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02
学園上層階、生徒会室。
「かいちょー! 佑樹連れて来たっすよ~!」
そう、ドンドンと雑にノックをした十勝は反応があるよりも先に扉を開けるのだ。
生徒会室内部。その中央の大きなソファーには芳川会長と江古田が向かい合うように腰を下ろしていた。江古田の膝の上にはいつものくまもいる。
まさかと思い辺りを見渡すが……よかった、櫻田はいないようだ。というか、珍しい組み合わせだな……。
「十勝、お前はもう少し静かに入ってこれないのか……。まあいい、二人共ご苦労。……齋藤君も」
「来てくれて良かった」なんて、芳川会長は何食わぬ顔で続けるのだ。俺が芳川会長の誘いを断るわけなんてないのに。胸の奥がきゅっと締まる。芳川会長の笑顔を見ると恥ずかしくなってしまうのは俺達の関係のせいもあるのだろう。
「悪いな、いきなり呼んで。……座ったらどうだ。立ったままでは辛いだろう」
「あ……ありがとうございます」
慌てて頭を下げ、俺は芳川会長の言葉に甘えて江古田の隣にそっと腰を下ろす。江古田は微妙そうな顔をしつつも俺の分を開けてくれた。そして、ソファーの横に立つ灘と、離れた椅子に腰をかける十勝。なんとなく、芳川会長の表情と生徒会室の空気からただの食事の誘いではないことを肌で感じた。
「悪いな、急に呼び出して。それで、君には少し話があってな」
「話、ですか……?」
「齋籐君は、櫻田のことを聞いているか?」
心当たりがありすぎて怖かったが、芳川会長の口から出た名前は俺の想像していたどれからも外れたものだった。
――櫻田洋介。女の子みたいな顔に女の子みたいな格好してるのに中身はそこらの男よりも質が悪いあの一年生を思い出しては胃が痛んだ。
新聞のことがあって以来、櫻田には会っていないしなにも聞いていない。芳川会長の口振りからするとその櫻田になにかあったようだ。
「そ……その、櫻田君がどうかしたんですか?」
「実はな、明日、櫻田の謹慎が解けるんだ」
重々しく開いた芳川会長の口から出たその言葉に思わず「えっ?」とアホみたいな声が漏れてしまう。というか、謹慎食らっていたのか。どうりであれ以来姿を見ていないわけだ。
数週間前、俺の教室に押し掛けてきた櫻田のことを思い出す。あれからまたなにかやらかしたのか、というか……待てよ。一応、表では俺は芳川会長の恋人ということになっている。謹慎が明け、学園に帰ってきた櫻田の耳にそのことが入ったりでもしたら……。
そこまで考えて、全身に冷たい汗が流れた。固まる俺に、「そこでだ」と会長は机に手をついた。
「……これから、君には朝昼晩授業中と自室にいる時間を除く全ての時間に見張りをつけさせていただく」
「え?」
「別に、ずっとというわけではない。俺が櫻田と話をつける。それまでの間だ、極力そんなことはないと思いたいが……万が一のことがある。やつは走り出したら止まれないイノシシみたいなものだからな」
「……わかる……」とウンウンと頷く江古田。
確かに、会長の心配は俺が恐れていたことと同じだ。けれど、つまりそれは殆ど誰かが側にいるということだ。俺個人のことで、そんなに人の手を煩わせるのは流石に申し訳ない。
「あ……あの、気持ちは嬉しいです。けど、その流石にそこまでしていただくのは……」
「……しかしだな、何かあってからでは遅いんだ」
「……そ、それは……」
「君は自分の立場を理解しているのか。……君は俺の恋人だ、そんな君の身を案じるのは過保護だというのか?」
会長の言葉は尤もらしく聞こえる。俺達が本物の恋人同士ならば甘えられたのかもしれない。けれど、俺と芳川会長はそんな関係ではない。ただでさえ会長には迷惑をかけているのだ。
頑なに首を縦に振らない俺に、芳川会長は浅く溜息を吐いた。
そして、ソファーから腰を持ち上げた芳川会長はゆっくりと近付いてきた。静かな部屋に響く足音。どうしたのだろうかと顔を上げたときだった。伸びてきた手に胸ぐらを掴み上げられる。
「ちょっ、会長……っ」
驚いたような十勝の声が聞こえた。強い力、骨が折られるのではないかと思うほどきつく締め上げられ、ソファーから立ち上がらせられるのだ。
突然の芳川会長の行動に驚いて言葉すらも出ない俺に、芳川会長は眉一つ動かさずに続ける。
「自分の身は自分で守れるんだろう。なら、力ずくで俺の手を振り払ってみろ」
「……っ、……か、いちょ……」
ネクタイが締まり、苦しい。カリカリと会長の手首を引っ掻こうとするが、酸欠で苦しくなる体ではろくに指に力が入らなかった。……敵わない。そう、諦めるのに時間はかからなかった。抵抗をやめる俺に、芳川会長は「決まりだな」と俺から手を離した。
それからすぐに、「悪いな」と俺の首を撫で、ネクタイを締め直してくれる。
「痛かったか? ……悪い、こうでもしなければ君は意固地になるだろう」
「いや……会長ー、いまのはないっすよ……心臓に悪いって、まじで」
「悪かったと思っている。だが君にも理解できたはずだ。齋籐君、君には見張りをつけさせてもらう。君が嫌だといってもだ。これは決定事項だ」
「……はい」
どうやらお茶を用意してくれていたらしい、音もなく戻ってきていた灘は俺達の前に人数分のお茶を用意してくれる。
会長の手はもう離れているというのに、首はまだ締められてるようにじんじんと痺れていた。
……もし、俺が芳川会長を殴ってでも離していたら会長は諦めてくれたのだろうか。バクバクと収まる気配のない心臓を必死に落ち着かせる。
なんだったんだ、さっきのは。見た目からは想像できないほど、力が強かった。呼吸することもできなかった。喧嘩や暴力沙汰とは無縁そうな芳川会長にも関わらずだ。本当に、殺されるんじゃないかと錯覚してしまうほどだ。……それほど本気だったということか。
「そういうことだから、今日の放課後は江古田君が迎えに行くからな」
見張りも会長がここまで言うなら仕方ないと思っていたのだが、まさか一般生徒の見張りがつくとは思ってもいなくて。うっかり俺は持っていたティーカップを落としそうになる。なぜ江古田がこの生徒会室にいるのか気になったが、そういうことか。十勝や灘だと思っていたので余計狼狽える。
「で……でも、いまの時期は文化祭の準備で忙しいですし、江古田君のクラスもきっと……」
「……一年生は出し物はないです……」
「え? あー……そっ……それなら、ほら、江古田君にだって友達との付き合いとかそういうのがあるんじゃないですか」
「……僕、友達いないんで……」
「え、あ、ご、ごめん……なさい……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
生徒会室内の空気がズンと重くなる。
どっ、どうしよう……。言葉を探すが、何を言っても江古田の心の傷をえぐってしまいそうで怖かった。
すると、この空気に耐え兼ねたのか、芳川会長はわざとらしく咳払いをする。
「何をそんなに遠慮しているか知らんが、この件については江古田君の方から申し出があったんだ」
「……え?」
「……櫻田君が来たとき、一番上手くあしらえるのは自分だとな。その件に感じては俺自身よく知っている。最も安全性が高いと判断した」
「……そ、うなの……?」
「……………………」
驚いた。江古田の方を見れば、江古田は斜め下辺りをじっと見つめたまま動かない。けれど、否定しないことが答えだった。
本当は、江古田は俺に付き合うなんて嫌なんじゃないかと思っていただけに予想だにしなかった会長の言葉を聞いて安堵すると同時に少しだけ嬉しくなる。
「無論、学生の本分は学業だ。協力はしてもらうが全てを彼だけに押し付けるつもりはない。取り敢えずまずは今日は放課後だ」
「齋藤君、君はそのことを気にしていたのだろう」と、芳川会長と目があった。……ああ、やはりこの人は俺のことをよく知ってると思う。理解してくれる。
はい、と頷けば、優しく笑った。
「無理強いもするつもりはない。江古田君も、何かあればすぐに俺に言ってくれ。……本当は俺自身が君といることが一番なのだろうが、済まないな。今日の放課後は野暮用があってな。――とにかく、そういうわけだ。江古田君、頼んだぞ」
わかりました、と今にも掻き消えそうな江古田の声が生徒会室に静かに響いた。
「そうだ、齋藤君。食事は済ませたのか?」
「あ、えと……まだです……」
「ならここで食べて行ったらどうだ」
「いいんですか?」
「俺が駄目だというと思ってるのか?だとすれば心外だな」
そうだ、俺は会長と付き合っているのだ。とはいえ、実際に恋人ができたことない俺は恋人に対してどう振る舞うべきかということがわからない。けれどこの場合、避けるのは不自然だ。ならば、と俺は芳川会長の言葉に甘えることにする。
結局灘から貰ったパンは食べ残ってしまった。まあ、夜食べればいいか。
それから、生徒会で昼食を取り、十勝が教室まで送ってくれることになったのだけれど。
一般教室棟に戻る途中。階段を降りようとしたときだった。ふと踊り場に人影が見える。
そこに立っていたのは、見覚えのある人物だった。着崩した制服に、無造作な癖毛。「栫井」と十勝はその名前を呼べば、佇んでいた人影はゆっくりとこちらを見上げた。
「まさかお前……それの送り迎えやらされてんのかよ」
『それ』と、俺のことを顎で軽くしゃくった栫井に、十勝は「その言い方はないだろ」と唇を尖らせた。
「……そうだけど。つかさ、栫井お前、生徒会室に戻る気か?」
「なに、俺が戻ったら都合が悪いのかよ」
「会長今あんま機嫌よくねえからやめといた方がいいぞ」
「……会長が」
「ほら、あの一年。……櫻田のことですげーピリついてたし」
「……ああ、そういうことかよ」
と、栫井は納得したようだ。……というか、口振りからして栫井と芳川会長が揉めていたのか。いつの日か会長に告げ口したことを思い出し、内心ぎくりとしたがそれもつかの間のことだった。
突然、栫井は階段を上がってきたかと思えば、やつに手首を掴まれる。「え、なに」と狼狽える俺を無視して、栫井は十勝を見た。
「十勝、お前一人で教室に戻れよ」
「へ……お前……」
「俺がこいつを教室まで送る」
なんで、というかどういう風の吹き回しだ。明らかに俺のことを嫌っているはずの栫井が俺を送るなんて、ただの善意であるはずがない。
「なに言ってんだよ、いきなりお前……」
「俺が送迎すんのになにか問題でもあるわけ?……それに、こいつの見張りのことなら予め会長に聞いている」
「……なんだ、栫井も聞いてたのか」
「送ればいいんだろ、教室まで。それくらいなら俺でもできる」
「んーー……でもなぁ……」
「何か不都合でもあるのか?」
「……ま、いいや。なら、佑樹のこと任せるわ。その代わり、会長には余計なこと言うなよ。俺まで怒られるからな」
え、と驚く暇もなかった。いいのか、というか俺の意思は。「じゃあ、後は頼むわ!」なんてへらへら笑って栫井に俺を押し付けた十勝は階段を降りていく。
「え、ちょ……っ」
「……諦めろ。あいつはああいうやつだから」
怒りすらも湧いてこなかった。
ただ教室に送ってもらえるだけだ、十勝も俺の面倒なんて見たくなかったのかもしれない。そう思うとただ申し訳ないし、逆に嫌々されるよりかはましなのかもしれないとも思う半面そんな面倒な役割を買って出た栫井が益々分からなくて。顔を上げれば、視線が合う。
「あ、あの……どうして……」
「は?」
「送る、なんて……」
言ったのか。そう、続けようとしたとき。眠たそうなその目が更に細められる。「ああ、あれ」と、思い出したように面倒臭そうに溜息を吐きながら。
「……あれ、嘘」
「……え?」
「教室、行くんだろ。勝手にいけよ」
「……っ、か……栫井は……?」
一瞬言葉の意味がわからなくて、思わず聞き返せばやつは呆れるように鼻で笑った。
「さっきのあれ嘘だから。……つか俺、お前の面倒を見るほど暇じゃないし」
「……っ」
「つか、俺も、あいつらも、お前に構う暇なんてねえの。……会長は優しいから、お前みたいなのでも目を掛けてくれるんだろうけどな」
わかっていたはずだ。最初から。
栫井の言葉はもっともだ。会長は心配性だから、俺のことまで気にかけてくれるが今は学祭の準備で忙しいはずだ。それも、生徒会となるとよっぽど。
何も言えなくなる俺に、栫井は笑みを消した。
「……見張り、俺は反対だから」
「……っ」
「お前も監視が邪魔だと思うんだったら、五味さんに相談しろ。あの人も、俺と同じ考えだから」
――え。
咄嗟に顔を上げたとき、栫井は言いたいことだけ言って階段を上がっていく。
生徒会室へと行くつもりなのか。聞き間違えかとおもったが、違う。……助言、のつもりなのか。
栫井と五味が同じ考えで、芳川会長と栫井が揉めていて……今日、生徒会室に五味がいなかったのも関係しているのだろうか。胸の奥がざわつく。
栫井は、俺が目障りなのだろう。だから、あんなこと教えてくれたのだ。……やっぱり、よくわからないやつだと思う。
……だとしたら、生徒会が揉めてるのってもしかして俺のせいか?可能性ではあるが、なくもないはずだ。
栫井に言われた通り一度五味に相談しておいた方がいいかもしれない。
もし生徒会が揉めた理由が俺のせいであろうとなかろうと、いくら一人で考えていたところでその答えはでないはずだ。
……それに、正直俺自身見張りのことをまだ納得できたわけではなかった。栫井たちのように不満に思ってる人間がいると知ったからこそ、この立場に甘んじるのも悪い気がしてならない。
――とにかく、五味に会いに行こう。無人の踊り場の中、俺は一人口の中で呟いた。
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