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第69話
―エピローグ―
1週間後、リチャードはAACUのオフィスで書類仕事に追われていた。クラレンス・オークションハウスのトリノの聖母子事件にかかりきりだった間に、チェックしなければならないもの、サインしなければならないもの、更に自分がまとめなければならない書類が、デスクのトレイに山積みになっていた。一件ずつ目を通しては、自分で留め置いていいもの、上司であるスペンサー警部に引き渡さなければならないもの、ファイリングするもの、スタッフのうちの誰かに差し戻すもの、と仕分けしていかなければならず、書類仕事が苦手なリチャードは頭を抱えていた。
「苦戦してるわねえ、警部補殿」
「……俺、こういうの向いてないんだよ」
「昔から外回り好きだもんね」
「そうなんだよ。現場の仕事の方が俺には向いてるんだって」
「はい、これ」
セーラがそう言って、リチャードにファイルを手渡す。
「……仕事が降ってきた」
「そう、がっかりしなさんなって。これは目を通した後サインして貰ったら、ファイルしていいものだから」
リチャードがファイルを開くと、事件の調書が入っていた。
「この間のクラレンスの件のアキの調書よ。結局クラレンス側は事件にしたくないから、この件は取り下げるってことで終了したわ」
「……アキはどうなったんだ?」
「彼はクラレンスを辞職したわ。……そりゃそうよね、正式な事件にならなかったとはいえ、一歩間違えれば、世界のクラレンスの名声を失墜させるところだったんだから」
「そうか……」
リチャードは、黒い瞳が印象的な、東洋人の真面目な青年を思い出していた。礼儀正しく、人当たりが良かったが、どこか影がある人物だった。日本人を彼以外に知らないが、日本人というのはあんな感じの国民性なのだろうか、とふと考える。
「彼、日本に帰国するそうよ。学生時代から、二十年近く日本には戻ってなかったんですって。両親も年老いているし、この機会を逃したら二度と戻らないかもしれないから、って言ってたわ。それに日本での就職先も、もうすでに決まってるそうよ。意外と彼、しっかり者だったわね」
「そうなんだ」
「日本の美術大学の講師をするんですって。元々は画家になるためにこの国に学びに来ていたんだから、得た知識をこれからの未来の画家達に託せるのは、彼としては本望なんじゃないの?」
アキがアルフィーの絵を見て、自分には才能がないから画家の夢を諦めた、と語っていたのをリチャードは思い出す。彼のジュリアン・テイラーへの復讐が失敗した今となっては、もうこの国にしがみついている必要もないのだろう。彼はアルフィーとの思い出だけを胸にして、東の果てに位置する自分の生まれ故郷へ帰って行く。
いや、本当はアキにしてみたら、この国に居続けるのは、ジュリアンへの復讐心を持ち続けるのを要求される苦行だったのではないだろうか。
それを思えば、彼との楽しかった頃の思い出だけを携えて、自分の国へ、彼の現実世界へ戻れるのは、幸せな旅立ちなのかもしれない。
「ねえ、リチャード、そう言えばジュリアン・テイラーだけど……」
「ん? 彼がどうかしたのか?」
リチャードはジュリアンの名前を聞いて、一瞬どきり、としたが、内心の動揺を悟られないようにしてセーラを見る。
「……彼、ベルリンに行ったらしいわよ」
「本当か?」
「ええ。ロンドンのギャラリーは人を雇って任せて、自分はベルリンに戻ったんですって。やっぱり、この事件に少なからず関わっていたのが原因かしらね」
「そうかもしれないな。……いなくなってくれれば、それはそれでいいんだけど」
「レイくんが気になってるの?」
セーラは詳細までは聞いていなかったが、過去にレイとジュリアンに少なからぬ因縁があったという話だけは、リチャードから聞いて知っていた。
「ああ。彼の心を乱すような真似は、二度として欲しくないから」
これはリチャードの本音だった。
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