腕を離し、奥の洗面所へと歩いて行く。歩きながら振り向き、誘うような眼差しを向けて言った。 「楽しむだけなら、方法は幾らでもある」  ガラスの壁で仕切られたシャワー室で浴びる水飛沫(みずしぶき)は、同じシャワーでも、クラスメートとするような男同士の裸の付き合いとは違う。葵と省吾の甘い息が醸し出す妖しい匂いがまとわり付く。光り輝く省吾の肌に映えて、ほんのり色付く葵の肌も輝きを放つ。  葵は省吾の熱く火照った肌に手のひらを這わせ、息を切らしていた。省吾も同様だ。その首に腕を回し、ぐいっと引き、口を寄せて震える声で呟いた。 「あの噂……」  省吾の尻に、痣は出ていない。翔汰が言っていたように、尻のほっぺを合わせようが、ハートマークは作れない。あるのは、熱を持ち、輝きを増した肌に現れたただ一のもの、臍の下辺りに現れた赤い痣だけだった。自分にも現れている。そこが痛いくらいに疼くのも、同じなのはわかっている。 「……ガセだったな」 「なに?」  省吾はわかっていない。気付いてもいない。刺激にしか意識が向かっていない証拠だった。最高だと、葵は思った。

ともだちにシェアしよう!