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第9話
そこは事務所などと言う洒落たものではなく、ただのフラットの一室だった。随分掃除もしていないらしく、宅配ピザの箱やビールの缶が床に散乱している。ソファの上も脱ぎ捨てた服が積み重なって、とても二人が座れるようなスペースがないので、立ったままリチャードは質問を始める。デニスは、自分用の一人掛けソファにどっかりと腰を下ろした。
「贋作だと仰られている絵を、見せて頂きたいのですが……」
「ああ、その絵? そこに立てかけてあるから、勝手に見てよ」
デニスはビール缶を片手に顎をしゃくって、部屋の隅を指し示す。
レイが振り返ってそちら側を見ると、後ろ向きの額入りの絵が、無造作に壁に立てかけられていた。あまりにもぞんざいな扱いに、リチャードは驚く。世界的に有名なコレクターからオークションで競り落とした高額な絵なのに、こんな保管状態で良いのだろうか? アートに詳しくないリチャードですら、おかしいのではと疑問に思う。
レイは立てかけられた額を間近に見ると、一瞬何かに気付いたように動きを止めたが、ゆっくりと手を伸ばして取り上げ、絵を確認するために表側に返した。
絵を見た瞬間、レイの息が止まる。
「……これは」
絵には聖母子が描かれていた。サイズは10号サイズ程の絵画だ。レイは左手で絵を抱え額を自分の体を支点にして支えると、右手で絵の表面を軽くさらっと撫でる。
そして表情を強ばらせたまま、じっと目を懲らして絵を見つめていた。
「……レイ、どうした?」
絵筆のタッチをなぞるレイの指が震えている。
「レイ?」
リチャードの問い掛けに答えることなく、今にも泣き出しそうな顔のレイは、目を見開いて絵を見つめ続けていた。
心配になったリチャードが、レイの肩を掴んで、耳元で「どうしたんだ?」と尋ねる。
ハッとなったレイがリチャードの方を向いて「な、何でもない……」と、やっと口を開いたが、その声は震えていた。どう見ても彼の様子は普通ではない。リチャードは不安になった。
「その絵、偽物なのか?」
「……多分。科学的証拠が必要だったら、詳細はコートールド・インスティテュートのラボに持ち込んだら、すぐに調べて貰える筈。あそこは最新機材が揃っているし、一日あれば判定結果が出ると思う。ラボに知り合いがいるから電話して、アポ取っておくよ」
「そうか、頼む」
「どうですー? それ偽物でしょ? 分かったらクラレンスの連中に、金払うように交渉して貰えませんかねえ?」
デニスは、缶ビールを呷りながら言った。
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