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第5話

「麦ちゃん、」 「……っ」 「って、呼んでもいいですか?」 「ちゃん、は、やめてほしい……」 「そっか」 トイレから出てベンチに座るまでも腰に手を回し体を支えた。もう恥ずかしいを通り越してしまったのか、俺が触れても何も抵抗しないし、涙も止まったようだ。可哀想なくらいに目が腫れてしまっているけれど。 「シマって漢字はどっちです? 普通に島? それとも山に鳥の方の嶋? 会社勤めなら名刺くださいよ」 「えっ、」 「これっきりにした方がいいって思っていた自分は消えまして。忘れたくても忘れられないと思うし、電車に乗る度に思い出したり、うっかり同じ車両になって顔を合わせた時とかに気まずくなるよりも、友人として仲良くする方が良いんじゃあないかなぁって」 「どういう……」 くるりと体ごと向けて滅茶苦茶なその言葉をぶつければ、男性は怒ることもなく意味を理解しようとして首を傾げた。こんなにも素直でこの人は大丈夫なのだろうか。人柄も体も素直すぎだろう。 散々な体験をした人に対して生意気なことを言っているのだから、一度くらい怒鳴ればいいのに。トイレでのあの抵抗も怒ってのことではないし。 「出会い方は最悪だったよねーあははーって笑える関係になった方が今後のことを考えるといいのでは? ってことですよ。言ってること滅茶苦茶ですけど、ああいうことをした仲なわけですし、きっと仲良くなれると思わない?」 鞄の中から昨日買ったガムのボトルを取り出して、男性の前に差し出すとためらうことなくこれにも手を伸ばした。つくづく助けたのが俺で良かったと思ってしまう。 「助けてもらった側だから偉そうなこと言えないけれど、何でその……そういう話しをする時とか、ああいうことしてる時だけタメ口でちょっと上からなの……? 慣れてるから余裕ってこと? 何かの作戦?」 「何かの作戦って、何の? むしろ俺が聞きたい」 「うっ……、君も弱みを見せてくれるのなら、そういう関係も有りかなぁ……。俺だけこんな醜態晒してしまって、それで友人ってのは何か嫌だ」 そんなことを言われても、教えられる弱みは何もない。と言うか、そもそも弱みって教えるものではないだろう。 「友人になってから、俺の弱みを自分で探したらいいんじゃあないですか? それともまたトイレに戻る? 俺のも見せた方がいいの?」 「……っ、いい! そういうことではないからっ、み、見せないで」 目をぎゅうっと瞑って、顔の前で手を振って拒否を見せるその男性に思わず笑みがこぼれた。この人は一体何なんだ。色々と面白すぎだろう。ほっとけなくなるし、からかいたくなる。

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