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02
志摩と話そう。そう決心したのは、朝のSHRが終わってからだ。明日の段取りや今日の仕上げの作業、どれも蚊帳の外である俺には無関係の話であるが団結したクラスメートたちは一層盛り上がっていた。
俺と志摩……それから、そもそも教室にすら姿を現さなかった阿佐美だけだろう、その中に混ざることができなかったのは。
それから、最後の仕上げの準備が始まる。
午前中には教室内の飾り付けも終え、午後から料理や器具など厨房の方を主に準備に取り掛かるようだ。予め用意していた材料などを集めるクラスメートを横目に、珍しく暇そうにしている志摩に目を向ける。どうやら厨房の担当ではない志摩は仕事がないようだ。教室の片隅、携帯端末を弄っていた志摩を盗み見、覚悟を決める。
これは話をするチャンスではないだろうか。それに、この時間帯の学園の中なら人目もあるし志摩も下手なことをしないはずだ。震える手のひらをぎゅっと握りしめ、俺は志摩へと近づいた。
「志摩」とその名前を呼べば、端末へと向けられていた志摩の目がこちらを見上げた。
「あの……話したいことがあるんだけど」
「話? 俺に?」
「今から、いいかな」
声が震えた。志摩の顔をまともに見ることも怖かった。それでも、ここで逃げたら駄目だ。ずっと、引きずることになる。……そんな思い、もうしたくない。意を決した俺に志摩は最初驚いた顔をしていたが、すぐにその顔には笑みが浮かぶ。
「いいよ。なんの話? ……もしかして、デートの誘い?」
「……ちょっと、場所変えたいんだけど」
「いいよ、齋籐がそうしたいんだったら」
「……え」
「えってなに? ……齋藤から誘ってきたんでしょ?」
そうへらへらと笑いながら立ち上がった志摩は「行こっか」と教室の外へと視線を向ける。内心、心臓がおかしくなりそうだった。怖かった。確かに、今、誘ったのは俺だ。だからこそ、余計。
俺たちは教室出る。
「でも、齋籐から誘ってくれるなんて珍しいよね」
「……そうかな」
「そうだよ。今だって、ほら。阿佐美のことで俺に文句言いに来たんじゃないの?」
「……」
「もしかして、当たっちゃった?」
通路も他のクラスの生徒たちで賑わっていた。けれど、対象的に俺たちを包む空気は温度が下がっていくのを肌で感じた。
――志摩は、鋭い。恐ろしいほど、俺の隠している本心を当ててくるのだ。俺が分かりやすすぎるのか、それとも志摩が鋭いのかわからないが、下手に誤魔化すことが志摩には通用しないことを知っている。
だから、俺は――。
「……そうだよ」
そう、肯定の言葉を口にしたとき、こちらを見ていた志摩の目がすっと細められた。
そして、その表情から笑みが消える瞬間を俺は見てしまった。
「やっぱやめた」
志摩はそう立ち止まる。
通路のど真ん中、咄嗟に志摩を振り返ればそこには恐ろしいほど冷え切った目でこちらを見る志摩がいた。
「っ、し、志摩……」
「齋籐ってさぁ、結構デリカシーないよね。気付いてる? ……それが人を誘う態度なわけ?」
「悪いけど、俺は教室に戻らせてもらうよ」そう、ひらりと手を振った志摩はそれだけを言い残し来た道を戻ろうとする。
その背中に、気付いたら勝手に体が動いていた。
「っ、ま、待って……!」
自分でも、自分の行動に驚いた。
このまま呆れられてバイバイでよかったはずだ。なのに、何故か、俺は引き止めていた。このあと行動も展開も考えず、このまま行かせては行けない気がしてならなかったから。
呼び止められるとは思ってなかったのか、それでも振り返った志摩の顔にはいつもと変わらない軽薄な笑みが浮かんでいた。
「へえ、なに? そんなに俺に文句言いたかったの?」
「っ、それは……その……俺は、確かにそれもあるけど、他にも、志摩に……」
「御託はいいよ。俺になにしてほしいかだけ言ってよ」
志摩は、妙な言い回しをする。
志摩にしてほしいこと。言いたいことは、山ほどあった。阿佐美にちょっかい出すなとか、勝手なことしないでくれとか、優しくしろとは言わないからせめて人前で変なことを言わないでくれとか。けれど、志摩が言ってるしてほしいことというのはそういう意味ではないはずだ。
「ねえ。齋籐がしてほしいって言うなら俺、なんでもするよ。あるんでしょ? そのためにわざわざ自分を犯した男を呼び出すんだからさ」
「……っ、し、志摩」
「だってそうでしょ? ……ああもしかして、またこの前みたいにしてほしいとか?」
その言葉に、顔が焼けるように熱くなる。
身も蓋もないその言葉の数々に、嫌でも思い出す志摩との行為に、頭の中が真っ白になる。
悔しかった、それ以上に、まだどこか志摩を信じていようとしていた自分が歯がゆくて、情けなくなる。志摩は、試してるのだ、俺を。どんな言葉で嬲れば傷つくか、反応を愉しんでるのだ。
真に受けたら駄目だ、痛い目を見る。そう、自分に言い聞かせる。相手は志摩だ。
「俺は……志摩と話したい」
「話してるじゃん」
「そ、じゃなくて……ちゃんと」
「ちゃんと? ちゃんとってどういう意味?」
「……俺は、志摩が何考えてるかわからない。俺に嫌がらせしたいんだったら、俺だけでいいだろ。……し、っ、詩織に……ちょっかい出すのはやめてくれないか」
言葉にすればするほど、指先から熱が失せていく。怖かった。志摩の反応が。
――言った。言ってしまった。目をぎゅっと瞑り、志摩の反応を待ったとき。
伸びてきた手に手首を掴まれる。そして、体を思いっきり引っ張られる。
「っ、し、志摩……ッ!」
待って、と止める暇もなかった。
近くの扉を開け、押し込められたと思えばそこは空き教室のようだった。
はっとしたときには遅い、志摩は後ろ手に教室に鍵を掛ける。
「……それで、なんて言ったっけ? 俺の気持ち? 阿佐美に手を出すなって? ……なにそれ、まるで俺が全部悪いみたいな言い方をするよね、齋藤」
「……ッ、そ、れは」
「俺は、齋藤のことが好きだよ」
扉の外から聞こえてくる楽しげな声が遠くなる。電気すら点いていない薄暗い教室内、湿った空気が手足に絡みつくようだった。
「で? ……これで満足?」
凍りつく俺に、志摩は悪びれもなく笑うのだ。
「好きだよ、齋藤。……ねえ、これが聞きたかったんでしょ? もっと嬉しそうな顔くらいしてみたらどうなの?」
齋藤、と頬に触れる指に、気付いたら俺はそれを払い除けていた。静まり返った教室の中に乾いた音が響く。やってしまった、と後悔したときには遅い。志摩は払い除けられた自分の手を見つめ、そして、は、と息を漏らすように笑うのだ。恐ろしく冷たい目で。
「っ、う、そだ……」
「酷いな、人に告白させておいて二回も振るつもりなの? ……本当齋藤って酷いよね」
「ちが、俺は……っ」
「齋藤は認めたくないんでしょ。好きならなんでこんなことするんだって。……本当羨ましいよ、そういう考え方」
「……っ志摩」
「俺は齋藤のこと好きだよ」
こんなに棘のある告白があるというのか。
俺は、何も答えることができなかった。志摩の言葉全てが悪意に満ちている。俺のことが好きなわけがない。志摩は、俺のことを恨めしく思っている。それだけは、肌で感じるのだ。
固まる俺に志摩はふっと頬を緩める。そして、「ま、いいや」とひらりと手を振った。
まるで興味でも失せたとでもいうかのように。
「そんなことよりさ、聞いたよ。ようやく、一人部屋になったんだってね。よかったね、これでやっとゆっくりできるよ」
阿佐美の事に対し、反省どころか開き直るような言葉に思わず絶句する。コロコロと変わる話題。表情。けれど、志摩の真意は相変わらずわからない。
「そんな、言い方……」
「え? 事実でしょ?」
「……っ」
「実際、阿佐美には関わらない方がいいよ。ろくなことにならないから」
阿賀松も、芳川会長もそうだ。挙げ句の果てに阿佐美とまで関わるなと言ってくる志摩に、俺は言葉すらでなかった。
これじゃあ、まるで志摩は俺に。
「……俺に、誰とも関わるなって言ってるの?」
忠告にしては、あまりにも横暴だった。
阿佐美に関しては、逆恨みにも等しい。実際、阿佐美は俺に害成すどころか俺を助けてくれた。
そんな阿佐美に対してまで言いがかりを付ける志摩に思わず語気が強くなったとき、志摩は俺を見て微笑んだ。
「そうだよ」
志摩は、あくまで普段通り言ってのけるのだ。
「齋籐はさ、今自分が面倒な立場にいるって気付いてる?」
「……立場、立場って……」
「わかるでしょ? このままじゃ馬鹿二人に巻き込まれて身を滅ぼすよ」
馬鹿二人というのが芳川会長と阿賀松を指していることにはすぐに気付いた。
そして現状、二人の板挟みになっているのも事実だ。
「……だからそうなる前にさ、いつも言ってるじゃん俺。関わるなって」
「……関わるなって、そんなの……っ、そんなこと、言われても……」
もう遅い、何もかも。
「今更遅いって? ……やだな、俺は前からずっと言ってるよ。それを聞かなかったのは誰? 齋籐でしょ?」
「……」
「まあ、いいや。昔のことを今さら掘り返しても仕方ないもんね。なってしまったものはどうしようもない」
そう、大袈裟に肩を竦める志摩だったがすぐにすっと目を細め、優しく微笑むのだ。志摩の顔がぐいっと近付く。鼻先数センチ、少しでも背中を押されてしまえば唇が触れてしまいそうな距離に息が詰まる。
「……でも、齋籐が本気で今の状況から抜け出したいっていうなら俺はいくらでも協力するよ」
「もちろん、友人としてね」本気かそれともいつもの悪い冗談か。志摩亮太は変わらない笑顔で俺に囁きかけてくるのだ。
協力。友人。……志摩が?
一瞬、志摩が何を言ってるのか理解できなかった。今の現状から抜け出せる手段があるというのか。俺が、平穏に暮らせることができるというのか。俺は、思わず志摩を見上げた。
「なに、その顔。俺が信用出来ないって?」
「……っ、いきなり、あんなことして、信じろって……言われても……」
「あんなこと?」と小首傾げる志摩だったがやがてすぐに「ああ」と思い出したように笑った。
何を思い出したのか、含むような色を滲ませたその目に見詰められればじっとりと嫌な汗が全身に滲む。
「……どうしたらいいのかわからない?」
「……っ」
「そうだね。いきなりこんなこと言われてホイホイ信じる方が正直俺は心配になるよ」
「……志摩」
「でも、嘘じゃないから。俺は齋籐の味方だよ」
言葉で塗り固められた志摩の心はまるで見えない。けれど、猫の手でも借りたい現状、志摩の甘言に惑わされそうになる俺もいた。
からかっているだけだ。
そう頭では理解しているはずなのに、一芳川会長に対しての違和感もあってか余計揺らいでしまう。
「友達ってそーいうことでしょ? 齋籐」
声もでなかった。
志摩は俺との会話の中で友達や友人、友情だとかそういった言葉をよく強調する。
志摩にとって、友人というものは協力者であり、友情というのは打算的なものを指し示しているのだろう。酷く、空々しい気持ちになる。
同時に痛感させられた。俺と志摩の認識の差に。
「おかしいな。俺の予定では、ここで齋籐が泣いて喜んでくれるはずだったんだけど」
「っ、……」
「喜べるはずがない、って顔だ。……まあいいよ、けど俺は齋藤に嘘なんて吐かないから。誰がちゃんと齋藤のこと考えてあげてるのか、よく考えなよ」
「っ、志摩」
「それじゃあ、俺はこれで」
またね、と志摩は笑って空き教室を出ていこうとする。
待って、と伸ばしかけた手を引っ込める。そして、目の前の扉が閉められそうになったとき。
「志摩」とその名前を呼べば、志摩がこちらを見た。
「あの、携帯……っ」
なんで勝手に登録したんだ。勝手に触ったのか。
そう尋ねようとして、言葉かに詰まる。そんな俺になにかを察したのか。志摩は小さく笑うのだ。
「うん、わかった。また後で電話するからね」
そうじゃない。
「いや、ちが……っ」
慌てて言い直そうとするが、訂正する前に志摩は空き教室の扉を閉めたのだ。
ぴしゃりと閉まる扉を前に、俺は暫く動くことができなかった。
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