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第27話
僕は……その時は嫌じゃなかったんだ。熱心に色々教えてくれる彼に、好意を持っていた。それに彼を拒絶して、嫌な気分にさせたくなかった。ジュリアンは唇を離すと「可愛い僕のレイモンド……」と言い、うっとりとした表情で頬を優しく撫でてくれた。
丁度、僕はその時苦しい片思いをしていた。
警視総監である叔父さんのお供で、一年前に参列したヘンドン(MET警察学校の通称)の卒業セレモニーに行った時にリチャード・ジョーンズという男性に一目惚れして、それからずっと彼だけを想い続けていた。
叔父さんに、自分が協力しているAACUのスタッフにして貰えないか、と頼んだものの、すでに配属先が決まっているから、と断られ、それ以来ずっと遠くから彼を眺めるだけの日々が続いていた。
そんな苦しい気持ちに押し潰されそうになっていたから、ジュリアンに優しくされて、思わずふらついてしまったのかもしれない。
ジュリアンは僕の髪に触れると、もう一度キスしようとした。でもその時、脳裏にふいにリチャードの姿が思い浮かんで、思わず彼を突き飛ばしてしまったんだ。
ジュリアンは驚いた顔をして、僕を見つめていた。
「あ……ぼ、僕、そんなつもりじゃ……」
僕は慌てて彼にそう言うと「……今日はもう帰る」と、その場を逃げ出した。
ジュリアンのギャラリーを後にして急いで自分の家に戻り、部屋に入るとソファに身を投げ出して頭を抱えた。
今だから正直に言うよ。何であんな簡単に、彼にキスなんかさせたのか、って後悔の気持ちで一杯だった。
翌日、僕は無断欠勤した。とてもじゃないけど、ジュリアンの顔をまともに見られる気がしなかったんだ。彼にまた迫られたら、どうしていいか分からなかった。このまま彼の言うなりになるのが、一番簡単な答えだったんだろう。でも、考えれば考えるほど、リチャードへの気持ちが募るのを感じていた。
最初から答えは決まっていたんだ。
僕はリチャードが好きで、例え振り向いて貰えなくても、それでも彼を想っていたかった。もしも彼が僕の存在に、一生気付かなかったとしても。
次の日は覚悟を決めて、ジュリアンのギャラリーへ行った。
彼から関係を迫られたら、はっきりと断るつもりだった。でも拍子抜けしたことに、ジュリアンは何も言わなかったんだ。
僕がギャラリーに着いて、ジュリアンに前日無断欠勤したことを謝ると、仕方ないな、という顔をして「気にしなくて良いよ」と短く答えただけだった。
そして、彼はいつもと同じように、業務のあれこれを教えてくれた。その様子が普段と変わらなかったから、もしかしたら僕を諦めてくれたんだろうか、とその時は単純にそう思っただけだった。
本当にその時の僕は、世間知らずのただの甘いお坊ちゃんだったんだ。
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