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 放課後。  阿佐美には生徒会室に寄ることを告げ、別れた。  結局志摩はあれから戻ってこなかった。どこに行ったのかが気がかりだったが、周りの人たちは別に然程気にしてる様子はなかったのが少し気になった。別に不思議なことではないということなのだろうか。けれど、あんな風に志摩を怒らせてしまった俺が心配するのもおかしな話だ。  ちゃんと、志摩に謝った方がいいのかもしれない。  ……なにを?どうして?それで元に戻れるのなら、謝る。けれど、そういう風に思えないのだ。  そんなことばかり考えながらやってきたのは生徒会室前。  一般教室から隔離した最上階に位置したそこはいつものように静まり返っていた。  無人というわけではないが、私語がない。足音もない。雑多な音を掻き消した、まるで隔離したような厳かな空気がそこには流れていた。  やっぱり、ここに来ると空気が違うな。つられて俺も姿勢を正しながら、目的の生徒会室へと向かう。  すれ違う生徒たちは何かしら腕章をつけている。役職持ち、というらしい。一般生徒の俺の姿を見る目はあまりいいものではなかったが、何も言われないだけ不良たちよりはマシだ。  俺は、他の教室よりも一際大きな扉の前で足を止めた。  生徒会室前、通路。  ただ落とし物を取りに来ただけなのに、こんなに緊張するなんて。数回深呼吸をし、ノックをする。 「あの、齋藤です……鍵を受け取りに来ました」  そう、用件を伝える。が、反応はない。もしかして、聞こえなかったのだろうか。  念の為、もう一度ノックしようと手を伸ばしたときだった、勢いよく扉が開き、思いっきり額を強打した。 「う゛……ッ!」  目の前で星が飛んだ……ような気がする。慌てて強打した場所を抑えれる。開いた扉の向こうには、一人、痛がる俺を無感情に見下ろす男がいた。  生徒会副会長・栫井平佑。何を食ってるのか、口をもぐもぐしながら栫井は一言。 「部外者は帰れ」  それだけを吐き捨て、扉を開く。俺が反応してる隙すらなかった。 「え、あ、あのっ」  話が違う。そう、慌ててドアノブを掴みなおしたとき、また勢いよく扉が開いた。  今度は寸でのところで避けれたが、危なかった。  危ないだろ、と顔をあげれば、今度そこにいたは芳川会長だった。 「っ、悪い……大丈夫か?」 「あ、えと……大丈夫です……」 「うちの栫井が失礼をした。……君は俺の客だ、部外者ではない。帰る必要も遠慮する必要もない」 「あいつには俺からキツく言っておこう」そう、頭を下げる芳川会長に「いや、そこまでは……」と口籠る。  けれど、部外者ではないという言葉は素直に、嬉しかった。というよりも、俺がそんな風に扱われてもいいのだろうか?という気持ちのほうが強かった。 「ここではなんだ。入ったらどうだ。飲み物も用意しよう」 「あ……あの、俺、鍵を取りに来ただけなのでここで大丈夫です。……会長たちもお忙しいのにそこまでお邪魔してしまうのは……その、流石に」 「……そんなに遠慮しなくてもいいのだが……分かった、ちょっと待っててくれ」  そう、芳川会長は生徒会室の奥へと引っ込む。  開いた扉の奥、むすっとした顔の栫井がデスクに座ってこちらを睨んでたのが見え、慌てて俺は栫井から見えない位置へと移動した。  そしてしばらくして、芳川会長が現れる。 「今度は落とさないように気をつけるんだぞ」  鍵を手渡してくる会長から「気をつけます」とそれを受け取る。 「あの、ありがとうございました……」 「これくらい構わん。……と、そうだ。少し待っててくれ」  そう、何かを思い出したように会長は生徒会室の扉を閉めた。 「少し聞きたいことがあるんだが」 「は、はい……」 「……君、甘いものは好きか?」 「え?」  学業のこととかを聞かれるのかと思いきや、想像の斜め上が飛んでくる。  甘いもの、というとケーキとかそういうものだろうか。和菓子も洋菓子も嫌いではない、好きの部類に入るだろう。 「えと、好きですけど……」 「そうか。……実はな、ケーキビュッフェ食べ放題券が一枚余っててな。しかもその期限が今日までなんだ」 「よかったら、どうだ、一緒に」そう、会長に誘われ、驚いた。俺でいいのかという気持ちよりも、素直に俺を誘ってくれることが嬉しくて。 「お、俺が……ご一緒していいんですか……?」 「周りのやつらは甘いものが苦手な連中ばかりでな、寧ろ君のように好きな相手を連れていきたいと思ってたんだ。……勿論、君さえ良ければだが」 「い、行きたいです……」 「そうか、そう言ってくれて良かった」 「それじゃあ、そうだな、六時に迎えに行く。それまで部屋で待機してろ。君の部屋は……」   「あっ、ええと、333号室です」 「ああ……そうだったな。分かった、じゃあそれまでに用意してくれ。外出許可証は俺が用意しておく。店は然程遠くないので徒歩の予定だが、帰りは冷える可能性がある。念の為、上着も用意しておくといい」 「わかりました」 「それじゃあ、また後で」  芳川会長に頭を下げ、俺はその場を離れた。  会長と、お出かけ。といっても食事だが、それでも、嬉しかった。  ……阿賀松にバレたら面倒だけど、栫井も聞いていなかったはずだ。だから、大丈夫だろう。そう、その時の俺は安心していた。  とにかく、どういう格好で行けばいいのだろう。会長に釣り合わない服装じゃまずい。どうしよう。そんなことばかりを考えながら帰りの通路を歩いていた。  あれ程気になっていた人の目も、今だけは全然気にならなかった。  早く帰って準備をしなくちゃ。そう、足早に学生寮に向かって歩いていたときだった。 「テメェ、いい加減にしろよ」  学生寮、ホール。  何やら揉めているようだ、数人の生徒が集まったそこに、よく見知った顔を見つけ血の気が引く。  赤い髪に、直視できない顔面ピアス。どうやら聞こえてきた怒声は阿賀松のもののようだ。いつも以上に機嫌が悪い阿賀松の姿が見え、逃げなければ、と咄嗟に防衛本能が働くが、それよりも阿賀松がホールの隅にいる俺を見つける方が早かった。  瞬間、今までの不機嫌はどこにいったのか、やつは厭な笑みを浮かべたまま「よぉ」とこちらへと向かってくる。 「っ、せ、先輩……」 「なんだぁ? ……恋人に挨拶もなしかよ、ユウキ君」  最悪だ、ついていない。どうしてこんな時に限ってこんな面倒な人に絡まれてしまうのか。さっきまでのテンションは一気に下がり、それでも無視するわけには行かず「どうも」とだけ口にすれば、にやりと笑った阿賀松は「どぉーも」も返す。  と、そこに。 「あれ、誰かと思えば、君、齋藤君……だよね」  阿賀松と一緒にいた内の一人に名前を呼ばれ、顔を上げればそこには、一度見たら忘れられない、青い髪の男がそこにいた。 「あ……えと……」 「まさかこんなに早く再会できるなんて嬉しいな、やっぱり運命かもしれないね」 「……おい、マサト……お前なんでユウキ君と知り合ってんだよ」 「あれ、さっき言ったじゃん。復帰早々すげー好みの子見つけちゃったってさ」 「はぁ?」  と、阿賀松がこちらを睨む。マサトと呼ばれた青髪の男は、「ね」と俺に笑いかけてきて、俺は反応に困った。  ……というか、好みの子って……。 「あ、そういえば俺の自己紹介がまだだったね。俺は縁方人(えにしまさと)、この春ちょっと怪我して入院しててね、昨日退院だったんだ。一応、君の先輩ってことになるのかな」 「仲良くしてね、齋藤君」と、縁は俺の手を握りしめる。するりと指を絡められ、ぞわりと背筋が震えた。  俺が反応するよりも先に、阿賀松に縁の手を引き剥がされる。 「悪いが方人、こいつは俺のことが好きで好きで堪んねえんだ。……テメェが入る隙はねえんだよ」 「へえ、そうなんだ。別に俺、何番目でもいいよ。……なんなら一度試してみる? 案外伊織よりも俺の方が体の相性いいかもしれないよ」 「っ、え、あの、何を……ッ」  初めてあったときまともだと、いい人だと思っていた。が、口を開けばなんだ、この人は。阿賀松相手に怖気づくどころか、わざと怒らせるような言葉を口にする。案の定、阿賀松の顔つきが険しくなっていて、二人の周りにいた連中はそれを止めることもできずにオロオロしていた。 「……方人、テメェいい加減にしろよ、全然懲りてねえだろ。俺の許可なくこいつになんかしてみろ、もっかい病院にぶち込むからな」 「ええ、それは困るな。入院中は退屈だしね。あ、でも齋藤君がお見舞いに来てくれるなら悪くないかもね」  軽口を叩く縁に、阿賀松はにやりとも笑わなかった。それどころか、「方人」と腹の奥から絞り出すような声に、背筋が凍り付く。無表情、しかしの目には縁に対しての怒りの色がありありと滲んでいて。  流石の縁も、これ以上はいけないと思ったのだろう。両手をあげ、「冗談だって、そんなマジになんなよ」とへらりと笑った。  ……阿賀松に怒鳴られるよりも、殴られるよりも、心底心臓が痛くなる。関係ないはずの俺までこんなに気圧されるのだ。……阿賀松ほど怒らせたくない人はいないだろう。改めてそう思う。 それから阿賀松たちは、あっさりと俺を解放してくれた。  縁が機転を利かせてくれたのもあったが、助かった。  部屋の中には阿佐美がいた。そそくさと服を着替える俺を見て「どこいくの?」と不思議そうにする阿佐美に俺は「ちょっと、ご飯食べてくるね」とだけ言った。  誰と、とは聞かれなかったが、察したのかもしれない。阿佐美は「わかった」とだけ言った。ちょっと寂しそうな横顔を見るとチクリの胸が痛んだが、仕方ない。  そして六時。時間になったと同時に、インターホンが鳴る。 「はい」と、扉を開けばそこには芳川会長がいた。 「丁度よかったみたいだな。今日はよろしく頼む」 「こ、こちらこそ……よろしくお願いします」  畏まって挨拶する俺と会長。そのあと少しだけ見つめ合ってしまい、そして、会長はふっと噴き出すように笑う。 「なんだか、変な感じだな。……まあ、学校外だ。あまり畏まらず、肩の力を抜いてくれて構わない」 「は、はい……!」 「行こうか」  会長はそう言って、歩き出す。俺も置いていかれないようにその後を追った。  私服姿の会長はなんだかとても違和感があったが、それでも、無駄のないシンプルながらも爽やかな私服の会長を見てると、益々自分のラフすぎる格好に落ち込む。けれど会長は特に気にしていないみたいだし、大丈夫かな……だといいな……。なんて考えながら、一先ず寮を出ることにしたのだが。  エレベーターに乗り込む前、不意に背後から視線を感じた。振り返ってみるが、人影はない。 「……?」  気のせいだろうか。親衛隊やアンチのことがあったから余計気にしいになってるのかもしれない。俺たちはエレベーターに乗り込んだ。  制服を着ている会長は、それをきっちりと着込んでるからか堅いイメージが拭えなかったのだが、カジュアルな会長もまたその、かっこよくて、羨ましかったり、尊敬してしまったり……。烏滸がましくて本人には口が裂けても言えないが。 「……齋藤君、そんなに見られると流石に俺も照れるんだが」 「あっ、す、すみません……つい……」 「もしかして、どこか変なところでもあったか?」 「いえ!いえ!そんなことは全然!」  つい、全力になるあまりに声が裏返ってしまう。  そんな俺に、会長もびっくりしたようだ。少しだけきょとんとして、それから「それはよかった」と小さく笑う。 「十勝曰く、俺の趣味は悪いらしい。……私服に関しては全部あいつに口煩く言われてたんだ」 「そ、そうだったんですね……」  い、意外だ……。  そんな二人を想像してみると、少しだけおかしくてつい頬が緩んでしまう。 「今回は流石にあいつに頼むのは嫌だったから、教えてもらったのを参考にしたんだ。……君がそう言ってくれて安心したな」 「い、いえ、そんな全然……寧ろ俺の方こそ、もっとちゃんとした格好をしたらよかったと後悔してます」 「?……全然いいと思うが?このTシャツにかかれてるネズミもかわいいじゃないか」 「あ、ありがとうございます……」  多分会長がネズミというそのキャラはクマなのだろうけど、会長が褒めてくれるのなら嬉しい。  それからまた妙な沈黙ができる。けれど、先程までの緊張はいつの間にかに解れていた。  ……会長が色々な話をしてくれたからかもしれない。  俺たちは学生寮を出て、夜の街へと出る。  既に日が落ちていたが、ネオンや街頭で照らされた街は明るい。都心にある学園は、駅も近いので利便性もいい。  今日向かうお店も駅内部にあるという。スーツ姿の社会人や、見慣れない制服姿の若者までたくさんの人間が行き交う中、俺と会長は歩いていた。  こうしてゆっくり学園の周りを歩いたのは初めてかもしれない。  基本、学園の敷地内で全て揃えられるのであまり外に出る用事もなかった。  けれど、やっぱり外の空気は違う。周りは知らない人たちばかりだと思うと、妙な開放感がある。 「ついたぞ、ここだ」  駅の中にあるショッピングモール。そこの一角に、そのケーキ屋さんはあった。  会社終わりや学校帰りの女の子たちで賑わうそのお店の前、俺は、会長が一人で行きたがらなかったわけを悟る。  ……いくらただでも、このケーキ屋さんに一人で入店はきつい。二人でもいけるかどうかは難しいが。 「行くぞ」と会長。それでも、俺のように迷いがないところを見るとよほど甘いものを食べたかったのかもしれない。俺は、会長についていく。  そして。 「……っホームページを見たときから思っていたが、すごいな……」 「そうですね、かなりの量のケーキが用意されてるみたいです……」 「……っ、……」  すごいウズウズしてる……。  余程食べたいのだろう。見たことないくらい目がキラキラしてる会長に、つい頬が綻ぶ。 「あの、俺、先に席取っておくので会長、ケーキを選ばれてて大丈夫ですよ」 「いや、君にそんな真似は……」 「あの、俺多分すぐには決められないので、メニュー借りて選んでおきます」  だから気に死にしないで下さいと続ければ、会長はごくりと固唾を飲み、そして「ありがとう」と口にした。  それから俺は会長とわかれ、手頃な席を選ぶ。やっぱり、男がいるのは珍しいのだろうか。周りの女の子たちの視線がチラチラとこちらを見ていて居心地が悪かったが、悪意のない視線だったので、まだ堪えられた。  それにしても、遠くから見てやはり会長が人目を引いてるのが分かった。  落ち着いていて、清潔感があり、足が長い。男の俺から見てもかっこいいと思う。実際男子校にも関わらず親衛隊ができるくらいだ。もしかしたら交流のある他校の女の子にもモテるのではないだろうか。現に、会長見てヒソヒソと話あってる女の子たちもいる。  ……ちょっともやもやするが、俺が気にするのも変な話だ。  それにしても芳川会長はケーキを選ぶときも真剣なんだな……。  そんなことを考えながら、店内を見回していたとき、ガラス張りの壁、その向こう側の駅内部。そこを行き交う人混みの中に、見覚えのあるスキンヘッドが見えた。  ん?と、目を細めたときにはすぐに見えなくなっていて、気のせいだろうか、ともう一度周囲を見渡したとき、会長が戻ってくる。 「待たせたな。今度は俺がここにいる」 「あ、はい……すみません、じゃあ、お願いします」  五味がいたような気がしたが、他人の空似かもしれない。  スキンヘッドの人がいてもおかしくはない。あまり気にしないようにしよう。思いながら、俺は並べられたケーキたちの元へ向かう。  濃厚なクリームの匂い、甘すぎないチーズ味、いかにも子供受けの良さそうなチョコレートケーキ。果物が好きな人にはたまらないだろう、フルーツタルト。本当に色んな種類のケーキがある。  どれも大きすぎない程度に切りそろえてるため、色んな味が楽しめるというわけだ。  俺は、抹茶ケーキとチーズケーキ、それからティラミスを取皿に乗せる。  飲み物もドリンクバー形式になってるらしい。俺は取り敢えず水を注ぎ、会長のもとへと戻る。  会長は携帯もいじらずにケーキを眺めて待ってくれていたようだ。「お待たせしました」と、席につく。 「大丈夫だ、それほど待っていない。……それじゃあ、早速食べるとするか」 「はい」  いただきます、と声が重なった。  結論から言えば、ケーキは美味しかった。  念の為夕ご飯は抜いていたのだが、正解だ一個一個が食べやすく、つい、二回目のケーキを取りに行ったりもした。  が、そんな俺から見ても会長の食べっぷりというか、生クリームの塊みたいなケーキを何個も美味しそうに食べてる会長みてちょっとお腹いっぱいにもなったり。  本当に甘いものが好きなんだな。こういう言い方は会長は嫌がるかもしれないが、ほんのちょっと可愛いなんて思ってしまう。普段の会長を知ってるだけに、余計。 「どうした、もう食べないのか?」 「そうですね、そろそろ大分お腹が膨れてきちゃって……」 「そうか。まあ、あまり無理して食べるのも体に悪い」 「……会長って、結構食べますよね」 「生徒会のやつらと食べてると、大抵五味や十勝に言われるんだ。『絶対会長は将来糖尿病になる』ってな。だから普段はなるべくセーブしてたが、今日は君しかいない」 「だからかもしれないな」と、笑う会長。  いつもの大人びた笑顔とは違う、年相応の男子らしいちょっと悪い笑い方をする会長に、なるほど、と俺は頷く。  五味達が心配する気持ちも分かるが、俺まで口をすっぱくして言う必要もない。それに、幸せそうに食べる会長見てるのは、嫌いではなかった。  今日は、色んな会長の顔を見たような気がする。  他の生徒は知らない、芳川会長の一面を知れて……なんか、嬉しいな。  ここ最近いいことがなかったから余計、素直に喜べた。  じんわりと胸が暖かくなる。俺は、気恥ずかしくなって残ってたケーキを食べたとき。 「……齋藤君、ちょっと待て」  伸びてきた手が、頬に触れる。「クリームがついてるぞ」と、一言。それを指で拭う会長に、俺はハッとした。 「す、すみません……俺……」  子供みたいな真似を、と恥ずかしくなってうつむいたときだった。  カシャーンと音を立て、何かが落ちるような店内に響く。  何事かとそちらを振り返る。そして、 「っおい、十勝お前なにやってんだ!」 「す、すみません、俺、目の前で少女漫画みたいな真似されてつい動揺してトングを落としてしまいました!」 「アホか! バレたらどうするんだよ! ほら、さっさと隠れるぞ!」 「…………」 「…………」  俺と会長は、聞き覚えのある声、そして二人組の男を見つけ、顔を見合わせた。会長のコメカミがピクピクしてる。まずい。怒りを抑えきれてない会長だ。  気のせい、ではない。しかもよくみると柱の影には灘と、その奥のカウンター付近には女の子に囲まれてる栫井もいた。……役満じゃないか。 「あ、あの……会長……」 「……すまない、齋藤君。少し席を離してもいいか」 「は、はい……大丈夫です……」  あんな恐ろしい顔をした会長を止めることなんて俺にはできなかった。ただ会長を見送り、現場から顔を逸して他人のふりをすることで精一杯だった。 「すまない、齋藤君、こいつらも一緒でも構わないか?」  そして、会長が戻ってきたとき。  会長の横に並ばされる役員全員の頭の上にたんこぶが見えた。  灘以外皆怒られた犬みたいな顔をしてる……。 「ええ、大丈夫です」と答えれば、「すまない」ともう一度会長は謝った。  会長いわく、どうやら学校から皆後を着けていたらしい。  やはり先程見た五味らしき人は五味というわけだったか。本当は外から見ていたが、灘がお腹を好かせたということで皆も入ってきたというが……なんだかんだこの人たちは仲がいいのだろうなというのが分かった。  大人数用の席に移動する。「隣失礼しまーす」と言いながら座ってくる十勝と、「失礼します」と座る灘。向かい側には五味、会長、栫井と言う並びで座ってるのだが……なんだろうか、この圧迫感というか、人口密度というか、視界の濃さというか。  それよりも周りの女の子の視線がさっき以上に集まってるのだが、やっぱり目立ちすぎるのではないか。これは。  というわけで、新たに四人を加えて第二回戦なるものが始まる。 「君たち友達同士できたの? へえ、奇遇じゃん。俺らも友達同士できたんだよねえ、どう? よかったらこっちの席にこない?」 「おい五味、あのナンパしか頭にない男をどうにかしてこい」 「十勝ぃ! お前椅子置く場所ねーくせに適当言って困らせるのやめろ!」 「なんすか五味さん、邪魔しないでくださいよー! せっかくいいところなのに……」 「……何がいいところだよ、どう見てと嫌がってんだろ、あれ。目腐ってんじゃね」 「なんだとこのくるくるパー!」 「……自己紹介かよ」  ……すごい賑やかだ。  栫井と十勝が今にも取っ組み合いになりそうだったが、五味が「お前ら迷惑になるから外でやれ」と二人の仲裁に入っていた。  それにしても。 「……灘君、ケーキ食べないの?」 「自分はフルーツの方が好きなので」 「そ、そっか……」  皿にフルーツを山盛りに乗せ、しゃくしゃくとそれを口にする灘に俺は言葉に詰まる。  相変わらずこの人も何考えてるか分からない。  そして、渋々席へと戻ってきた栫井と十勝、そして疲れた顔をした五味。 「あの、飲み物なにか用意しますか……?」 「あ、俺水」 「緑茶ー!」 「おい、それくらいお前ら自分で取りに行け。……齋藤君、別にそんな真似をしなくてもいいぞ」 「いえ、俺はもう食べ終わってるので……会長は?」 「……いや、俺はいい」 「分かりました」  五味が水で、十勝が緑茶だな。忘れないように復唱しつつ、席を立つ。  ドリンクバーコーナー。トレーを手に取り、まずは五味の水を用意することにした。氷を入れ、水を注ぐ。次は十勝の分だ、ともう一本、グラスに手を伸ばしたときだ。ひょいと伸びてきた手に、トレーに置いていた五味の分のグラスを取り上げられる。 「あ」と思ったときには遅かった。栫井は、なんの言葉もなくその水を飲み干した。 「あっ、それ……」 「ごちそうさん」 「……っ!」  それだけを言い、栫井は、ケーキバイキングの方へと歩いていく。なんなんだ、あいつは。邪魔をしに来ただけなのか。  せっかく用意した五味の分もまた用意し直すことになる。ムカつくというよりも、なんなんだという気持ちの方が強い。  阿賀松たちとつるんでるくせに、こうして生徒会のみんなの中にも混じってる。なんなんだ、あいつは。  行き場のない怒りのようなもやもやのようなそれを抱えたまま、俺は役員たちの元へと戻った。  ◆ ◆ ◆ 「はー食べた食べた!久しぶりにこんなに甘いもん腹に入れましたよ俺。やべーな、明日から食事制限しねーと…」 「女子かよ。お前はちょっとは肉つけろ肉!」 「やだっすよ、筋肉なんてつけたらモテなくなりますもん」 「お前分かってないな、だからモテねーんだよ」 「二回連続で好きな子にフラれる五味さんに言われたくねー」 「こ、こいつ……」  ギャーギャーと言い争う五味と十勝はおいといて。  店を出た俺達は駅前公園へときていた。  あとはもう学園に帰るまでなのだけれど、流石に食べ過ぎたらしい。今頃になって腹の中でクリーム成分あたりが膨れ始め、かなり息苦しい。 「……すみません、俺ちょっとトイレ行ってきます」 「ああ、場所はわかるか?」 「多分大丈夫です、看板あったんで。……すみません」  失礼します、と告げ、俺は、近くの駅付属の便所へと移動する。夜のネオンがやけに目に焼き付くようだ。幸い、男子トイレは空いていた。俺は個室に飛び込む。  今日は、楽しかった。こんなに楽しいことなんてあってもいいのだろうか。そう不安になるくらい。  もしかしたら楽しいことはここまでで、よくないことが起きる前触れなのだろうか。そうとも考えてしまうのだ。  個室を出て、手を洗う。タイル張りの男子トイレ内。  早く戻らなければ、会長たちを待たせてしまうのも忍びない。手を拭い、ハンカチをしまおうとしたときだった。男子トイレ前、硬質な靴の音が響く。誰か来たのだろうか、と目を向けたとき。思わず、息が止まる。聞こえてきたのは、上機嫌な鼻歌。  そして、 「こんなところで会うなんて、奇遇じゃねえか、ユウキ君」  阿賀松伊織。  なんで、こいつがこんなところにいるんだ。 「なんか、甘ェ匂いがすんなぁ……ゲロみたいなクリームの匂い」  背後に立つ阿賀松の手が、首元に触れる。首筋をなぞり、徐々に顎下へと滑る指先は俺の顔を、口元を覆うように鷲掴んだ。 「……吐き気がすんなぁ」  鏡越し、そう口にする阿賀松の目は笑っていなかった。

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