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04

 俺は動揺を悟られないように阿賀松についていて出た。  もしかしたら栫井の一件からなにか悟ったのだろう。無駄に頭の切れる阿賀松のことだ。  なんで栫井が芳川会長にバレたのかがわかったのだとしたら、まずい。  阿賀松に連れられてやってきたのは、保健室の奥にある扉前だった。  カウンセリングルーム。扉には、そうプレートがかかっていた。  躊躇いもなくカウンセリングルームの扉を開いた阿賀松は、そのままずかずかと中へ入っていく。勝手に入っていいのかわからず入り口の前で踏み止まっていると、部屋の中から阿賀松から「さっさと来い」と怒鳴り付けられる。  その声に驚いて、俺は慌ててカウンセリングルームの中へ入った。  カウンセリングルームは保健室同様清潔な部屋だった。  中央に置かれたテーブルと二脚のソファー。  ……初めて入った。転校前は何度か通されたことはあったがやはりどこも同じような作りなのだろう。俺はこのカウンセリングルームの空気が苦手だった。 「座れよ」 「っ、し……失礼……します」  なんでこの人は我が物顔なのだろうか。明らかにこの場にそぐわない阿賀松なのにまるで自宅のソファーかなにかのようにどかりと腰を下ろしてはくつろぎ始める阿賀松。  その向かい側のソファーの端に腰を下ろした。  窓から射し込む暖かな日差し。湿気を孕んだじとりとした空気。そして、向かい側で圧迫してくるのは阿賀松伊織だ。 「お前、芳川に余計なこと言ってねえよな」  静まり返った室内に、阿賀松の声が響いた。単刀直入、前振りなんてなかった。  時限爆弾でも抱えているようだった。起爆寸前のそれに、俺は必死に平静を装う。落ち着け、まだ確信などないはずだ。俺が芳川会長と手を組んだという確信は。あれば、こんなことを聞いてこないはずだ。この男はカマを引っ掻けて俺の反応を見てるんだ。バレるな、悟られるな、動揺するな。背筋が薄ら寒くなるのを感じながら、俺は乾いた唇を舐める。 「……っあの、余計なことって」 「わかんだろうが。俺がお前に言ったこと全部だ」  どうやら、阿賀松は薄々感付いているのかもしれない。俺と芳川会長が共犯だっていうことに。  けれど、確証はない。……はずだ。 「……言ってません」  嘘を、吐いた。やはり、嘘をつくのは慣れない。  自分で墓穴を掘り進んでいるような気がしてならないのだ。  栫井の怪我といい、芳川会長に対して疑念を抱いたのも事実だ。  それでもやっぱり、現段階で下手に出ることはできなかった。 「本当だな?」と静かに尋ねられ、俺は何度も頷き返した。  そして、沈黙。口は滑らせていないはずだが、視線の動きまでも見られているようで落ち着かなかった。 「ぁ、あの……」 「そーかそーか、それ聞いて安心したわ」  にっと阿賀松は笑う。嫌な笑い方だった。  一応、信じてもらえたのだろうか。僅かに明るくなるその声に内心ほっとしたとき。  阿賀松はソファーから立ち上がる。どうやら話というのはこれだけだったのか。そのまま阿賀松が俺の座るソファーの背後を通り過ぎようとしたときだった。  背後から伸びてきた手に後頭部を鷲掴まれる。そして。 「一応俺、お前のこと信用してんだからな」 「嘘つかないよな、お前は」すぐ耳元から聞こえてくる阿賀松の声に、俺は息が止まりそうになっていた。縛り付けるような一つ一つの言葉、そして掴んでは離さないその指先に、息を飲む。 「俺に恥かかせんなよ」  どくり、と鼓動が激しく脈を打つ。嫌な汗が全身に滲んでいた。   息苦しいのは、頭を押さえ付けられているせいだけではないとわかっていた。 「返事は?」  促され、俺は何度も頷く。嘘に嘘を塗り込んでいく。相手の信頼を裏切っているという罪悪感よりもバレたときの恐怖心の方が大きかった。  なにもかもが手遅れだった。  カウンセリングルームを出て保健室へと戻れば、制服を着直した栫井と後片付けをしていた仁科がいた。 「なんだ、もう終わったのか? ……また借りが出来ちまったな、副会長さん」  そう、ベッドに横になって休んでいた栫井に早速阿賀松は絡み出していた。 「お前が勝手にやったことだろ。……恩着せがましい」 「恩人に向かってよくそんな口が利けんな。んなこと言ってっと、二度目は助けてやんねえからな」 「……好きにすりゃいい」 「ほんっと可愛くねえやつ。まあいいや。仁科、行くぞ」 「あの……もういいんすか?」 「ああ。それに、誰かさんはさっさと俺に帰ってほしいらしいからな」  そう、阿賀松は笑う。その誰かさんと口にしたとき、阿賀松はこちらを見ていた。俺は何も言い返せず、ただじっと黙ってることしかできなかった。  そして二人が保健室から出ていこうとしていたときだ。  「ユウキ君、約束忘れんなよ」  扉に手をかけた阿賀松は、そう思い出したようにこちらを振り返る。  阿賀松の言う約束がなんなのか、言われなくてもすぐに分かった。……芳川会長とのことを言ってるのだろう。俺が反応するよりも先に阿賀松はそのまま部屋を出ていった。  そして仁科もこちらを一瞥し、そのまま部屋を後にする。  阿賀松と仁科がいなくなり、ようやく保健室内に静粛が走る。 「あの……大丈夫?」  静まり返る部屋の中、のそりと起き上がる栫井に恐る恐る声をかける。  制服の上からはその下がどうなっているかまでわからなかったが、袖のしたや首元から覗く白い包帯に思わず先程目の当たりにした傷を思い出しては具合が悪くなった。  相手が栫井だとわかってても、心配してしまう。 「……一応はな」  そう、立ち上がる栫井。  正直、驚いた。いつもなら「うるせえ」「黙れ」「耳障りなんだよ」と突っ撥ねてくるのに、俺にちゃんと答えてくれる栫井にこちらも調子が狂いそうだった。  そして、栫井はそのまま保健室を出ていこうとする。とても歩き辛そうだ。時折扉やカーテンに引っ掛かりそうになってる栫井にはらはらしながら見てると案の定扉に肩をぶつけていた。 「あの、教室前までなら俺も一緒に戻るから……その、肩くらいなら……貸そうか?」  見兼ねてそう声をかければ、長い前髪の下、細められたじとりとした目がこちらを睨む。 「いらねえよ」 「あ、ご、ごめ……」  ……まあ、だろうな。そう思いながらそのままスタスタと歩いていく栫井を見送ってると、不意に栫井は立ち止まる。 「……戻るんだろ。さっさとしろ、ノロマ」  腕はいらないけど一緒に教室に戻る、ということか。……益々栫井がわからない。まあ、途中で階段から落ちたりでもしたら危ない。  俺は慌てて栫井の後を追って保健室を後にした。   それから、栫井に置いていかれるような形のままやってきた教室前廊下。  うちのクラスとは違い、禍々しい装飾が施された栫井の教室前までやってきた。 「中までついてくる気かよ」  わざわざ俺が自分の教室までついてくるとは思っていなかったようだ。  慌ただしく生徒が出入りする栫井の教室を眺めてると、睨んでくる栫井にはっとする。 「あ、や……ごめん、つい」  そう慌てて首を横に振れば、栫井はそのまま教室の中へと入っていく。  別に栫井に感謝されたいわけではないが、最後まで無言か。……まあ、大丈夫そうだしいいか。変に絡まれるよりはましだ。そう思うことにした。  ここにいつまでもいるわけにはいかない、俺はそそくさと逃げるように栫井の教室前から退散することにする。  このまま自分の教室に戻ったところで俺にできることもないだろう、俺は図書室で時間を潰すことにする。  図書室には結構な数の人がいた。  やはり訪問者の大半が学園祭の出し物がなく時間を持て余した一年で、二年三年は俺も含めてあまりいない。それでもやっぱりなにも言われないのは今日が特別だからだろうか。  自習に励む生徒たちに混ざって俺は対して興味のない本を読むふりをして時間を過ごした。しかし何を読んでいても芳川会長のことが気掛かりで何も頭に入ってこなかった。  並んで歩くのかと思いきや、栫井はさっさと一人で歩いていく。そして、俺はそんな栫井のあとを追いかけるのだ。  阿賀松は栫井を傷付けたのが芳川会長だと言った。でも栫井は違うと言う。どちらを信じればいいのか。会長のことを信じたいが、俺には判断材料が少なすぎたのだ。  阿賀松が信用に値する人間とは思わないけど、状況からしてグレーなのは違いない。このまま芳川会長を疑うのも嫌だった。意を決して、俺は栫井に傷のことを聞くことにした。 「あの、その背中の怪我……」  そう、前を歩く栫井に声をかけたとき。  栫井は立ち止まり、こちらを振り返る。 「……お前、あんなやつの言うことを信じるのか?」  どうやら栫井は俺が阿賀松の言うことを信じていると思っているようだ。正直、半信半疑だった。  今の段階では俺からしてみればなにも言えないが、言葉次第では栫井からなにか聞き出すことができるかもしれない。だから、これは賭けだ。 「……だって、見たんだ。昨日、会長が栫井の部屋に行くの……」  嘘だ。それらしき素振りはあったが、実際に栫井に会いに行ったかどうかはわからない。  会長が栫井に会いに行っていないのなら、こんな意味のない嘘すぐにバレるだろう。  俺としては、ただの嘘で終わってほしかった。けれど、俺の期待は裏切られる。 「……だからなんだよ、学園前で打ち合わせをしただけだ。それとこれとがなんの関係になる」  いつもと変わらない抑揚のない声。けれど、そのしかめっ面に僅かに焦燥感が滲んでいた。  ――会長は、二年生のフロアにきて栫井に会いに行った。そうであってほしくなかった。 「打ち合わせって……もしかしてそれで喧嘩したの? じゃないと、あそこまで……」  あそこまで酷い傷はできない。そう言いかけたときだった。  伸びてきた栫井にネクタイを掴まれる。そして、ものすごい力で引っ張られた。 「なにか言いたいことがあるんならハッキリ言え」 「お前みたいなねちねちねちねち回りくどいやつが一番うぜーんだよ」ぎりぎりと絞まる首。息が苦しい。殺す勢いで締め上げられる器官に思わず汗が滲む。  あまり人を挑発するような真似はしたくない。ましてや会長のことを悪く言うなんて。  けれど栫井のような相手から言葉を引き出すには一番この方法が効果的だと思ったのだが、どうやら覿面すぎたようだ。けど、ここまできて引くわけにはいかない。 「……栫井が会長に怒られたのって、生徒会室に隠しカメラ仕掛けてたのが知られたから?」  踏み込みすぎると危険だ。ここから先は想像の域を越えない。言葉を選びながらも尋ねれば、栫井の顔色が変わった。 「なんで……」  お前が知ってるんだ。そう、栫井の唇が動いた。……俺の想像は的中していた。 「阿賀松先輩に聞いたんだ。……その役が栫井っていうのは知らなかったけど」  栫井相手にどこまで聞き出せるかわからないが、ここまで嘘をついたんだ。今さら引き返せない。  栫井は阿賀松と俺が繋がっていることを知ってるのは間違いない。でも、俺と芳川会長と繋がっていることまでは知らないはずだ。  掴まれたネクタイから、栫井の緊張が伝わってくるようだった。無言でこちらを睨みつけていた栫井だったが、やがて俺から手を離した。   締め上げられていた器官が楽になり、俺は慌てて呼吸を整える。そして、目の前の栫井を見上げた。 「……その怪我、どうしたの」  もう一度尋ねた。別に、弱った栫井を詰りたいわけではない。ただ知りたかった。  俺は頼る相手を間違えているかもしれない。この考えがただの杞憂だと。  栫井は舌打ちをし、そして諦めたように目を伏せるのだ。 「……自業自得だ」  会長は間違っていない、と。そう、栫井は吐き捨てるように続けたのだ。  それは、間違いなく阿賀松の言葉を肯定するものだった。  芳川会長に殴られたのだと。栫井が。俄信じられなかった。信じたくなかった。  足元から熱が抜け落ちていくようだった。呼吸が浅くなる。  ――俺の考え過ぎだと言ってほしかった。けれど、現実はどうだ。全部あの男の言うとおりだったのだ。 「これで満足か」 「……ッ!」 「聞きたかったんだろ、これが」  これ以上俺に隠しても無駄だと悟ったのか、俺に知られたからと言って痛手ではないのか、恐らくその両方なのだろう。  けれど、俺にとっては充分すぎる答えだった。 「……ありがとう、教えてくれて」  栫井は舌打ちをし、再び歩き出した。俺は、暫くその場から動けなかった。  今思えば、俺は会長のことをよく知らない。まだ会ってそんなに経ってないのだから当たり前だが、言い換えれば会って間もない人間に対しここまで尽くしている会長が不思議でしょうがなかった。  栫井を傷付けたのも、元はといえば阿賀松からの命令が原因なのだろう。阿賀松があんなこと俺に命じなければ、そして栫井を利用しなければこんなことにならなかったのだ。  会長は俺を傷付けたわけでもない。それどころか、寧ろ手助けをしてくれている。  栫井の件も、本人が言っているように自分を裏切ってまで阿賀松の命令を聞いたのが要因だろう。だとしても、  会長のしたことは褒められるものではないが、それでも結果的に俺を助けてくれることも事実だ。けれど本当にこのまま芳川会長に任せていてもいいのかわからなかった。  ……それに、栫井だ。ここまで芳川会長を庇っておきながら何故阿賀松に手を貸してるのかまるでわからなかった。  とにかく、今回見たことは会長に言わない方がいいだろう。阿賀松に聞いたこと、栫井の怪我、全部胸の内に秘めておこう。  ……正直怖かったのかもしれない。ずっと頼りにしていた人間が急に得体の知れない存在になったようで、まるで読めなくなるのだ。もし会長に悟られたらと思うと怖かった。  放課後。頃合いを見て図書館を出た俺は、再び自分の教室へ足を運ぶ。  このまま寮へ帰ろうと思ったが、生憎教室に鞄を置いたままだった。  ……それに、江古田のこともある。  見張りの件は正直やり過ぎだと思うが、もし江古田が教室前で待っているかもしれないと思うとこのまま無視することもできなかった。  ――二年教室前廊下。  どうやらまだ江古田は来ていないようだ。もしかしたらそろそろ来るかもしれないし取り敢えず鞄だけ取ってくるか。  どうやらうちのクラスの出し物は終わったようだ。帰宅準備を済ませたクラスメイトたちがゾロゾロと教室から出てくるのを見て、気まずさに思わず身を隠す。  集団がいなくなったのを確認してこそこそと教室へと足を踏み入れた。  そのときだ。 「齋籐」  鞄を手にし、そのままクラスメイトに紛れて教室を後にしようとしたときだ。背後からかけられたその声にぎくりと立ち止まる。 「今までどこ行ってたの?」 「し……志摩……」 「何度も電話したのに全く出ないし……もしかして俺のことを着信拒否なんてしてないよね」  その言葉に俺は部屋に置き忘れていた携帯を思い出した。向けられる白い目に慌てて俺は「違うよ」と弁明する。 「け……携帯、部屋に忘れてきたんだ。拒否なんて……」 「本当に? そんなこといって俺からの連絡が鬱陶しくなってわざと置いてきたりしてね」 「なんてね」と笑う志摩に俺は何も返すことができなかった。志摩の目が俺のことを信じていないとわかったからだ。 「まあいいけどさ、ちゃんと忘れないように首からかけるなりしときなよ。じゃないと携帯の意味ないじゃん」 「……わかったよ、気をつける」  別に志摩と連絡を取るために携帯を買ったわけではないが下手に言い返してはまた気を損ね兼ねない。  廊下の外、江古田の頭がちらりと見えた。どうやら江古田がやってきたらしい。このまま待たせるわけにはいかない、俺は「それじゃあ」と強引に切り上げその場を後にしようとする。  けれど、肩を掴まれて止められた。 「ねえ、せっかくだし一緒に帰ろうよ。今から帰るんでしょ?」 「え……いや……その、今日は……」 「何? なんか用事でもあるの?」 「用事というか、その……」  なんと説明すべきか。芳川会長からの命令で送迎役が迎えにやってくることになってるなんて説明したら志摩は呆れるだろう。そもそも火に油みたいなものだ。  どうしようと、と口籠っていたときだ。 「……齋籐先輩?」  不意に、教室の扉が開く。そして聞こえてきたか細い声にはっと顔を上げれば、そこには廊下からこちらをじ……っと覗く江古田がいた。  助かったのかすらわからない。寧ろこのタイミング最悪な気がする。 「……ご、ごめんね、すぐ行くから」  江古田をこれ以上待たせるわけにはいけないという体でさり気なく志摩から離れようとするが、完全逃げることはできなかった。 「誰? 齋籐の後輩?」 「うん。そう……だから、今日はちょっと……」 「なんで?」 「いや、だから江古田君と……」 「どこか行くの?」 「そういうわけじゃないけど……」 「ならいいじゃん。二人が三人になるだけでしょ?」 「ねえ、江古田君」そう、志摩は扉の外で律儀に待っていた江古田に笑いかける。  こいつ、着いてくるつもりだ。  何を言っても折れない志摩に俺は辟易する。  突然名前を呼ばれた江古田はというと、訝しげに志摩に目を向けるのだ。そして。 「……齋籐先輩のお知り合いの方ですか?」  直接志摩に返さず、俺に尋ねてくる江古田に志摩は「齋籐の友達だよ」と間髪入れずに答える。  しかし、先程よりも江古田の目は冷たい。 「……齋籐先輩のお友だち、ですか……」 「うん、そうだよ」 「……その割りには、あまり齋籐先輩に好かれているようには見えませんが……もしかして、ただの思い込みではないでしょうか……?」  江古田の遠慮ないその一言に空気が凍りついた。正確には志摩の周辺の空気だ。  志摩も志摩で慇懃無礼な発言が多いが、江古田はそれに匹敵するだろう。  わざとか、否か。俺にはわからないがどちらにせよこの空気は最悪だった。ぴくりと志摩の頬が痙攣するのを見て背筋が凍った。 「……へぇ、結構言うんだね。でも齋籐は俺の友達で間違いないよ。誰がなんと言おうとね」 「……つまり、誰かになにか言われるかもしれないという自覚があるんですか……でしょうね、普通ならあんな圧を与えるような言い方、友達にするとは思えないですし……」 「……っ、え、江古田君……っ!」 「君、一年生だよね。先輩対する礼儀とか習わなかったの?」 「……習いましたよ、けどそれをする相手は僕が決めるので……」  江古田の言葉は少なくともお前は礼儀正しく振る舞うに値しない、と言ってるようなものだ。  相性がいいとは思わなかったが、いや、寧ろここまで悪いと一周回っていいのか? 「江古田君……っ、寮まで帰るんだよね? ……早く行こっか」  このままでは余計面倒なことになりかねない。そう危機を察知した俺は江古田の方をやんわり止めることにした。  江古田は渋々といった様子で「わかりました」と頷く。  自分よりも江古田を選んだことが不服のようだ。「齋籐」と志摩が咎めるような目を向けてくるが、これでわかったはずだ。俺が二人を一緒にしたくない理由くらいは。 「悪いけど、そういうことだから」 「……そんなにそいつと二人きりになりたいわけ?」 「そうだよ……本当に大事な用なんだ」  抱えていたぬいぐるみにぎゅっと顔を埋めていた江古田だったが、俺の言葉に反応したようにこちらをじとりと見上げてくる。出汁に使うようで胸が痛んだがこれが一番手っ取り早い。 「ああ、そう。わかったよ。それじゃあ好きにしたらいいよ。……ごめんね?大事な用があるところにわざわざ引き留めたりして」 「齋籐がそこまで俺と居たくないって言うんだったら、お望み通りいなくなるよ」これでいいんでしょ?とでも言うかのように皮肉たっぷりの笑みを浮かべて志摩はひらりと手を振った。  ああ、と思った。そのまま一人で教室から出ていく志摩の背中を一瞥し、俺は深く溜息を吐いた。  ……傷付けただろう。わかっていたが、ああする他なかった。……本当にそうなのだろうか。もっと他にいい躱し方があったんじゃないだろうか。  ぐるぐると後悔と反省の文字が巡る。遠ざかる志摩の足音。暫くその場から動けなくなる俺に、「先輩」と江古田に呼び掛けられる。 「……帰りましょう……」 「ん……そうだね、ごめんね。待たせて」 「…………」  江古田は志摩に対してどう思ったのだろうか。……俺に対しても。  なんだか煮えきれない気分のまま、俺たちは教室を立ち去った。  自分の選択肢が正しいのかわからなかった。  志摩を傷つけた、あの自虐的な言葉が、皮肉な笑みがやけに脳裏にこびりついていたのだ。後で志摩の部屋に行って謝ろうかとも考えたが、相手は謝るだけではいそうですかと納得してくれるような単純な性格ではない。  早くこの生活を脱する、それがこの他方に気遣う生活から脱する方法だとわかっていた。けれどこればかりは他人を頼りにするしかないのだ。  芳川会長と櫻田がちゃんと和解するのを待つか、栫井の言った通り五味に相談するか。  二択の意味なんてないに等しい。  ……江古田と別れたら五味の部屋に行こう。そう一人考えていたとき。 「……あの、先輩」  学生寮へと続く渡り廊下を歩いていたときだ、ふと江古田にくいくい、と制服の裾を引っ張られる。なにか言いたげにじとりと見上げてくる江古田に「どうしたの?」と聞き返したときだ、きゅるるる……と力の抜けるような音が響く。  俺からではない。となるとクマのぬいぐるみ……ではなく江古田の腹部からだ。 「……お腹、減りませんか」 「お腹?」 「……一緒に……」  やけに歯切れの悪い江古田だったが、なんとなく言いたいことは伝わった。どうやら一緒に夕食をとろうと誘ってくれているようだ。  とうとう言い終える前に諦めてしまった江古田はそのまま黙り込み、誤魔化すようにクマのぬいぐるみをぎゅっと抱える。表情は乏しいが、こうして江古田を見ているとなんとなくだが伝わってくるのだ。 「……俺でよかったら一緒にいいかな。そうだ、食堂でいい?」  聞き返せば、江古田は小さく頷いた。  江古田を後輩に分類してもいいのかわからないが、それでもまともな後輩がいなかった俺からしてみれば江古田のこういった態度はいじらしくすら思える。……志摩や櫻田の相手となるとまた別だが。

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