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第四部 35-2
省吾は学園に入学したその日から、特別な者として遠巻きにされていた。最終学年の今も、それは変わらない。大半の生徒が省吾の秀逸な美しさに陶然とし、物柔らかな仕草と口調に魅了され、憧れを持って眺めている。誰の抜け駆けも許さないと、暗黙のうちに不可侵の不文律を作り上げようが、元から省吾の関心が彼らに向かうことはなかった。
敵意を抱く生徒にしても、蜂谷家を出された異端者と見下そうが、省吾の秀麗な容姿には迷わされている。誠司達仲間を気にして、あからさまに仕掛けて来るようなことはなかったが、内心では省吾を欲している。屈服させたがっている。無駄なことをしているものだと、省吾は思う。省吾にとって、彼らも大半の生徒と何も違わない存在だった。
血に棲むものと融合したことも、省吾の気持ちを変える理由にはならなかった。しかし、葵を抜きにして語れないことにはなった。葵だけが省吾の興味を引き、省吾の意志をも変える。
人として見るのなら、葵こそが特別だった。葵の影響が省吾にとどまらないのが、その証拠だろう。編入早々に起きた食堂での騒ぎは、学園の空気さえも変えていた。さすがに高等部にはこれといった大きな変化は見られないが、優希の姿が消えた中等部は、全くと言っていい程に変わった。皮肉なことに、優希がいた頃より喧嘩が増えている。
散々言い合った末に殴り合い、その後に全員で笑い合う。中等部の生徒は、誰に気兼ねすることなく、思うがままに拳で語り合っていた。男臭い単純な関係だが、それを苦手とする生徒もいる。そうした生徒の先頭に立つのが小猿だった。見た目が弱々しいからといって、馬鹿には出来ない。片隅で神妙に縮こまったりしない。
双子もどきが調子に乗って、小猿を長 とした相談窓口を開いたことも、そうした生徒達を勢い付けている。小猿の世話好きが繊細な心根の生徒達の慰めなのだと、メイが自慢げに、それでいて独り占め出来ない苛立ちを見せて話していた。
まさに乙女心を持つ者の悩みは、乙女心を持つ者にしかわからない。その真価を示したということのようだった。
葵に言わせれば、けたクソ悪いとなるが、省吾もそう思っている。それなのに、省吾は余りの馬鹿さ加減に言葉もなかったはずが、メイの話に、知らず知らず頷いていた。小猿の顔を見るたびにイラついたものだが、今では頭痛までするようになった。
〝委員長に負けねぇくらい、あんたもお嬢さん育ち……〟
小猿を思うと、葵に言われた言葉が思い出されてならない。あの時は葵流の褒め言葉と聞き流したが、小猿と同等に見られたことには納得していない。葵は間違っている。省吾は確信を持って、自分にも言い聞かせていた。
その小猿が、キャッキャキャッキャ叫びながらロングシュートを決めた葵に駆け寄り、ハイタッチを交わし、楽しそうにしている。省吾は妬ましさを抑え込んだ。すぐに腹立たしさが湧き上がり、憎らしさに火を付ける。
幸せな一時 を過ごしたあとで、悪夢のような数日を耐え忍ばなくてはならないとは、情けない話だと、省吾は嘆く。葵を睨んだところで、気持ちは少しも宥められない。意志を強くすれば、顔に鬼が現れる。苛立ちは増すばかりだが、あと一日の我慢と、耐えるより他ない。
選手として参加せず、補欠のままでいれば、物欲しげに葵を眺めることもなかった。全ては剛造のせいだ。尚嗣と孫自慢を始めたことで、とばっちりを受ける羽目になった。
葵の決然とした態度の裏にも、尚嗣の思いが見え隠れしている。聡が突然現れた翌日に始まったのだから、嫌でも気付く。剛造と尚嗣は、聡に寄生するそれによって無駄にした半世紀の結末を、省吾と葵に付けさせようとしている。孫の立場からすれば、嫌がらせにしか映らないことを、嬉々としてやっている。
元気な爺さま達には、わかっていたのだろう。省吾なら平然と無視することも、お人好しの葵なら尊重してくれる。つまり省吾に勝ち目はない。あと一日、耐えるしかない。
省吾は嫌々ながらも、葵の願いを受け入れ、叶えてやった。その上での鬱憤晴らしだ。誰彼構わず殴り倒そうというのも、省吾には正義だった。最初の一発を繰り出す切っ掛けを、誠司の次の一言にして、うずうずしながら待った。それが幾ら待っても、誠司は何も言わない。ふんと鼻を鳴らしただけで、黙っている。
「だから……なに?」
苛立たしげに問い掛け直したが、省吾の心のうちを察していたようで、誠司は口を開かなかった。省吾は鬼の形相そのままに、誠司へと顔を向けた。
「八つ当たりくらい、させろ」
「優先順位なんかに文句を付けんな。あいつらより下ってのは、確かにきついけどな」
誠司が面白おかしく返して来た。省吾の機嫌が落ち着いたのを肌で感じたのだろう。楽しげな口調に、従兄弟で親友という人としての関係を匂わせていた。思惑をかわされたあとでは、殴り倒す気持ちも失せていたが、それも誠司に見透かされている。
「そう?だけど……」
省吾は鬼の顔を緩めつつ、普段通りの物柔らかさで答えていた。
「……おまえには言われたくない」
暗 に聡とのことに触れていたが、はっきり言葉にはしなかった。聡が突然現れたあの日に何があったのか、省吾が聞かないことで、誠司も気付かないふりでごまかしていた。
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