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第58話
「……あの絵が……トリノの聖母子が、贋作だとは聞いていませんでした。でも見た時にどこかおかしいとは気付いたんです。だけど、あの当時の僕は未熟すぎて、それを見極めるだけの技量がありませんでした。そして、それを言うだけの度胸もなかったんです」
レイは苦しそうに胸の内を口にする。アキは無表情のまま、レイの言葉を聞くと、話を続けた。
「あなたたちは商談を上手くまとめて、そしてそれで、仕事は全て終わった筈でした。ところが翌日、あの男が怒って店に怒鳴り込んできたんです。卒業試験は失敗だった、と。アルフィーは呆然としていました。無事に成功して終わったと思っていたのに、終わるどころか、それが悪夢の始まりだったんですから……」
アキは頭を右手で抱えた。
失敗、というのはレイがジュリアンの言いなりにならなかったのを指していたのだろう、とリチャードにはすぐに分かった。
「あの男は、領収書をアルフィーの目の前に叩き付け、一週間以内に支払え、と言ってきました。アルフィーは何とか金策をつけようとしましたが、先代の頃付き合いがあった人たちとは、すでに疎遠になっていて、とても借金を頼めるような状態ではありませんでした。そして数日後、思いがけない来客がギャラリーにあったんです。スーツをきっちりと着こなして、スマートな身なりでしたが、普通の会社員ではなさそうだ、というのは一目見て分かりました。それは彼の身のこなしや、目付きの鋭さから分かったんです。口元には、柔和な笑顔を浮かべていましたが、その視線は何でも見通してしまいそうな程、厳しいものでした。彼は店に入ってくると、丁度その場にいた僕に『オーナーはいますか?』と丁寧な口調で尋ねてきました。僕がアルフィーを呼んでくると、彼は『ロンドン警視庁のシドニー警部補です』と名乗りました」
アキの言葉を聞くと、レイは「彼だったのか……」と驚いて声を上げた。
シドニー警部補は、レイの叔父であるロバート・ハーグリーブス警視総監の秘書官を務める人物だ。三十代半ばで切れ者との評判だが、表立つのを好まない性格が災いし、MET内では埋もれた地味な存在だった。だが逆に、そこをハーグリーブス警視総監は気に入って、自分の秘書官に引き抜いたのだ。
そのシドニー警部補が、ギャラリー・パーマーを訪れていた。
間違いなく、ジュリアンがレイを彼のギャラリーで暴行した件が、引き金になっていた。あの事件を、ローリーが叔父であるハーグリーブス警視総監に伝え、そして警視総監は、自分の直属の部下であるシドニー警部補に、内密に捜査を依頼したのだ。
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