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04
阿賀松のことを芳川会長に伝えないと、その前に五味とも話しておきたい。けれど、今は先に阿佐美に会いたかった。
職員室の担任か、寮長もなにか知ってるかもしれない。けれど、会ったことのない寮長にこんなことを聞くのは気が引ける。やはり、担任に聞くのが一番聞きやすそうだ。
早速エレベーターに乗り込む。
――学生寮一階・ロビー。
「どこかお出掛けですか?」
エレベーターから降りたときだ。正面から聞き覚えのある声が聞こえたと思えば、エレベーター乗り場前には見覚えのある人物がいた。能面のような無表情に、感情のない声。生徒会書記・灘和真だ。今日はよく灘に会う日だ。
「灘君……あの、少しトイレに……」
「トイレなら上にもあるはずですが」
「それで、どちらへ」最初から俺の誤魔化しなど通用してなかったらしい。怒ってるわけではないのだろうが、灘に問い詰められると怒られたみたいに萎縮してしまいそうになるのだ。今は後ろめたいものがあるだけに、余計。
「……ちょっと職員室に」
「どうかされたんですか」
「まあ、その、色々あって」
「そうですか。では行きましょうか」
「え?」
「職員室に向かわれるのですよね」
「自分も付き合います」と、灘は静かに続けた。俺は、素直に驚いた。いやだって、そうだ。灘はまだ制服姿だし、鞄も持っていない。寮へと帰ってきたわけでもなさそうだ。
「……いや、あの、気を使わなくていいよ。生徒会、忙しそうだし……そこまでなら、俺は一人で大丈夫だから」
「これも仕事ですから」
仕事と言うより芳川会長の個人的な頼み事と言った方が俺的にはしっくりきたが、会長の元で仕事をしている灘からしてみればどちらも大差ないのだろう。
それから、俺達は一度校舎に戻って職員室へと向かうことになる。灘とともに校舎内に入り、賑やかな昇降口を通り抜けては職員室へと向かってただひたすら歩いていく。
その間、灘は一定の距離を空け俺の後ろから黙って後をついてくるだけだった。
――校舎内、職員室前。職員室には様々な学園祭の準備にきたのだろう、教師から生徒まで忙しなく出入りしていた。
「俺はここで待ってます」
「わかった……ごめんね、付き合わせて」
「お構いなく」
本当にストイックな人だ。嫌味も感じないのだからすごい。灘を廊下に残したまま俺は職員室の扉を叩いた。
職員室の奥の席、担任はいた。顔を出す俺に気付いたらしい担任はにっと笑い、そして「おう、どうした」と扉のところまで来てくれた。
「あの、新しい阿佐美の部屋ってどこかわかりますか?」
「阿佐美か? ……なんか用でもあったのか?」
……なんだろうか、単刀直入に尋ねれば先程とは打って変わって露骨に担任の表情が曇った。
どことなく歯切れの悪い担任に、一抹の不安が過る。同室者である俺に内緒で一人部屋に引っ越す阿佐美のことだ、新しい部屋のこと、教師にも口止めをしているのかもしれない。
「……いえ、部屋に阿佐美の忘れ物があったので渡そうかと思ったんですが……」
「忘れ物? なら先生が渡しておこう」
「いや、その、わざわざ先生の手を煩わせる必要はないです。……俺が直接届けます」
「いや……でもな……」
「……何か言われたんですか?」
「いや……そういうわけじゃないんだ。……そうだな。ちょっと待ってろ」
そう、職員室の奥へと引っ込んだ担任だったが暫くもしないうちに戻ってくる。
そして、周りに俺のクラスのやつらがいないことを確認した担任は一枚のメモを手渡してきた。
「これがあいつの新しい部屋だ。……あいつには、お前以外には言うなって釘を刺されていたからな。他のやつには秘密だぞ」
「あ……ありがとうございます」
やはりそういうことだったか。俺は担任にお礼を言い、そのまま職員室を出た。
少し離れたところから俺の様子を見張っていたようだ、職員室から出てきた俺にすぐに灘は歩み寄ってきた。
「終わりましたか」
「……うん」
「では、戻りましょうか」
どうやらご丁寧に自室まで送ってくれるようだ。ここまで甲斐甲斐しく世話をされたら逆に申し訳なくなってくるというか……なんだか自分で自分が情けなくなる。
「あ……そうだ、灘君。いま、芳川会長って学校にいるかな」
「会長ならいま学校を出ていますので、帰ってくるのは二十時以降になるかと。……お急ぎですか?」
「あ……や……そういうわけじゃないんだ、その……うん、大丈夫……ごめんね、急に」
「いえ、構いません」
俺達はエレベーターに乗り込む。そういえば、会長用事あるって言ってたしな……。そんなことをぼんやり考えながら、俺はポケットの中の担任からもらったメモ用紙をちらりと見た。そして、隣でただ佇む灘を盗み見る。
恐らく、灘はこの調子で部屋までついてくるのだろう。そのまま帰ってくれるなら一番それがいいが……。
そして、一度俺は灘とともに自室へと戻ることになる。それから、「送ってくれてありがとう」とお礼を言って灘と別れたあと。俺は阿佐美の部屋へ行くために念の為五分ほど置いて部屋を出た。
「どちらへ行かれるのですか」
扉のすぐ横、投げかけられる言葉にひやりとした。恐る恐る声のする方へと視線を向ければ、そこには相変わらず能面のような無表情貼り付けた灘がいた。
「な、な、灘君……帰ったんじゃ……」
「万が一のことがありますので監視させていただいてました」
「み……ッ!」
「それで、一体どちらへ?」
咎めるわけでもなく、ただ聞いてくる灘。
まるで俺が出ていくのを予期していたのかと思ったが、タイミングが悪かったようだ。冷や汗が滲む。こうなってしまえば、変に誤魔化しては余計に怪しまれてしまうかもしれない。
「そ、その……友達に用事があったのを思い出して」
「ご友人ですか、どなたですか」
「え……」
「志摩亮太、ではありませんよね」
どうやら灘は志摩のことを警戒してるようだ。慌てて俺は首を横に振る。
「ち、違うよ! ……その、阿佐美っていう……」
「阿佐美詩織ですか。……わかりました。ご一緒します」
どうやら灘の問題児チェックに引っかからずには済んだようだが……正直、大丈夫だろうかという不安が一番大きい。阿佐美は俺以外には教えるなと担任に言っていたようだが、それを第三者に漏らしてしまうことになる。
けど、灘だ。志摩ならともかく灘なら特に気にする必要もなさそうだが……そもそも阿賀松が知ってる時点で他に隠すような相手の方が限られてる気もするが。恐らく、志摩避けなのだとは思うけれども。
というわけで俺は灘とともに阿佐美の新しい部屋へと向かうことになったのだが……。
「ほら、ちんたらしないでさっさと運べよ」
この辺だよな、と道を曲がったときだった。
聞こえてきたのはヒステリックな声。そして、嫌でも目立つピンク色の頭髪。――安久だ。そして、その向こう側、大量の大きな箱を抱えるのは――。
「無理、絶対無理だって……! こんなの一人で運べるわけないだろ……っ!」
「だいじょーぶだいじょーぶ、俺が応援してるから!」
「っ、ま、方人さんも手伝ってくださいよ……!」
「あー残念俺、助けてやりたいのは山々なんだけどいま腕使えねーんだわ。俺の分まで頑張ってね、奎吾」
そう、ぷるぷると震える仁科の側、座り込んで応援するのは青い髪の男――縁方人だった。そんな縁に「使えねーのは腕だけじゃないけどな」と安久は毒を吐いた。
……なんでこいつらがいるんだ。
咄嗟に隠れた俺は、恐る恐る再度通路に居座る派手な三人組に目を向ける。
「やだなー安久ちゃん。どーいう意味かなぁ、それ」
「どうもこうもそのまんまだっての……! 伊織さんの腰巾着の癖にいちいち偉そうでムカつくんだよ! つかお前が安久ちゃんって呼ぶな!」
「俺が伊織の腰巾着? なんかやらしいなあ、それ」
「伊織さんを呼び捨てにすんな! さんを付けろ、さんを! 烏滸がましいぞ!」
荷物を運ぼうとする仁科を他所になにやら内輪揉めを始める縁と安久。というか安久が一方的に縁に噛み付いているようにしか見えないが、あまり穏やかな雰囲気とは言い難い。
……まさか、阿佐美の部屋ってここじゃないよな。
縁たちが出入りしてる部屋、そのプレートを遠目に確認する。そのプレートには、先程担任から貰ったメモと同じ部屋番号が書かれていた。
「行かないのですか」
「う……」
「……あの者たちが邪魔なら追い帰しますが」
「そ、そんなことはしなくていいから……っ!」
あまりにも恐ろしいことを言い出す灘に俺はつい大きな声が出てしまう。
視線を向ける灘に、慌てて俺は口を閉じた。
「いや、ごめん、大丈夫……だから……その、ちょっと行ってくるから。あの、灘君はそこで待っててくれる?」
「わかりました。ここで待機してます。なにかあればすぐに呼んでください」
「……うん、ありがとう」
そんな『なにか』が一生こないことを願うばかりだ。
そして、灘を置いた俺は足を踏み出す。
流れで一人で大丈夫だとは言ってみたが、やはりいざとなると怖いものは怖い。どうしよう。……他人というわけでもないし一応挨拶をした方がいいのだろうか。いや、でも仲良しというわけでもないし自分からわざわざ話し掛ける必要もないよな。
「ふ、二人とも……落ち着いて……他の人の迷惑になったらどうするんすか」
「うっさい仁科! お前は荷物運んでろ!」
「は、運んでるって……つかお前そこ邪魔だから……」
なるべく揉めてる三人の視界に入らないよう壁際を、目を合わせないように歩いていく。キャンキャンと吠える安久に噛みつかれる仁科に内心同情しつつ、通行人Aのつもりで阿佐美の扉へと近づいた時。ぽんぽん、と肩を叩かれる。
「やあ、奇遇だね。君も詩織のお手伝いに来たの?」
「齋藤君」とニッコリと笑う縁方人に、ああ、と俺はすべてを諦めた。
「齋籐佑樹っ? ……おっ、お前……なんでこんなところに……」
「ど……どうも」
この三人にバレないと本気で思っていたわけではないので、この状況もまだ想定内だ。
愛想笑いを浮かべ適当にその場を流そうと試みるが頬の筋肉が突っ張り、ろくに笑えない。
……というか、今『君も』って言ったよな。どういう関係なんだ、阿佐美と。仁科ならともかく、なんで安久と縁まで阿佐美の部屋を知ってるのか。なんとなく嫌な予感がしたが、それを聞く勇気はなかった。
「俺は、手伝いというわけではないんですけど……あの、詩織は……」
「ああ、あいつなら部屋にいるよ。いま部屋ん中すごいことになってるから入んない方がいいんじゃない?」
「……そうなんですか?」
「そうそう。それよりも、本当にこんなところで君に会えるなんて俺は幸せ者だな。丁度暇だったんだ、どう? 今度こそ一緒に食事でも……」
「方人さん、暇なら手伝ってくださいよ」
「手伝いならもうしただろ? 俺の応援、ほら奎吾も元気いっぱいだ」
悪びれもなくそんなこという縁に突っ込む気すら起きないとでもいうかのように仁科は深いため息を吐いた。……なにやら大変そうだ。仁科には強く生きてほしい。
「ちょっと、そこの変態青髪。さっきから発情しまくりで見てて不快なんだけど? あんた脈無しなんだからさっさと諦めれば? 見苦しいんだろ」
「脈無し? 本気で言ってんのか? 齋藤君は俺のこと気になって気になってしょうがないんだよ、ほら、今もこうして熱い視線送ってくれてるし」
「本当頭の中までおめでたいやつ! ドン引きされてるの間違いでしょ」
「そんなカリカリすんなよ。溜まってんの? 俺が抜いてあげようか」
「仁科! 仁科早くこいつをどっかにつれてって! 僕の半径十メートル以内にいれないで!」
「冗談に決まってんだろ。俺は安久は許容範囲外だからさ」
「このホモ野郎……!!」
あまりにもめちゃくちゃな言われように固まっていると、「あ、齋籐君ならいつでも大歓迎だからね」と肩を抱かれそうになる。嫌な流れに「え」と固まったときだ。肩を掴んでいた腕が急に離れた。そして。
「用は済んだんですか、齋藤君」
「灘君……っ」
「灘……和真……ッ!」
縁の手を振り払った灘は、視線をこちらへと投げかけた。暗にこれ以上用がなければ連れ去る、とでもいうつもりなのだろう。いきなり現れた灘に、そしてあまり芳しくないこの状況にただ冷や汗が滲む。
「やだな、俺はなにもしてないよ。まだね」
「……」
ただ一人、縁方人は変わらない調子で笑う。
冷たい空気が流れる廊下の中、どうしよう、と狼狽えたときだ。阿佐美の部屋の扉が開いた。そして。
「……どうしたの? さっきから大声出して……」
開いた扉から現れたのは俺の元同室者でこの部屋の主である見慣れた男子生徒だった。何事かと心配そうに扉から顔を出す阿佐美に思わず俺は「詩織っ」と声を上げた。
そして、阿佐美も阿佐美で俺に気付いたようだ。長い前髪の下、驚いているのだろうというのはわかった。
「ゆ、ゆ、ゆうき君? なんでここに……」
「な……なんで、なんで黙って引っ越したんだよ。ビックリして、俺……っ」
堪らず駆け寄り、阿佐美が逃げないように咄嗟に俺は阿佐美の胸元を引っ張った。本当は引っ張るつもりはなかったのだけれど勢い余ってというか、つい、手のやり場に困ったのだ。
阿佐美、阿佐美がいる。
言いたいことはたくさんあったのに、実際に阿佐美を前にするとまともな思考など働かなかった。事前に頭の中でしていたシミュレーションもこれじゃ意味がない。
「俺の、せいなんだよね……っ?」
「ゆ、ゆうき君……待っ……く……苦しい……っ」
「あ! っご、ごめん……つい……」
感極まってしまった俺だが、外野の視線と青褪める阿佐美にハッとし、慌てて手を離した。……恥ずかしい。ごめんね、とよれよれになった服を戻そうと手を伸ばせば、阿佐美にそれを取られた。
「……取り敢えず、話なら部屋に入って。……ここじゃ立ち話もできないようだし」
ちらりと俺の周りにいた灘と縁たちを見る阿佐美はそう静かに続けた。そして俺達はぞろぞろと阿佐美の部屋へ移動することになる。阿佐美は俺だけを部屋に招いたつもりのようだったが当たり前のようについてくる灘たちに最早追い返す気にもなれなかったらしい、言及はしなかった。
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