151 / 154

第四部 36-4 (終)

 二年前の球技大会で、最強クラスを決めるジャンケンで揉めたという話を、葵は思った。翔汰は従兄弟のかわい子ちゃんの一喝で収まったと話していたが、優希にはそれも省吾がいてこそとなる。つまり卒業生が(そそのか)した本当の相手は、優希だということだ。結果として兄弟の対立が深まったのが、葵にもわかって来る。  二年前のその日、翔汰は子供らしく震えていたが、同じ新入生でも、優希には許されなかった。生まれた時から蜂谷の名前を背負わされた者の宿命でもあったのだろう。優希が知る世界は、強者が勝者だ。どういった形でも、優希は名前に課せられた強さを証明しなくてはならなかった。  田舎で育った葵には、理解し難い重責だ。家を出されたことを、それ程には深刻ではなかったと話していた省吾にはわかっていたのかもしれないが、だからこそ、葵は優希にも、しがらみを捨てさせたくなる。 「おい、球技大会で優勝しようって話にゃ、アホたれな省吾は関係ねぇぞ」  葵の突き放すようでいて、どこか親しさのある返しに、優希の表情が揺れた。凡庸な容姿だが、生まれの良さからか、品がある。その顔に厳しさを見せて、葵の本心を探っていた。  いい顔付きだと、葵は思う。それでつい、優希の肩をぎゅっと握ってしまった。男同士の軽い付き合いでしたことだが、優希にわかるはずがない。反対の意味で、葵にもわからないことだった。優希が痛みに顔を歪めようが気にせず、話し始めた。 「いいか、勘違いすんじゃねぇぞ、俺らにとっちゃ、中等部での最後の戦いになる、そこんとこを考えろってんだよ」 「だから、おまえが……」  続きを言わせないよう、優希の肩を握る葵の指にさらに力が加わった。優希はうっと息を吐いたが、痛みに声を出した悔しさからか、葵が話すのを邪魔せず、黙って聞く。 「俺ら三年が中等部で最強クラスになれる最後のチャンスだろ、前人未到の金字塔を打ち立てられっかどうかってな。クラスの問題なんて、ケチ臭いこと言ってちゃ、ダメなんだ、三年全体の問題って考えねぇとな」  葵に熱く語られたことの意味を、優希は全く理解していなかった。強い者が勝つのは当然で、何をしても許されると教えられて来たのだから理解しようがない。優希は葵の話に眉根を寄せて問い返していた。 「僕に何をしろと?」 「何って、あんたも戦うのさ、クラスの奴らと一緒にな」 「馬鹿なっ!」  優希はかっと顔を赤くして叫んだ。怒りを含んだその叫びに、メイのキーキー声が瞬間的に止まった。何が起きていたのかに、いち早く気付いたのは翔汰だ。葵と優希に目を向け、ヒソヒソと肩を寄せて話している二人の方へ、じりじりと体を傾かせている。他の生徒達が真似をしたのは、言うまでもない。  優希は彼らの関心が自分に移ったことをわかっていない。その方が優希に本音を言わせられると、葵は思った。 「バカだって?その通りさ。生徒総出の球技大会なんだぞ、バカになんねぇと力も出ねぇさ」 「さっきのアレを見ていただろう?学園に、僕の居場所なんて、もうない」 「おいおい、さっきまでの勢いはどうした?」  葵には励ましでも、体を傾けて耳を澄ます生徒達には、せせら笑うようにしか聞こえない口調で葵は続けた。 「一年、二年なんて、まだガキだが、そいつらに持ってかれでもしたら、どうする?優勝なんてされた日にゃ、クソ惨めでやってらんねぇぞ。ここいらで、三年の意地を見せてやらねぇとな」 「おまえ……」  優希の頬に、怒りに代わって、葵と会話する自分を羞恥するかのような赤みが差した。 「……馬鹿だろう?」 「その通りだっつただろ?男が意地を見せる時は、バカになんねぇとな。バカみてぇに、がむしゃらに熱くなるだけさ。一年、二年のガキどもを怖気付かせるくらいにな、ふざけた真似すんじゃねぇぞってとこさ、だろ?」  優希は呆れ返った顔で葵を見る。周りの生徒達も、この時だけは優希を支持したようだ。クスッと笑いを漏らす生徒までいた。 「わかっているのか?」  優希は子供に道理を聞かせようといった口振りで、ゆっくりと話した。 「熱くなるだけでは、ジャンケンには勝てない。それこそ、バカバカしい運というものがいる」 「心配すんな、こっちには委員長っていう、スゲェ強運の持ち主がいんだよ、他のクラスが優勝しても、委員長をサポートに付けてやりゃあ大丈夫さ」 「委員長?……久保のことか?」  優希の口調は完全に馬鹿にしたものだった。葵は否定せず、にやりとしてから答えた。 「信じられねぇかもしんねぇが、従兄弟のかわい子ちゃんっても、あんたにはわかんねぇよな?さっきのあいつ、あんたの兄ちゃんの友達、あんたにも従兄弟になるあいつが俺に言ったんだよ……」  そこで生徒達にもしっかり聞こえるよう、少しずつ声を大きくして言った。 「……委員長はさ、アホたれな省吾の、斜め上を行く逸材だ、ってな」 「藤野……が?」 「ふふん、どうだ?俺らの委員長、スゲェだろ?」  葵は翔汰が真っ赤になって飛び跳ねているのを感覚で捉えた。大好きな先輩から認められたと、大喜びだ。認めたのはかわい子ちゃんだが、意味的には大して変わらない。不満そうな省吾のことは気にしなかった。それより優希だ。葵は優希が頷くように俯いたのを見て、肩から手を離した。その手で優希の背中をバシッと叩いた。 「なっ……!」  優希にはそれが葵流の挨拶だとは気付けない。それでも葵が翔汰を呼び、自分とした話を繰り返すのには黙っていた。 「ってことで、俺とこいつとで決めたのよ、中等部初の最強クラスをこの三年で取るってな。もちろん、ズルなんてなしだ。三年同士の試合にも、正々堂々と戦う。だから、ABCのクラス委員長に連絡だ。このあと食堂で、明日からの球技大会に向けての決起集会をするってな」 「どのクラスが勝っても、中等部の優勝にするってこと?」  翔汰は葵にではなく、優希に問い掛けていた。大好きな先輩に認められた者らしく、強気な態度だが、そこには葵への気遣いがあった。優希が答えなければ、葵の為にも意見しようというのだろう。 「……そうだよ」  優希が小さく言った。 「わかった」  翔汰はそれで納得したようだ。軽やかな足取りで生徒達の中へと駆け戻って行く。 「僕は……」  翔汰の飛び跳ねるような様子に、優希が不安げに呟いた。そこに何を思うのかは、葵にもわかる。葵は敢えて優しい口調でやんわりと、そのことを指摘した。 「まぁさ、男ってのは、生きてたら、一度や二度の失敗はある、だから、気にすんな……なんてキレイごと、あんたは聞きたかねぇよな?」   そのあとで、ニヤニヤしながら話を続けた。 「俺も田舎じゃ、ちょいと荒れた時期があってさ、落ち着いた頃に、田舎のジジイどもに、クソったれなことを言われちまってる。あいつら、こう言ったのさ。自分のしたことを覚えていろよ、なんでかなんて考えんじゃねぇぞ、そんなこともわかんねぇような盆暗(ぼんくら)か?てめぇはよぉ……ってな」  した方は忘れるが、された方は覚えている。単純な理屈だ。物知りなジジイ達が葵に教えたのは、そのことだ。単純過ぎて気付こうとしないのが多いとも言われたが、そこは話さなかった。優希にはわかっている。優希はむっとしていたが、素直に頷いていた。それで葵はもう少しだけ、優希の気持ちを楽にしてやることにした。 「だけど、あんたがこの町から追い出した奴、香月の遠縁って話だったしさ、お爺さんに聞いたんだよ、どうなってるってな。あんたの兄ちゃんに絡むなんて、いい度胸してんなとは思ったけどよ、そいつ、ホント、いい度胸してっぞ。転校先の学校で、よろしくやってるみたいでさ、人気者なんだと」 「そういう奴だと、僕にはわかっていた」  優希の確固とした物言いに、葵はクッと意味深に笑った。訝しげに見上げた優希に、その理由を教える。 「あんたさ、やり方は間違ってたが、そいつから兄ちゃんを守ろうとしたんだろ?」 「違う!」 「照れんな」  葵はまたも優希の背中をバシッと叩いた。優希に睨まれようが気にせず、逃がさないとばかりに、肩に腕を回して歩き出す。 「やめろ、僕は行かない」 「とんがるなって、あんたの兄ちゃんもそうだけど、気に入らねぇと、すぐにむくれやがる、なのに、そんな素振りは見せねぇの。あんたはツンツン、突っ掛かって来るけどな。あんたら、ホント、そっくりだせ、兄弟揃って、アホたれな捻くれ者さ」  今まで散々省吾と比較されて来たのだろう。しかし、そっくりと言われたことはない。優希は純粋な驚きを平凡なその顔に浮かべて答えていた。 「兄さんは僕を嫌っている」 「ああ、確かに」  気のいい台詞を言ったところで、優希には慰めとはならない。なけなしの誇りまで傷付けることになる。葵はわざとにやりとし、正直な思いを飾ることなく口にした。 「あいつはあんたとかかわろうとしない、これからだって変わんねぇさ。だけど、俺は違うぜ。あんたのその上品な喋りが、クソだのアホだの、俺に釣られて口汚くなっても、離れねぇからな」 「おまえは……」  優希は弱みを見せまいとしたのだろう。食いしばるようにして言葉を繋げる。 「……本当に、本物の馬鹿だ」  葵にはそれが優希の謝罪の言葉に聞こえた。葵は優希の背中をバンバン叩き、合間に照れるぜと言って笑った。優希は背中を叩くなと言い、馬鹿がと繰り返していた。  余興は終わった。生徒達もそれぞれの場所へと移動を始める。中等部の三年生は翔汰から聞かされたことに戸惑っているようだが、葵が優希を連れて食堂へと歩き出すのを見て、誘い込まれるように付いて行く。  葵は生徒達の動きを感覚で捉えながら、余興の余韻にざわめく中に、一人平然としている省吾を確かめた。省吾の優美さはいつも通りだが、ほんの僅か、その秀逸な顔を面白くなさそうに歪めたのに気付く。  葵は(こうべ)(めぐ)らせ、誰にでもわかるようにはっきりと省吾に視線を向けた。省吾と目が合うと、にっと笑って、中指を突き立ててやる。斜め上を行けるのは、翔汰だけではない。 「あんたの……恋人もだぜ」  葵は省吾へと伝わるよう願いながら、心の中で楽しげに言った。 ―――二日後。  最強クラスを決めるジャンケン会場は、過去最高の熱気に包まれていた。 ――第四部 終わり

ともだちにシェアしよう!