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第29話
彼は、僕に一枚のビジネスカードを渡した。
そこには『ギャラリー・パーマー』という名前と住所が書かれていた。
「この店に行って『トリノの聖母子』という絵を購入して来て欲しいんだ。初期イタリアルネサンスの作品で、作者は不明だが、いい絵だよ。きっと、きみも見たら気に入ると思う」
「……価格はどれくらいを予想してるの?」
「三万五千ポンド」
「初期イタリアルネサンスの絵画で、作者不明であれば、妥当な線だね」
「これ以上は出したくない、と言われてるから、この価格内で商談をまとめてきてくれ」
「分かった」
僕はわくわくしてギャラリーを出た。ジュリアンが、面会予定も入れておいてくれたから、その時間に行って話を付けてくるだけで良かったんだ。こんなに簡単な試験でいいのだろうか、と正直不安になった。でも僕を素人だと信じているジュリアンにしてみたら、きっとこの試験でもかなりハードルが高いつもりなんじゃないか、とも思った。
本当に……甘かったよ。
ギャラリー・パーマーは、ボンドストリートにあった。この老舗のギャラリーの名前は、ちらりと聞いた覚えがあったけど、ビジネスをローリーに任せ切りにしていたので、詳しい事は何も知らなかった。
ボンドストリートに店を構えるくらいだから、相当羽振りが良いのだろうな、と僕は思いつつ、ドアの脇にあるベルを押した。すぐに解錠する音がしたので、中に入ると……意外にも、あまり流行っているギャラリーとは思えなかった。閑散とした店内。お客さんがいるいない、とかじゃなくて、雰囲気でこのギャラリーは流行ってる、流行ってない、と分かるものがあるんだけど、ここは明らかに後者だった。
壁に掛けられている絵は、印象派の三流画家の作品ばかり。
それはジュリアンのギャラリーも同じだったんだけど、彼のギャラリーには何故か活気があった。だから僕も惹かれて店内に入ったんだけど。
でもここは違った。
まるで、随分昔に時が止まってしまったかのような場所だった。
しん……と静まりかえった店内。時計の音だけがカチコチと物悲しく響いている。店内の什器も時代遅れのデザインですっかり色褪せていた。
アンティーク風になっている、と言えば聞こえがいいけれど、多分新しい什器を買うだけの金銭的な余裕がないんだろう、と僕にはすぐに分かった。
「テイラーさんのところの方ですね?」
僕が呆気に取られて店内を見ていたら、声を掛けられた。
振り返ると、事務所として使っているらしい小部屋から、若い男性が出てきた。
年の頃はジュリアンよりも少し若いくらい。僕よりは明らかに年上で、眼鏡を掛けたブラウンヘアの物静かで優しそうな男性だった。
「ここのオーナーのアルフィー・パーマーです」
彼は右手を僕に差し出した。僕は軽く握り返して「テイラーさんの使いで来ましたレイモンドです」と答えた。
「どうぞこちらへ。狭いですが、すみません」
彼はギャラリー奥にある部屋に僕を通してくれた。
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