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02
志摩がいなくなり、一人の時間が続く。
別に一人でいること自体は苦痛ではなかったが、やはりこの祭りの雰囲気に馴染めないのはキツかった。そんな俺の心情なんて関係なしに時間は進む。
担任から学園祭の大まかな流れや注意事項などの説明があり、時間になると校舎の一般解放が始まった。
その前に教室を抜け出した俺は、予め用意していた文化祭のパンフレットを片手に校舎内を見て回ることにする。幸い、校舎内には俺以外にも制服で店を回っている生徒がいたので然程人の目は気にならなかった。恐らく、その殆どは出し物もない一年だろう。
楽しそうに話しながら歩いていく複数の男子生徒が眩しくて、より一層自分が惨めに見えてしかたない。なにが悲しくて一人で文化祭楽しまなきゃならないんだ。なんて思いながら、俺は一人小さく溜め息をつく。
――校舎内、休憩所。
普段ならばただのラウンジなのだが、今日に合わせてテーブル席が増設されたそのスペースには食べ物や飲み物の屋台が並んでる。
既に一般客で賑わっている屋台を横目に、何かを食べて昼まで休んでおこうかと考えていたときだ。
「信じらんない、あたしだけって言ったじゃん! 最低っ! 馬鹿っ! 浮気野郎っ! 馬鹿っ! 七股とか有り得ないんだけど!」
聞こえてきたのは女の子の声だった。何事かと声のする方へと見れば、休憩所側の通路で何やら揉めているようだ。人垣ができている。
それだけならばただの痴話喧嘩かと流せるのだが、その喧騒の中心には見覚えのある顔があった。
「まあほら取り敢えずこれでも食べて落ち着いて……」
――十勝だ。
「落ち着けるわけねーだろ」「一発殴らせろよ」と声を荒げる二人の女の子に挟まれる十勝の頬には既に一発叩かれてるようだ、赤い紅葉ができていた。
……触らぬ神になんとやらだ。俺は見なかったことにしてたこ焼き屋台に並んだ。
というか、七股は流石にどうなのだろうか。
暫くもしない内に騒ぎに駆け付けた風紀委員によって関係者全員が補足され、集まっていた野次馬たちも離散していく。
そして俺も最後のたこ焼きを食べ終え、そろそろ移動しようかとしたとき。いきなり背後から肩を掴まれた。
「なぁーんでぇー助けてくれなかったんだよぉー」
すぐ耳元から聞こえてきたその恨めしげな声。その声の主が誰なのかすぐに分かった。
振り返ろうとしたとき、肩に顎を乗せ伸し掛かってくる十勝に捕まった。
「と、十勝君……っ! ……えーと、なんのことかな……?」
「なんのことじゃねーよぉ、さっきの見てただろ。ずっと助けてって合図してたのにさぁーっ!」
そんなことしてたのか。関わらないようすぐに目を背けたから気付かなかった。
「お陰で反省文書かされちゃったしさぁ、あー手首疲れた。ペンタコになったら佑樹のせいだかんな!」
「ご、ごめん、気付かなかったから……」
「まじで?」と疑いの目でじーっと見上げてくる十勝。本当は面倒だから気付かないフリをしてたなんて言えば噛み付いてきそうな勢いすらある。
こくこくと頷き返せば「なーんだ」と十勝は俺から離れた。
「なら仕方ねえな」
何が仕方ないのだろうか。けど、一先ずは機嫌を直してくれた十勝にほっとする。
「えと、何があったの?」
「まーいつものことだよ。どっちが本命なのかって聞かれて二人共比べらんないって言ったらぶん殴られただけ」
「だ、だけ……?」
「……けど本当ツイてなかった。もしあのとき佑樹が気付いてくれてたら佑樹紹介して宥めようと思ったのにさ」
……そんなこと企んでたのか。
気付かないフリしてよかった。もしそんなことしてたら火に油もいいところだ。
「……頬、赤くなってるね」
「思いっきり叩かれたからな。……イテテ」
「何か冷やすもの……あ、このボトルとかどうかな……俺まだ飲んでないから良かったら使ってよ」
「いいのか?」
うん、と頷き返せば十勝はさっきまでのむくれっ面から打って変わって目を爛々と輝かせる。
そして、ボトルを差し出した俺の手ごと握って患部にボトルを押し当てた。
「と、十勝君……っ! 手、手が……!」
「あーこれだろ? 宥めようとしたら思いっきり手の甲引っ掻かれてさあ、ま、見た目より痛くねーから大丈夫かなって」
「そ、そっちもだけど俺の手が……」
「ん?」
「…………」
これは、無自覚なのだろうか。だとしたら少し恐ろしい。志摩も阿佐美もパーソナルスペースというものがないように感じるが、十勝はなんというかあまりにも自然過ぎて恐ろしい。
俺が握られてる手と十勝の顔を交互に見てると、ようやく気付いたようだ。「あ」と十勝は俺から手を離す。そしていたずらっ子のように笑った。
「悪い、佑樹もこういうの苦手なんだっけ?」
「『も』って……?」
「俺は気にしねーんだけど、なんかベタベタされるの嫌いってやつ周り多くてさ。ほら会長とか栫井とか、亮太も好きじゃないだろ?佑樹もそのクチなのかなって」
亮太……って志摩か。正直驚いた、三人とも俺からしてみればスキンシップが多い方だと思っていたからだ。
「い、嫌じゃ……ないよ。ただちょっと、驚いちゃって……」
「なんだ、それなら良かった。佑樹にまで嫌われたら俺凹んじゃいそーだし」
「そんなこと……」
あるわけないよ、と言いかけたときだ。
「いいこと思いついた」と十勝は手を叩く。今度はなんだ。先程からコロコロ変わる十勝の表情に振り回されそうになりながらも、「どうしたの?」と聞き返せば十勝はボトルを手にしたまま微笑むのだ。
「そうだ、これのお礼ってわけじゃねーんだけど良かったらこれから一緒に学園祭回らないか?」
「え? と、十勝君と……?」
「本当はこのあと予定あったんだけどぜーんぶパアになっちゃってフリーなんだよね。佑樹も見た感じ一人だろ? な、どう?」
「で、でも……俺でいいの?」
「いやいや何言ってんの佑樹! 佑樹だから誘ってんだよ、俺」
その十勝の言葉にじんと胸の奥が熱くなってくる。
「と、十勝君……」
「それに、佑樹と一緒なら大抵の女の子落とせそうだし一石二鳥ってやつ?」
「…………………………」
そっちが本音なのだろう。純粋に誘われたのだと喜んでいたが、まあ十勝らしいといえば十勝らしい。ナンパはともかく、俺としても一人でいるより学園内に詳しい十勝が一緒にいると心強い。
「……うん、いいよ」
「やったぁ! エスコートなら俺に任せとけよ佑樹。ちゃんと行きたいところもリサーチ済だし退屈はさせねえよ」
さっきの女の子たちのために色々段取り考えてたんだと思うと可哀想に思えるが、まあ成り行きとはいえ十勝と回れるのは楽しみだ。
よろしくね、と俺は十勝と一緒に行動することになる。
というわけで、十勝とともに出し物を見て回ることになったわけだが。
「ね、うちの学校の出し物すごいだろ? あ、そういや講堂見に行った? 今の時間だと色々イベントやってるよ。時間あったら見に行ってみてよ、まじ楽しいから。ん? 場所わかんない? なんなら俺たちが案内しようか? 大丈夫大丈夫、こっちはどーせやることなくて暇だったし。どう?」
目を離した隙に暇そうな他校生や一般の女性に話し掛けては案内する十勝に振り回され、正直出し物どころではなかった。
結局講堂まで案内した俺たちは、案内した女子となにかあるわけでもなくその場で別れることになる。
ナンパと言うより、寧ろこれではただのボランティアだ。いや、普通にそれでいいはずだが、なんでだろうかこの複雑な気持ちは。
「佑樹ー、なんか食べてく?」
「いや、俺は大丈夫かな。さっきのがまだ腹に溜まってるし……」
「まじで? 半分こしようと思ったのに。まあいいや、んじゃ俺クレープ食お」
――学園敷地内、講堂前。
講堂から出てすぐ、ずらりと並ぶ屋台へ向かう十勝。
そんな十勝を見送り、俺は近くにあったベンチに腰をかけ十勝が戻ってくるのを待とうとしたときだった。
「齋籐君?」
不意に名前を呼ばれる。
やることもなく屋台の幕を眺めていた俺は、不意に声を掛けられた方に視線を向けた。
そこには、パンフレットを手にしたでかいウサギが立っているだけだ。見知った姿はない。
「……?」
確かに名前を呼ばれたはずだが。
そうキョロキョロと辺りを見回していると、目の前のウサギから「こっちだ、こっち」と聞き慣れた声が聞こえてくる。耳障りのいい低い声。まさか、この声は。
「あ、あの……芳川会長ですか?」
「ああ。この格好じゃ流石にわからなかったか?」
そう目の前のファンシーなウサギが小首を傾げてみせる。いや、そもそも会長がこの中にいること自体俺には俄信じられず、まじまじと見上げていると急に頭が外れる。
そしてその中からよく見知った顔が現れる。
「……っ、あ……」
「それにしてもやはりこの頭が重すぎる。……これで信じてもらえたか?」
「は、はい……」
会長だ。相当な重労働なのだろう、げっそりと疲れた顔をした会長だったが、俺が「は、はい」と頷き返せば微笑んだ。そして再びあの大きなウサギの頭を被り直す。
「た、大変そうですね……」
「まあ色々あってな、人手が不足してるらしくこの時間だけ代役に入ることになったんだ」
会長なのに、いや、それとも会長だからだろうか。本来ならば専用の生徒がいるだろうにそれでも自ら穴埋めに入る会長に素直にすごいなと思った。
同時に何もしていない自分が余計恥ずかしくなってくるのだ。
「そんなことより、こんなところでなにしてるんだ。休憩か?」
仁王立ちのウサギに問い掛けられ、言葉に詰まってしまう。本当はクラス出し物の一端すら任せてもらうこともできずに時間を持て余している。なんて言ったら会長はどんな顔をするだろうか。絶対に言えるわけがない。
「まあ、はい」と語尾を濁すことで精一杯だったが、そんな俺の表情から何かを察したようだ。会長はふ、と笑った――そんな気がした。
「サボるならバレないようにしろよ」
その一言に内心ぎくりとした。まさか、知っているのか。俺の置かれてる状況を。そう思うと血の気が引いた。
「え、あ、あの……その……っ」
「……なんだ、冗談のつもりだったんだが……まさか齋籐君」
――冗談だったのか。
まさか君、と目を光らせる芳川会長に慌てて俺は首を横に振る。
「いや、あの、なんでもないです。サボってないです……っ!」
「まあいい。程々にしろよ」
信じてくれたのか否かはわからないが、それでも深く言及してこない会長にほっと胸を撫で下ろす。そのときだった。
「佑樹ー、お茶買ってきたよー」
右手にクレープ、そして左手に缶ジュース二本を抱えた十勝が満面の笑みを浮かべ戻ってくる。
そして戻ってくるなり、俺の目の前にいたウサギ――もとい芳川会長を見付けた十勝は「うおお! ウサギだ!」と目を輝かせた。
次の瞬間、手に持っていたパンフレットを器用に筒状に丸めた芳川会長はそれで十勝の頭部をぽこっと叩く。
「え?! ウサちゃんなにどした?!」
「か、会長……?!」
「……え、会長?!」
俺の口から出てきたその名詞に更に十勝が戦いていた。そんな俺達を前に、芳川会長は腕を組む。
「……自分の仕事サボって暢気に出店回りか。随分と楽しそうだな、十勝」
そう苛立たしげに腕を指で叩く芳川会長。見える、見た目は可愛いウサギなのに中身で般若の形相している会長が見える……。
というか、十勝はこれからフリーだと言っていたはずだが、まさか。
「わーっ! すみませんすみません、まさか会長が代わりにやらされるなんて知らなくて」
「代わり云々を理由に自分の持ち場を放棄することが許されると思っているのか? お前は」
「いや、本当忘れちゃってました。まじで。悪意ないです。あ、ほら子供見てますよ会長! 泣き出しましたよ!」
ウサギに絡まれる男子校生というなんとも奇妙な構図に、通りかかった子供たちが二人を遠巻きに眺めている。誰一人泣いてなかったが、流石に子供たちの夢を壊すわけにはいかないと判断したらしい、芳川会長は渋々十勝を放した。
……すごい図だ。
「か、会長! 俺が今から案内役代わりますよ! あ、なんならこのクレープあげますし」
「いらん、そもそもこの格好で食えるか」
「う゛……」
「このままパンフレット配りは俺がやる。その代わり俺の分の仕事全てお前に任せたからな」
「そ、そんなぁ……」
「情けない声を出すな。元はと言えば貴様がサボるからだろうが」
……こればかりは俺も擁護のしようがない。
がっくりと肩を落とす十勝を一瞥し、会長はやれやれと言わんばかりに溜息を吐く。
「全く、齋藤君にまで迷惑を掛けるなよ」
「い、いえ……寧ろ俺の方こそ……十勝君には助けてもらってるので」
「ゆ、佑樹~~! やっぱり持つべきものは友達だよな!」
言いながら先程までの落胆が嘘のように嬉しそうに起き上がる十勝。……立ち直り早いな。
というわけで、俺達は会長と別れて一度生徒会室に戻ることになる。
どうやら十勝はちゃんと会長の代わりの仕事をこなすらしい。やはり十勝はああだが、やるときはちゃんとやるようだ。道中文句垂れていたが根は真面目なんだろう、と思う。恐らく。……きっと。
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