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第79話
「ねえ、浮気はもう止めてよね」
「は、はあ? 俺がいつ浮気したんだよ?」
「ブルック巡査とランチ行っただろう? さっきその話したばっかりじゃないか。もう忘れたの?」
そうだった、とリチャードは思いだした。先ほどまでいたパブで散々レイに、サーシャとランチに行ったことを厳しく責められたのだ。
「忘れてないよ。って言うか、あれは浮気じゃなくて、同僚とランチに行ったってだけのことだろう? そんなに言わなくても……」
「それが危険なんじゃないか。最初は軽いノリでランチとか行っちゃって、そこからずるずると深みにはまるのが浮気の方程式だろ?」
妙なテンションのレイの発言に、リチャードはたじろぐ。
「……とにかく何と言われても、俺は浮気はしてないし、するつもりもないから」
「じゃあ約束してよ」
「な、何を?」
「だから、浮気しないってちゃんと言葉に出して約束してってば」
「し、しません。浮気は絶対にしないから」
思いあまった表情だったレイは、ようやくその言葉を聞いて安心したようで、立ち尽くしていたリチャードの両手を取ってにっこりと笑顔を浮かべる。
「僕のこと怖いって思った?」
「いや……嫉妬する恋人ってこんななのか、って改めて認識した……」
「嫉妬深い恋人は嫌い?」
「嫌いじゃないけど」
「けど、何?」
「いや、俺もこんなだったのかな、って」
元々リチャードがサーシャとランチに行ったのも、レイがジュリアン・テイラーと一緒に居るのかもしれない、と思い込んで嫉妬したのが原因だった。そのことを思えば、レイの直接自分に向けてくる嫉妬心なんて、まだ可愛いらしいものなのかもしれない。
「……リチャードが嫉妬するなんて、思ってもみなかったから、ちょっと新鮮だったよ?」
レイは少しだけ遠い目をしてそう言った。彼の心の中には今もあのブルネットの気取った男の姿があるのだろうか、リチャードはそれを思うと、やはりもやもやとした微妙な気持ちになるのだ。
――ああ、みっともないよな。
リチャードはそんな気持ちを忘れようと、目の前の恋人に視線を向ける。彼は身を屈めてTV台の下の棚から一本のDVDを抜き出すところだった。
「これにしようよ」
それは現在までに公開されている007のシリーズの中では、最新のものだった。
「まだ見ていないのか?」
「ううん、もうTVで見たけど、他のに比べたら見てる回数が少ないから」
「……確かに」
英国では大人気のスパイ映画007はまさに国民的映画とも言うべき存在で、それこそ繰り返しシリーズ全作がTVで放映され続けている。
美男で超人的な能力を持つジェイムス・ボンドは本国英国では、絶対的人気を誇っているのだ。
レイはTVのスイッチをONにすると、DVDプレイヤーをスタートさせる。
お決まりのタイトルロールとテーマソング。
銃口を象った画面にジェイムス・ボンドのシルエットが浮かんで、見ている観客に向かって銃を向け発砲すると映画がスタートする。
しばらくの間二人は黙って映画に見入っていたが、ふとレイが口を開く。
「ねえ、Qってさ僕にちょっと似てない?」
Qと言うのは007シリーズに登場する準レギュラーキャラクターで、主人公ジェイムス・ボンドを助けるMI6のメンバーの一人である。機械やコンピューターに強く、様々な新しいスパイ用の器具や武器を開発するのが彼の役割だった。
「いや、Qよりレイの方が全然可愛いだろ?」
「……リチャード、酔ってんの?」
リチャードが隣に座っているレイを見ると、怪訝な顔でこちらを覗き込んでいた。
「……いや、今日はそんなに飲んでないけど?」
そう答えるのと同時に、フラットのドアベルが鳴る。
「ピザ来たよ!」
レイがはしゃいで言う。リチャードは立ち上がって、財布をコーヒーテーブルの上から取り上げると受け取りに行った。
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