31 / 82
第31話
僕は絵をじっくりと眺める。
実は、初見の時にちょっと引っ掛かった部分があったんだ。だからもっと詳しく間近で絵を見て確認したかった。
僕は聖母マリアの青いヴェールに指を走らせた。何故か、とてもその部分が気になったんだ。
そこは絵の中で最初に感じた違和感だった。じっと見つめているうちに、その違和感がじわじわと、次第に絵全体に広がって行くような感覚に僕は陥っていた。何かが違う。それが、何なのか見極められそうな気がした……と、その時にふと視線を感じて目線を上げると、アルフィーが心配そうな顔をして僕を見つめていた。そして間髪入れずに「値段の件なのですが……」と尋ねてくる。
僕は古びた店内の様子を思い出していた。多分、このギャラリーは資金繰りに苦労してるに違いない。だから早く商談をまとめたがっているのだ。だとすれば、こちらのチャンスではないか、と思い付いた。
相手の足元を見ているようで、少し気乗りがしなかったけれど、ジュリアンに僕を認めさせる良いチャンスだった。
「そちらの言い値は、お幾らなのでしょう?」
僕は自信たっぷりに堂々とした態度で尋ねる。素人臭さを出したら負けだ。
「ご、五万ポンドでどうでしょう?」
おずおずと彼がそう言った。
「……二万五千ポンドでは?」
僕は彼の言った値段の半分の金額を提示した。アルフィーは、僕の態度に少し驚いたようだった。きっとお使いの人間に過ぎないのだから、適当にあしらえると思っていたのだろう。
「あの……四万ポンドでいかがでしょうか?」
明らかにアルフィーは自信を失っていた。
交渉の席では自信を先に失った方が負けだ。僕は心の中で密かに「チェックメイト」と呟いた。
「三万ポンド。これ以上は出しません」
「……分かりました。いいでしょう、そのお値段でお譲りします」
アルフィーは、どこかホッとしたような表情を浮かべた。きっと彼の中の最低ラインの金額だったのに違いない。
「入金を確認後、絵はテイラーさんのところへ直接お届けにあがります。テイラーさんにどうぞよろしくお伝えください」
アルフィーは僕に握手を求めてきたので、握り返して挨拶する。
「レイモンドさん、あなたは良いディーラーになりますよ。僕が保証します」
彼はそう言って、にっこりと微笑んだ。
「あ……ありがとうございます」
僕はその時てっきり商談が上手くまとまったので、彼も気分が良くて、それで笑顔で褒めてくれたんだと、そう思い込んでいた。
でも本当は違ったんだ。彼の言葉の意味が分かったのは、もっと後でのことだった。
ともだちにシェアしよう!