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エピローグ 2 (終)
翔汰はもう一度、新たな気持ちで壮麗な外観を取り戻した建物を見遣り、これから先も、学園の生徒になった子供達と分かち合える思い出を形にして残せたと、喜びに浸った。その切ないまでの思いを、優希は理解してくれたのだった。
学園長としてではなく、翔汰は卒業生として優希に相談した。改修では費用もかさみ、学園長の一存で変更出来るようなことではない。無理を承知で相談したのだが、優希はわかったと言って、すぐに動いた。同窓会を組織する卒業生に連絡を入れ、寄付を募り、理事長の立場から理事会を説得した。
「先輩は今の蜂谷君をどう思っているのかな?」
翔汰は何とはなしに呟いた。
「篠原君にはわかっていたんだよね……」
優希との関係が変わったのは、中等部三年生の時の球技大会前日に起きた出来事からだ。あの日のことを思うたびに、翔汰は胸が熱くなる。
〝委員長、来てくんねぇか〟
あの時、優希に腕を回し、ヒソヒソと肩を寄せて話していた葵に突然呼ばれ、驚いた。球技大会に向けての決起集会をすると聞かされた時には、もっと驚いた。聞き耳を立てていたことで、葵が本気なのはわかっていたが、大丈夫なのかと心配したのだ。葵は賢くて滅茶苦茶強いが、お人好しだ。優希にうまく騙されているのかもしれない。それを心配して、わかっていることを敢えて優希に問い返した。
〝どのクラスが勝っても、中等部の優勝にするってこと?〟
〝……そうだよ〟
優希が素直に答えたことで、翔汰は葵を信じ、優希のことも信じようと思った。その判断は正しかった。
葵らしいあの出来事を思い出したからだろう。翔汰は自分を呼ぶ葵の声が聞こえた気がした。葵は大学生になっても翔汰を委員長と呼んでいた。葵だけに許したその呼び名が懐かしい。また呼ばれたいと思う。
「よお、委員長」
そうだ。こういった風に―――。
「えっ?ええぇっ?」
まさかと思った。頭では空耳だと否定しても、体は反対のことをする。声がした方へと、急いで振り向いていた。翔汰は瞬 きする間も惜しんで、スウェットの上下にビーチサンダル姿の類い稀な美貌の青年を瞳に映した。
「篠原君……」
五十も後半になろうというのに、翔汰の口調は固く約束をして別れたあの日に戻っていた。
「……ずっと、どこにいたの?」
葵は翔汰の説教口調を楽しむように、にやりとする。
「悪かったよ、だけど、省吾のアホたれが他の奴らの目を気にしてさ、俺達のことを忘れるくらいは時間を空けろって、うるせぇのなんの」
「篠原君、先輩はアホたれなんかじゃないよ、それ、理 に適ってるしね」
「おいおい、委員長、そこは理屈じゃねぇんだ、あいつ、未だに委員長に嫉妬しまくりでさ、連絡させなかったのだって、意地悪からだぞ。だけど、俺もあいつに負けねぇくらいのアホたれだな、そこに気付くのに、こんなに時間が掛かるなんてよぉ」
「先輩が?僕に?意地悪?」
翔汰は昔のように省吾を庇い出した。
「先輩がそんなこと、するはずないじゃないか、先輩は……」
「おっとぉ、何を言うかなんてわかってっぞ、凄く優しいってんだろ?ホント、委員長のアホたれ好きは変わんねぇなぁ」
にやにやする葵に、翔汰はいじけながらも頬を染めて笑い返した。幽霊でもない限り、若く美しいままの葵とふざけたりは出来ないが、葵が幽霊でないことは、翔汰にはわかっていた。
葵と省吾の死を受け入れたあと、悲しみに溺れるのをやめて大学に戻り、三週間程過ぎた日のことだ。翔汰は周りを気遣って明るく振る舞っていたが、どうしようもなく落ち込んで、隠れて一人でめそめそしていた。それをメイに見られてしまった。
翌日、翔汰はメイのペントハウスに呼ばれた。メイは狩猟民族を思わせる引き締まった顔付きに射るような眼差しで、翔汰の態度に我慢ならないと言った。だから教えると続けた。そこで聞かされた話に驚きはなかった。喜びもなく、さらに激しい悲しみを感じただけだった。
〝篠原君と先輩が元気にしていたって、僕はもう会えないんでしょ?田中君も井上君も、藤野先輩も、メイ先輩だって、僕の知ってるみんなでなくなっちゃうんだ……〟
この町の秘密を理解したからこそ、血に棲むものの眷属が次々と寄生する人達から離れて、葵と省吾のもとに集まるという話に、翔汰は悲しくなった。
〝だけど、人ってそういうもんだろ?友達なのは変わらないけど、大人になっただけ、付き合い方も変わる〟
そう言って、メイが慰めるように差し出した手を、翔汰は払い除けた。
〝そんなの、僕は嫌だ!〟
〝うん、わかっている。だから、俺は翔汰と一緒に年を取ることにした、構わないって言われたよ〟
メイは可愛いもの好きの我がまま王子を奥に隠して、凛々しい王子の決め顔でずっと翔汰と話していた。
〝俺は死んでもこのままさ、翔汰の俺でいるよ〟
〝メイ先輩……〟
翔汰は泣きながらメイに抱き付いていた。あれから四十年近く、元気に暮らせたのはメイがいてくれたからだ。メイも今では王族として国の発展の為に忙しくしているが、眷属を寄生させているからには、何があってもこの町を去ることはない。暇が出来れば必ず、翔汰のところに帰って来る。
「篠原君……」
翔汰は少しだけ改まった口調で呼び掛けた。
「……会えて嬉しい」
「ああ、俺もさ、省吾のアホたれも来て……」
「えっ!せ……せ、も……い、い……の?」
葵が笑った。最高だと言って、おなかを抱えて笑っている。笑い過ぎて息を切らす程の大爆笑だった。
「そんなに笑わないでよ」
「ウソ、ウソ……」
葵はどうにか笑いを収めてから言った。
「あいつは来てねぇよ、委員長のそれ、聞きたかっただけさ。あいつには内緒なんだ、っても、お見通しだろうけどな、俺を止めなかっただけ、アホじゃなかったってことさ」
「だけど……」
先輩にも会いたかったと言うつもりが、言葉が出なかった。翔汰は俯き、囁くように小さく、寂しい思いを口にした。
「……だけど、これが最後だよね?」
「いや、また来るぜ」
「えっ?」
さっと顔を上げたが、そこに葵の姿はなかった。日差しに煌めく名残は見えても、類い稀な美貌のすらりとした青年の姿は消えていた。しかし、声だけは耳に響いている。
「委員長の最期の時にさ、滝を見せる約束だろ?」
翔汰の人としての人生が終わるその瞬間に、約束を果たしに来る。葵は確かにそう言った。翔汰は頷き、待っていると、心の中で答えていた。
「さてと」
翔汰は夢の続きを楽しむように軽い口調で続けた。
「篠原君との約束のその日まで、学園の子供達の為に、もうひと頑張りするかな」
建物へと向き直り、学園本部のエントランスホールへと歩いた。重厚なドアを開けて中に入り、靴を履き替え、学園長室に向かう。途中の廊下には、学園の歴史がパネル展示してあった。創設から始まり、改修までの経緯が連ねてある。球技大会についての展示もあるが、もちろん生徒に受け継がれる賭けのことは書かれていない。パネルには各競技の優勝クラスと最強クラスになったクラス名が、年度順に書き並べてあった。
翔汰はその球技大会のパネルの前で立ち止まった。そこには写真が一つ飾ってある。学年全員で写した記念写真だった。後にも先にもその一度だけ、中等部が〝最強クラス〟の栄誉に浴した年に撮ったものだ。
その写真を眺める翔汰の脳裏に、メイの晴れ晴れとした顔が、声と一緒に浮かび上がった。
〝この勝利、翔汰に捧げる!〟
〝メイ先輩、僕、男らしく自分の力で掴み取る!〟
あの年、メイはバスケットボールに変われなかった恨みを、バレーボールにぶつけて戦った。クラスメートを怯えさせるくらいに一人で張り切り、怒涛の勢いを見せたが、翔汰の返事にしゅんとし、その途端、運に見放されることになった。
〝ジャンケン……!〟
あの日の熱気を思い、翔汰は微笑んだ。
―――この町には、かつて神と称えられ、のちに鬼と蔑まれたものが棲む。結界を作り、町を守る。人と交わした取り決めからではない。この町に暮らす人達を大切に思うからだった。
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