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第7話
「贋作らしい、と言うのはどういうことでしょう?」
リチャードは、先ほどから疑問に思っていた事を口にする。はっきりと贋作だとはアキは言っていない。贋作らしい、としか表現していないのだ。
「こちらは贋作ではなく、真作だと思ってオークションにかけたのですが、競り落としたアートディーラーがあの絵は贋作だ、と後日こちらに連絡してきたのです」
「そうだったのですか。ところで、その絵は見せて頂けるのでしょうか?」
「それが……今こちらの手元にはないんです」
リチャードがおや、と言う顔をしてメモを書く手を止める。
「問題の絵は、競り落としたアートディーラーのところにありまして、こちらが代金を全額返金するので返品して欲しい、と連絡したのですが、返せないの一点張りで……」
どういうことだ? とリチャードは困惑する。大概このような状況に陥った場合、競り落とした人間が返金に応じて、円く事が収まるのが常識である。
「どうも、うちが知っていて贋作をオークションにかけたのではないか、と疑っているようなんです」
「どうしてですか? そんな事をしても、クラレンスの名前に傷が付くだけで、何の得にもならないじゃないですか」
「全くもってその通りなんです……ですから、こちらも困惑しているんですよ。まさかあれが贋作だとは思っておりませんでしたし。問題の作品を引き取って、贋作かどうかもう一度調べさせて欲しい、と交渉したのですが、あちらは贋作だ、の一点張りで返却してくれないんです。こちらの担当者が何度足を運んでも門前払いで、まともに話も聞いて貰えないような有様です。……実は競り落としたアートディーラーは、クラレンスの看板とローゼンタールの名前で目眩ましして、贋作を売りつけようとした、と妙な因縁を付けてきていまして……」
リチャードは納得した。返金に応じないのは、それ以上の見返りを期待しているからなのだ。
つまり何らかの賠償金をプラスして支払わない限り、贋作を手放さないぞ、という脅しをクラレンス側は受けていたのだ。
「そういう事情でしたか。分かりました。そのアートディーラーの名前と住所を教えていただけますか? こちらから穏便に返金要求に応じるよう、話をしてみますから」
「そうして頂けると大変助かります」
アキはホッとした顔でそう言うと、手にしたファイルからビジネスカードを取り出して、リチャードに渡す。
「デニス・モイヤー……こちらがアートディーラーの名前なんですね? レイは知ってる?」
「いや、初めて聞く名前。最近この業界も人の出入りが激しくてね。ギャラリー構えてやってる人ならまだ分かるけど、個人的にディーラー家業してたら、知らない人も結構いるんだ」
リチャードは、ビジネスカードの住所を確認する。そこには東ロンドンの住所が書かれていた。
「この辺りじゃないんですね……」
レイが覗き込んで不審そうな顔をした。
「ストラットフォード? アートディーラーにしては妙なところだな……ハックニーやショーディッチならまだ分かるんだけど……」
東ロンドンは、90年代後半からのロンドンの不動産ブームで開発が進んだ地域だ。それまでは貧困層が集まる地域で、犯罪率も高く、地元のロンドン市民ですら足を踏み入れるのを躊躇するような場所だった。それが不動産ブームによる開発により、次々と新しい高級フラットが立ち並び、周囲にはアート系、ファッション系の店舗やカフェ、レストランの出店が相次いだ。そのために、若い世代のロンドン市民がこぞってこの辺りに住居を定め、ちょっとしたお洒落エリアの誕生と相成ったのである。
だが、それも場所によって様々で、アート系、と言えばレイが口にしたような、ハックニー、ショーディッチ、と言った地区に集中している。逆にビジネスカードに記載されていたストラットフォードは、低所得者層向けのフラットが立ち並ぶ地域で、とてもアートディーラーがギャラリーを構えるような場所ではなかった。
「もしかしたら、事務所だけなのかもしれないな」
リチャードがそう言うと、レイも頷く。
「こんなところにギャラリー開いたって、お客なんて来ないよ」
リチャードは、レイを促して立ち上がる。
「それでは何か動きがありましたら、こちらから連絡しますので」
「どうぞよろしくお願いします」
アキも立ち上がると、また深々とお辞儀をした。
「あっ、すみません……癖で……」
お辞儀をしたのに気付いて、アキはすぐに顔を上げ、苦笑して言った。
「お気になさらないで下さい。では失礼します」
リチャードとレイは、オークションハウスを後にした。
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