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第5話
そこまで言った時に、奥の方から「リチャード」と声がした。
「グレイス、彼は僕の友人だから通してあげて。それと、ラテを一つ追加でお願い」
「分かりました、ハーグリーブス様」
赤毛の可愛らしいスタッフは、にっこりと笑顔を作ってレイに言うと「どうぞ奥へ」とリチャードを案内してくれた。
「随分早かったね。10時ちょっと前って言ってただろ?」
「……いや、早く来ればレイと少し話が出来るかと思って」
「ふふ、いい心がけじゃない。……クロワッサン食べる?」
レイは白いプレートに載せられていたクロワッサンを半分にちぎると、リチャードに差し出す。
「ここのクロワッサン美味しいんだよ。定期的に食べに来るけど、僕のお気に入りのカイザーと張るくらい味がいいんだ」
リチャードは、レイから遠慮無くクロワッサンを受け取ると、口に運ぶ。
「ん、確かに旨いな。レイはいいな、朝から贅沢な食事の時間が取れて」
「自営業の特権」
レイはリチャードの反応を満足そうに見ると、絞りたてのフレッシュオレンジジュースを一口飲む。
「ラテ、お待たせしました」
先ほどの、グレイスと呼ばれたセミロングの赤毛の若い女性スタッフが、リチャードの前にコーヒーカップを置く。
「ありがとう」
リチャードが、にっこりと笑みを浮かべて礼を口にすると、彼女は真っ赤になってテーブルを去って行った。
「リチャード、朝から女の子ナンパしちゃ駄目じゃないか」
レイが面白そうに言う。
「……ナンパって、そんなつもりはないよ」
「ほんとにこの人自覚ないよね。自分がどれだけもててるのか、全然分かってないだろ?」
「そんなの分からないし、分からなくていいよ」
リチャードは少しむっとして言い返す。レイは小悪魔の表情になると、目の前の恋人に顔を近づけてこっそりとこう言った。
「……もててもいいのは、僕にだけって自惚れてもいいのかな」
「……レイ」
リチャードは思わずどきり、として彼の顔を見つめる。
レイの綺麗な榛色の瞳が、リチャードの視線を捉えて離さない。リチャードが次の言葉を口にしようとした、その瞬間にレイはすいっと視線を外し、笑みを浮かべながら言った。
「早くコーヒー飲まないと、約束の時間になっちゃうよ」
慌ててリチャードは腕時計に目をやる。9時50分になろうかという時刻だ。まだもう少し余裕がある、と視線を上げると、レイが思案した顔でこちらを見ている。
「どうした?」
「……夏のホリディって何か予定もう入れてる?」
「いや、まだ何も……俺は家族もいなくて一人だから、いつも最後に誰も取らない日程のところに休みを入れてるんだ……」
「そうなんだ。もし何も予定がないんだったら、僕とどこかに行かない……?」
はにかんだような笑顔で、レイがそう言う。
「……え? いいのか?」
「僕たちまだ旅行って行ってないし、どこかに一緒に行けたらな、って思って。どうせリチャード、長いお休み取るのは無理だろう? 近場で二、三日くらいで行けたらいいかな、って思ってるんだけど。僕はいつでも休もうと思えば休めるから……休み取れたら教えてよ」
「……そうだな、うん。分かった、休み取れたらすぐに言うよ。そうか、まだ一緒に旅行したことなかったもんな……」
リチャードはレイから一緒に旅行に行きたい、とねだられたのが嬉しくて、思わず自然に笑みが浮かぶ。その表情を見て、レイも恥ずかしそうに微笑み返した。
「もうビル(請求書)貰わないとだね。コーヒーは僕がご馳走するよ」
「いや、自分の分は自分で払うよ……」
財布をジャケットのポケットから出そうとしたリチャードの動きを制して、レイはグレイスが持ってきてくれたシルバーのトレイに、クレジットカードを載せる。
「リチャード、ここに来るのにキャブ使っただろう?」
「……そうだけど」
「徒歩でも10時ちょっと前にはMET庁舎から来られるのに、僕に早く会うためにわざわざキャブ使ってくれたから……これはキャブ代」
レイは支払いをカードで済ませると「もう10時だから、レセプションに行かないと」と立ち上がった。
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