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第10話

「まだ贋作と決定的に決まったわけではありません。こちらは証拠品として、警察で預からせて頂きますので」  リチャードはデニスの方を向くと、厳然とした態度で言った。これにデニスが慌てる。 「何言ってるんだよ、大事な虎の子を、そんな簡単に手放す訳ないだろう?! それがなかったら、金だって手に入んないんだし」 「これは大事な証拠品ですから。あまり反抗されるようでしたら、公務執行妨害で逮捕しますよ?」 「くっそ、警察はやり方が汚えんだよ」 「あなたさっきから聞いてたら、まるで最初からお金目的で、この絵を手に入れたみたいですよね? どういうことですか?」 「どういうことも、こういうこともねえよ。その絵が気に入ったから、競り落としただけだろう? いちゃもん付けるなら、もう帰れよ」  デニスは飲み終わったビールの缶を、リチャードに向かって投げつける。リチャードはすっと身を躱して缶を避けた。カラン、と音がして缶が壁に当たって床に転がる。 「あんた取り澄ましてて、気に入らねえんだよ。本当に警察か? 警察って顔してねえだろ」 「余計なお世話ですよ。とにかく絵はこちらで預かります」 「分かったよ! もう帰れ、帰れ、お前達見てたら酒がまずくなる!」  デニスは床から新しいビール缶を取り上げ、プルタブを開けると飲み出す。  リチャードはレイを促してフラットを出た。  フラットの建物を出たところで、リチャードは様子がおかしいレイが気になり、声を掛ける。 「レイ、どうしたんだ? その絵、何かあるのか?」 「う、ううん。何にもないよ。ただ、すごく良く出来た贋作だから、びっくりしちゃって。これだったらクラレンスが騙されるのも無理ない……」 「でもレイは贋作だってすぐに分かったんだろう? やっぱりすごいな」  リチャードは感心して言った。その言葉にびくっとレイは反応して、リチャードの顔を見つめる。 「……すごくなんかないよ」 「え?」  レイの呟くような言葉がよく聞き取れず、リチャードは聞き返したが、レイは黙り込んでしまった。 「とりあえず、この絵はコートールド・インスティテュートのラボに持ち込まないとだな。……タクシー!」  丁度通りかかったブラックキャブを、リチャードは呼び止めると「サマセットハウスのコートールド・ギャラリーまで」と言って、レイと共に乗り込む。  レイは絵を抱えたまま黙り込んでいた。何かを恐れているような表情を浮かべる彼を見て、リチャードは言われようのない不安に襲われる。 「レイ……? どうしたんだ、一体」 「……何でもない。ごめん、今は何も聞かないで」  レイはそう言って、窓の外へ視線を向けてしまう。リチャードはそれ以上、何も尋ねられなくなってしまった。  そして沈黙が車内を支配したまま、車はコートールド・ギャラリーへ到着する。  リチャードが乗車賃を支払い、レイの方を振り返ると、彼は強ばった表情のまま絵をリチャードに突き出す。 「悪いんだけど、僕ちょっと用事思い出しちゃって。ラボにはリチャード一人で行ってくれる? アポはちゃんと取ってあるから」 「あ、いや、それは構わないんだけど……レイ?」  リチャードが絵を受け取ると、レイは後ろを振り返らず走って行ってしまった。 「レイ!」  リチャードの声など、まるで聞こえていないかのように、振り切って走り去る彼の姿は、すでにロンドンの雑踏の中に消えていた。

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