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第38話

「それと、きみの卒業試験だけど」 「……どうして、それ知ってるの?」  僕は驚いてローリーの顔を見つめた。彼は僕の問いには答えようとせず、話を続ける。 「あのトリノの聖母子は……あの絵は、最初から贋作をきみに扱わせるつもりで用意されてたんだよ」 「……え?」  僕は言葉を失う。  最初から贋作って分かって、それで僕に商談に行けって……一体どういう事だったんだ? 僕の頭は混乱していた。 「……ここからの話は、叔父さんの直属の部下が内密に捜査した内容だから、僕たちだけの心の中に留めておくんだ。いいね」  やはりローリーは叔父さんに相談していたのか、と納得した。そうでなければ、こんな短時間にこれだけの事実が分かる筈がない。  僕はローリーの言葉に素直に頷いた。  そうでなくても、自分が起こした失態で十分過ぎるくらい傷ついていたし、ローリーにも叔父さんにも迷惑を掛けていた。今ここでローリーから聞いた話は、自分の心の奥底に葬り去るつもりでいた。 「本物のトリノの聖母子は、あるコレクターの手元にある。これはもう何十年も、そのコレクターの元を離れていないから確かだ。それをジュリアンは知っていた。知っていてきみを引っ掛けるために贋作を用意した。そして顧客がトリノの聖母子を欲しがっているから、という芝居を打ってきみに購入の交渉をさせたんだ。つまり彼は最初からきみが目的で、あんな猿芝居をしたんだよ」 「……僕が目的?」 「そう。病院に世話になった日に何があったか、覚えてる?」 「……忘れる訳ない」 「あの時、レイは薬を盛られていただろう? その意味はよく分かってるよね?」 「……うん」  あの時、薬を盛られていた意味は一つしかない。ジュリアンは自分の欲望を果たす為に、僕に薬を飲ませて体の自由を奪おうとしていたのだ。 「病院側に事を公にしないよう、説得するのに骨を折ったんだからな。最後には仕方なくて叔父さんの力を借りる羽目になったけど」 「……その頃からジュリアンを調べてたの?」 「当たり前だろう? レイは自覚がなかったかもしれないけど、もう少しで死ぬところだったんだ。僕が心配して叔父さんに話したとしても、それは当然だよ」 「分かってる」 「とにかく、叔父さんの部下がその後、彼を調べて、後ろ暗いところがある人間だって分かったから、僕も注意はしてたんだけど、まさかうちのギャラリーにまで乗り込んでくるとは思ってなかったから驚いたよ。あっちもレイがギャラリーオーナーだと知って、随分驚いてたみたいだけど」  そこまで調べて知っていたのか、と僕は驚いていた。でも黙って、そのままローリーの話を聞く。 「とにかく卒業試験の話が気になったから、そっちも調べて貰ったんだ」 「……ねえ、ローリー本当はあの時、もっと早くからギャラリーの中にいたんじゃないの?」  僕は彼に疑問を投げかける。  確かあの時、ローリーが声を掛けてきたのは、僕が床に押し倒された後だった。でもジュリアンが卒業試験の話をしたのは、そのもっと前だった筈。 「ああ、そうだね。そうだったかも……」  ローリーは言葉を濁す。僕は唖然として彼を見つめた。 「何でもっと早く助けてくれなかったの?」 「肝心な話はきちんと最後まで聞いておかないと。捜査してもらう時の材料が必要だろう?」 「……」  僕は呆然としてしまった。じゃあ、ローリーは僕が押し倒されて、ジュリアンに好きにされているのを黙って見てたのか…… 「悪く思うな、レイ。これもきみを助けるためだったんだから。現にその後ちゃんと僕は助けてあげただろう?」 「……まあ、そうなんだけど」 「とにかく、あの絵は最初から贋作と分かっていて、きみを騙すためだけにあの場が設けられていた。……だけど僕が疑問なのは、何であれが偽物だって分からなかったんだ? レイは真贋を見極める能力は、人並み以上にあるだろう? 少なくとも僕はそう思っていたんだけど?」  僕はローリーの問いに答えられなかった。まさかジュリアンに良いところを見せたいと焦ったせいで、その時真贋を判断する目が曇っていたなんて、とてもじゃないけど言うのは無理だった。

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