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第6話
二人はレセプションで、10時に面会の約束があるとスタッフに告げる。
黒いスーツに身を包んだ金髪の女性が、どこかへ電話していたが、すぐに「そちらの扉を入って、手前にある右側の部屋に行って下さい」と教えてくれた。
リチャードは説明された通りに、女性が指し示した扉を開け、右手にある部屋のドアをノックする。中からすぐに「どうぞ、お入り下さい」と声がした。
そこは顧客用の応接室だった。
見るからに高級そうなソファセットと、調度品が置かれた部屋で、それほど広くはないが、利用する人間が心地良く感じるよう考え抜かれており、相当費用を掛けて作られていると分かる。
部屋のソファに、一人の東洋人が座っていた。グレーのスマートなスーツに身を包み、小柄で知的な印象の黒いつぶらな瞳が魅力的な青年だった。
二人が部屋に入るとすぐに彼は立ち上がり、流暢な英語で「来て頂いてありがとうございます。私はクラレンス・オークションハウスのアシスタント・マネージャーをしている、アキヒコ・スギハラです」と言った。
「METのAACUから来ました、リチャード・ジョーンズです。こちらはコンサルタントのレイモンド・ハーグリーブスさん。彼はアートの専門家で、我々の捜査に協力して貰っています」
「そうですか、分かりました。よろしくお願いします」
そう言って彼は、深々とお辞儀をする。慣れない二人は、その様子を見て戸惑ってしまった。
「ああ、すみません、つい癖で。日本人にとってお辞儀をするのは、呼吸をするのと同じぐらい自然な行為なんです」
「日本の方でしたか。日本人は礼儀正しいと聞いたことがありますが、本当なんですね」
リチャードは、柔らかく微笑むとそう言った。会話している相手の心を開かせる魔法の笑みだ。アキヒコもその魔法にかかった一人のようで、恥ずかしそうに俯くと「いえ……単なる癖ですから」と謙遜して言った。
それを横で見ていたレイが面白くなさそうに、こっそりとリチャードのジャケットの袖を引っ張って自分に注意を向け、耳元で囁く。
「……リチャード、場所をわきまえずにナンパするの止めてよ」
「なっ、ナンパなんかしてないだろ?!」
リチャードは慌てて、レイに小声で言い返す。
「あの……どうぞ、お二人ともお座り下さい」
アキヒコが、小声で言い争っている二人を不審そうに眺めながら、ソファに座るよう勧める。
「すみません……では失礼して」
リチャードは苦笑しながら、ソファに座る。
「それで……その、ミスター・シュギハラ……」
「ああ、アキと呼んでください。外国の方には、日本語の発音は難しいですから。特にSの発音は、言いにくいことこの上ないと思いますし」
「お言葉に甘えて、アキと呼ばせて貰います。日本語は難しいですね……」
リチャードはそう言いつつ、ジャケットのポケットから、小さなメモ帳とペンを取り出した。
「早速ですが、事件の概要をご説明頂けますか?」
「実は、先日のオークションで取り扱った商品に関して問題が起きまして……どうやら、贋作らしきものが紛れ込んでいたようなんです」
「贋作、ですか」
「ええ。ローゼンタール家のコレクションを、オークションにかけたのですが、その中の絵画の一点が贋作だったようなんです」
「ローゼンタール家……」
リチャードがメモを取りながらそう言う。彼には耳慣れない言葉だった。
「ローゼンタール家は第二次世界大戦時に、ドイツから英国に逃れてきたユダヤ系オーストリア人の名家で、アートコレクターとして有名だったんだ。逃れてくる際に、コレクションの一部は無事に英仏海峡を渡れたけれど、集めた八割の美術品はナチスドイツに接収されたと言われてる。その詳細は今でもはっきりとは分からないんだ」
レイはリチャードの方を向くと簡単に説明した。
「僕もそのオークションの話題はチェックしてましたよ。自分で競り落とせないのが悔しいので、どんなものが出品されるかまでは見ていませんけど。これまで門外不出だったコレクションの一部が公になるとあって、アートコレクターの間では噂の的でしたよね」
「ええ。お陰様でクラレンスのオークション史上、かつてないほどの注目を浴びて大成功でした」
「でも、ローゼンタールが自分のコレクションを手放すなんて思いもしなかったので、驚きましたよ」
レイはアキに問いかけるような口調で言う。
「……実はかつての名家も内情は少々苦しいようで、コレクションの一部を手放す必要があったようなんです。その辺りの詳しいお家の事情は、こちらでは関知しておりませんが」
「そうですか……今回は何点ほどの出品があったのでしょうか?」
「全部で二十五点です。ほとんどが絵画で、一部が彫刻、それと宝石の類いもありました」
「それで、その中に贋作が紛れ込んでいた、と」
「……そのようなんです。まったくもって、こちらの面目がない次第で」
そう言ってアキは目を伏せる。それもそうだろう、世界に名だたる老舗オークションハウスが贋作を扱ったともなれば、相当なダメージだ。とりあえずこの件は一般には伏せてあり、メディアには何の情報も流れていなかった。内々に処理出来るのであれば、そうして欲しい、と言うのがクラレンス側からMETへ出された要求だ。その為にAACUのリチャードとレイが派遣されたのだった。
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