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第32話

 僕はジュリアンのところへ、上機嫌で戻った。  ギャラリーに入ると、彼は僕の様子を見て商談が上手くいったと、すぐに悟ってくれた。 「レイモンド、どうやらきみは、卒業試験に無事合格したらしいな」 「三万ポンドで手を打ってきた」 「……やるなあ。もしも僕がその場にいたとしても、同じ値段で契約を決めていただろう。単に、安く手に入れられればいいというものでもないんだ。アートには適正価格がある。もし今回の絵がそれ以下の金額だったら、顧客にその価値しかない、と思わせてしまうからね。売り手と買い手が満足いくギリギリのラインの価格だ。レイモンド、きちんと正解を出せたね。……おめでとう、きみはもう立派なアートディーラーだよ。祝杯をあげないといけないな」  そう言って、ジュリアンはオフィスへ入った後、手にシャンパンボトルとグラスを二つ持ってすぐに出てきた。 「僕は、きみがちゃんと合格出来るって信じてたから、とっておきの一本を用意して待っていたんだよ。……レイモンド、シャンパン好きだろう?」  ジュリアンは手に持ったシャンパンのボトルを、僕の目の前に掲げて見せてくれた。 「……すごい、こんな上等なの飲んだことないよ」 「ちょっとしたルートで手に入れてね。すべてきみのためだよ」  にっこりとジュリアンは笑うと、シャンパンを開け、グラスに注いで僕に手渡してくれた。 「……ありがと」  僕はジュリアンとグラスを軽く触れ合わせて乾杯した。チン、と軽やかな音がする。シャンパン用のフルートグラスも、すごく良い物を使っていた。 「僕から学ぶことは、もう何もなくなってしまったね。明日からは……来ないつもり?」  ジュリアンは少し寂しそうに言った。  僕は彼の顔を見つめる。  確かに、彼からアートディーラーの仕事について学ぶべきものは、もう何もなかった。明日からここへ来る理由は何もないのだ。そういう日が、遅かれ早かれやって来るのは分かっていた。  僕は何も言わずに黙っていた。黙っているしかなかった。本当はギャラリーオーナーで、自分の店を持ってるなんて、口が裂けても言えなかった。  ジュリアンに本当のことを正直に言いたい、という自分と、黙って彼の前から消え去るべきだ、と告げる自分がいた。  どちらを選ぶべきなのか…… 「……レイモンド、きみがもしその気なら、僕の店でアシスタントディレクターをやらないか? 経験を積んだら、店を持たせてあげてもいい。僕はきみと一緒にいたいんだ」  ジュリアンは僕の腰に手を回して、自分の方へ引き寄せた。  僕はその問いには答えられなかった。彼を騙してる、と思うと申し訳なくて、胸が張り裂けそうだった。 「こんなに誰か一人に夢中になったのは初めてなんだ。……レイモンド、お願いだからイエス、って言っておくれ」  ジュリアンは真剣な表情で、僕にそう問いかけてくる。  僕は覚悟を決めた。 「ごめん、僕はもうここには来られない……ジュリアンを好きだけど、その好きは付き合いたいとか、恋愛関係になりたい感情とは違うんだ……」 「レイモンド……」  ジュリアンはがっかりした顔をして、僕から手を離した。 「こんなに僕はきみを可愛がってあげてるのに、それでもきみは僕を好きになってはくれないのか?」 「ジュリアンは……僕の先生だから……」 「はっ、先生か。レイモンド、良いことを言うね。だったら僕がきみに男の味を教えてあげるよ」

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