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第63話
16.
レイとリチャードは、クラレンス・オークションハウスの前からブラック・キャブを拾うと、ストランドにあるギャラリー・テイラーへ向かった。ジュリアンが店にいるかどうかを確認するのを忘れた、とキャブに乗ってからリチャードは思ったが、いなければいないでその時だ、と思い直す。
10分ほどで目的地に到着し、店の前に車を寄せて停車して貰う。
今日はよく移動する日だな、とリチャードは思いながら運賃を支払った。レイは、ギャラリーの入り口脇にあるインターフォンをすでに押している。
しばらく時間を置いてドアが解錠されると、レイはドアを押し開けて中に入った。
ギャラリーの中は、いまだにペンキを塗ったばかりのようなにおいが漂っていた。壁の色は濃いグリーン。照明も薄暗いので、余計に部屋の中が暗く感じる。壁に掛けられているのは20世紀の抽象画が中心で、リチャードはそれらを見たが、何が描かれているのかさっぱり分からない作品ばかりだった。彼の苦手なモダンアートの部類だ。
「レイモンド、きみの方から僕を訪ねてくれるなんて嬉しいね」
声がした方向を見ると、腕を組んだジュリアンが窓際に立って、こちらをじっと見ていた。きっとリチャードとレイがキャブで乗り付けてくるところから、ずっと見ていたに違いない。
「……昔に比べたら、扱う絵の趣味が良くなったんじゃない?」
「昔から僕の趣味は良かったと思ってるけど? だからきみは僕のギャラリーに、あの時入って来てくれたんじゃなかったの?」
「あんな今時売れないような、三流印象派の作品ばっかり扱ってるギャラリーなんて珍しいから、逆に気になって入っただけだよ」
「相変わらず手厳しいね。……だけど、きみはあの絵をとても気に入ってたじゃないか。聖母マリアの受胎告知の絵。あの絵をじっと見つめていたきみは、まるで絵から抜け出てきた天使のように美しかった」
ジュリアンの言葉にレイの表情が変わる。ゆるゆるとジュリアンの方へ顔を向けたレイの瞳は、辛そうな色を浮かべて揺らめいていた。
「……なんで? どうして、そんなこと言うの?」
「J'e t'aime mon ange mignon」(愛しているよ、僕の可愛い天使)
レイはジュリアンの言葉を聞くと、漏れそうになる嗚咽を堪えようとするように、口元を手で押さえ、大きな榛色の瞳に涙をいっぱいに溜めて、ギャラリーを飛び出していった。
「レイ!」
リチャードは後を追おうか、と一瞬体をドアの方へ向けたが、気を変えてジュリアンと向き合う。
「刑事さんが、わざわざ僕のギャラリーまで来てくれたってことは、パーティを台無しにした犯人が分かったんでしょうか?」
「ええ、まあそんなところです」
リチャードは、睨み付けるようなジュリアンの視線をまともに受けたが、怯まずに見つめ返す。
「へえ、それで一体どこの誰だったんです? ……レイモンドじゃないのは、確かなんですか?」
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