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03

 ――学生寮一階。  休日ということもあってか、一階ロビーはたくさんの生徒で賑わっていた。 「本当、人が多いな」 「……」 「学食だけじゃなくて色々な施設入ってるの、意味あんのかなって思ったけどここまで揃っていたらもう外出る必要ないよな。それ狙いなのかな、購買ってレベルじゃないけど」 「……」 「ゆう君、話し聞いてる?」 「……き、聞いてるよ」  何を言っても文句を言われることは分かっていた。だから相槌だけでやり過ごそうとしていたのだが、結果壱畝の機嫌をより損ねてしまったようだ。  生徒たちが行きかう通路のど真ん中、ふいに立ち止まった壱畝に腕を引っ張られる。 「いッ、痛……ッご、ごめ……」  そのまま人の流れに逆らって、人気のない通路へと入り込んでいく壱畝。どこへ行くつもりなのか、だんだん辺りから人の気配が減っていくのがわかり緊張する。  関節が外れてしまうのではないだろうか、そう思うほどの強い力だった。  壱畝がなにを考えているのか分かった。だからこそ恐ろしく、今すぐ逃げなければ。そう、防衛本能は警笛を鳴らす。早鐘打つ心臓。周りの人間はだれもこちらを気にしちゃいない。壱畝の手を振り払おうにも、思うように力が出せなかった。  ――誰か……ッ!  そう、ぎゅっと目を瞑った時だった。  通路へと連れ込まれたとき、ふと強く視線を感じた。  そして、 「……齋藤?」  背後から聞きなれた声が聞こえてくる。  咄嗟に振り返れば、通路入口によく見知った人物の影を見た。  どこかへと向かう途中だったのだろうか、私服の志摩は壱畝に腕を掴まれた俺を見て目を細めた。 「なにやってんの?」 「っ、志摩……っ」  助かった、と言っていいのかもわからない。それでも、俺の反応からなにかを察してくれたようだ。俺と壱畝の間に入り、志摩は無理矢理その手を離した。まだ壱畝の指の感触が残っているようだった。  壱畝は恐らく島の邪魔が入った時点で俺を手放すつもりだったのではないのか、そう思えるほどあっさりと壱畝は俺から離れるのだ。  そして、いつもの外用の笑顔を浮かべて見せる。 「ああ、もしかしてここでのゆう君の友達?」 「友達じゃない、親友だけど?」  俺を背に、壱畝と向かい合う志摩はそう当たり前のように答える。  こちらからその表情までは分からなかったが、その一言にわずかに胸の奥がざわつく  そんな志摩の言葉に、壱畝は「へえ、君が」と志摩に目を向ける。  壱畝と二人きりになることも最悪だが、この二人が揃うことも最悪だった。 「誰、お前。うちの生徒じゃないよね」 「ああ、俺は壱畝遥香。明日から正式にこの学校の生徒になるんだ」 「で、なんで齋藤連れ回してんの? 見るからに嫌がってるように見えたけど」 「っ、し、志摩……」  庇ってくれてるのは嬉しかった。けれど、志摩が俺を庇えば庇うほど壱畝の視線を強く感じて後が恐ろしくなるのだ。 「ひ、壱畝君は……その、案内してただけなんだ……本当に……」  だから、大丈夫だ。そう志摩を止めることしかできなかった。大丈夫なわけがないが、それでも壱畝の手前志摩と壱畝が衝突することだけは避けたかった。  そんな俺と壱畝へと交互に視線を向け、志摩は「案内って」と漏らす。 「ゆう君とはちょっとした知り合いでね、偶然同じ部屋になったから昔のよしみで寮内案内してもらおうと思っただけだよ。……ゆう君のことを心配してくれたようでありがたいけど、大丈夫だよ。別にやましいことなんてないからね」  どの口で物を言っているのだろうか、相変わらず回る舌だと思った。 「誤解させて悪かったよ」なんて人良さそうな顔をして笑う壱畝。 「それで……志摩君、だっけ? 丁度良かった、ゆう君はあまり詳しくないみたいだから志摩君にお願いしてもいいかな、寮の案内」  何を言い出すのか、この男は。まさか志摩に目をつけたのか。  呼吸が浅くなり、鼓動が乱れる。  志摩もまさか自分が指名されるとは思ってなかったようだ。「俺が?」と聞き返す言葉には明らかに怪訝そうで、それでも対する壱畝は「そうだよ、君だよ志摩君」と笑うのだ。  昔から、壱畝遥香という男はこういうやつだった。  社交的で、誰にでも優しい。細かいところまで気が利き、おまけに嫌味がない。  それが客観的な第一印象だ。あまりにも完璧な化けの皮、その下にあるものを知っているのは俺だけだ。他のやつらは皆、壱畝の上澄みしか知らない。だから、壱畝は老若男女から愛されていた。  関わった皆、壱畝のことを気に入るのだ。あいつの面の皮を。  そして、壱畝は志摩もその一員にしようと思ってるのだろう。ずっと近くで壱畝のことを見てきた。だからこそ、やつの考えていることが手に取るように分かった。  この男は、俺がしてほしくないことばかりを進んでするのだ。 「どうかな。無理にとは言わないけど、君、詳しそうだしな。……それに、ゆう君の友達っていうなら話が合いそうだ」  ほんの一瞬、壱畝の目がこちらを向いた。背筋が震え、俺は声を上げることすらもできなかった。  またか。ここに来てまでこいつは周りを味方で固めたいのか。  ――行ってほしくない。嫌だ。頼むからこいつに関わらないでくれ。  壱畝に対する反骨精神からか、それとも志摩への独占欲か。どう声を掛ければいいのかわからず、それでも我慢出来なくて俺は咄嗟に志摩の制服を掴む。不意に志摩がこちらを振り返った。関わっちゃダメだ。そう訴えかけるように小さく首を横に振れば、志摩は暫くこちらを見据え、無言で顔を逸らす。  そして、 「いいよ、別に」  いつもと同じ笑みを浮かべ、志摩はそう壱畝に向き直る。その一言に、まるで鈍器で後頭部を殴られたような衝撃が走った。  なんで。さっきまで、壱畝を不審がっていたのに。  いつもなにがあっても後ろからついてくる志摩を知っているだけに、今回もまた断って普段と変わらない態度で壱畝をあしらってくれる。そう決め付け、胸のどこかで期待していた俺はまるで裏切られたような気分になる。  自惚れ、そう言われても仕方がないだろう。しかし、俺を自惚れさせるくらいの態度を志摩がとっていたことも事実だ。だから、余計志摩のことがわからなくなってしまう。 「ここ、無駄に広いから大変だろうしね」 「やった。ありがとう志摩君、助かるよ。じゃあ早速行こうか」  なんだ、なんだこれは。悪い夢を見ているようだった。 「し、ま……っ」  待ってくれ、頼むから。  そう、俺から離れていく志摩に向かって再度手を伸ばすが、指先が志摩を捉えることはなかった。  自分のもとにやってきた志摩に満足そうに微笑んだ壱畝は、「ああそうだ」と思い出したようにこちらを振り返る。 「後は志摩君に頼むから、ゆう君は好きにしてていいよ」  もうお前に用はない。つまり、壱畝はそう言ってるのだろう。  こっちだってこれ以上お前といるつもりなんてなかった。それなのに、わざわざご丁寧に釘を刺していく壱畝がただ憎たらしかった。  壱畝と志摩はそのまま俺を残して立ち去った。  二人はなにやら楽しげに話していたが、その会話の内容すら頭に入ってこなかった。  そしてとうとう、最後まで志摩はこちらを見ようとしなかった。  確か前にもこういうことがあった。付き纏ってきていた志摩が露骨に俺を避けるようなことが。  あれはいつだっただろうか。ああそうだ、確か五月。縁に絡まれていたときだ。  確か、あのとき志摩は俺から縁を引き離すために代わりに自ら縁についていった。  もしかして、今回も俺のことを庇ってくれたんじゃないだろうか。  そう、都合のいい解釈することでしか自分を保つことができなかった。  二人が立ち去ったあとの廊下、まだ夢を見ているような気分だった。それも、悪い夢を。  自分がいない間に志摩が取り込まれるかもしれないと思うと生きた心地がしなかった。それと同時に、想像以上に今の俺にとって志摩の存在が大きくなっているということに気付いた。  とにかく、今は落ち込んでいる場合ではない。こうして志摩が壱畝を引き止めている間に俺はやれることをやろう。  そう俺は踵を返し、正反対のエレベーター乗り場へと向かう。  それからはバタバタと時間は過ぎていく。  自室に戻り、壱畝に触れられたくない大切なもの等を纏めて隠し、なにかがあったときにすぐに部屋から逃げ出せるように最低限の荷物を纏めた。  幸い、元々私物という私物はあまりなかったためあまり時間はかからなかった。  あんなやつと一晩でも共にする気など俺にはなかった。  不幸中の幸いか、この学生寮は無駄に設備が整っている。何日かくらいラウンジで寝泊まりすることもできるし共同浴場を使えば風呂も入れる。  だといえ、そんな生活がこれから卒業の間通用するとは思わない。共有の場を私物化するのも気が引ける。  ――だとすれば、やらなければならいことがあった。  リュックに必要最低限の私物を詰め込み、俺はベッドの下にそれを隠した。  一先ずはこれでいい。それから、次にすることといえば。  部屋の壁掛け時計を確認し、俺は再び部屋を飛び出した。  そして、休みを満喫する生徒たちで賑い始める学生寮をあとにし、校舎へと向かった。  校舎内部は学生寮と比べると閑散としていた。  そんな静まり返った廊下を歩き、俺は職員室までやってきていた。  やらなければならないこと――それは担任に一人部屋こことを相談することだ。  申請して簡単に通るとは思わないが、このまま何もせずにいることはできなかった。  幸い、職員室には担任がいた。扉から覗く俺に気付いた担任は、俺の顔を見るなり「お?」と驚いたように笑った。  そして椅子から立ち上がり、すぐにこちらへと向かってきた。 「どうした佑樹、さっき振りじゃないか。遥香は一緒じゃないのか?」 「……はい。その、壱畝君は食事に……」  どこから伝えればいいのかわからず、自然と語尾が消える。そんな俺の表情からなにか察したのだろうか、「なにかあったのか?」と担任は心配そうな顔をした。  ここは、言葉を選ぶべきではないだろう。  俺は単刀直入に担任に切り出すことにする。 「……っ、あの、その……相談があってきました」 「相談?」 「……お、俺でも、また一人部屋になることって可能なんですか」  緊張からか自然と声が震えた。その一言に、担任は「あー……」と納得したように声を漏らす。そして、ぽりぽりと頭を掻いた。 「……取り敢えず、ちょっと話聞いてもいいか」 「……っ、ぁ……」 「ここじゃ話しにくいなら別の場所行くか?」  尋ねられ、辺りをちらりと見渡す。職員室には数名の教師がいたが、我関せずで各々の仕事を取り組んでいるようにみえた。それでも、話してる声は聞かれててもおかしくない。  それに、誰か顔見知った人間が職員室にやってくるかもしれない。そう思うと気が気でなかった。  こくりと頷き返せば、わかった、とだけ言って担任は職員室の奥にある個室へと俺を通した。  談話室のような場所なのだろうか、締め切られたその部屋のなかに担任と二人きりになりようやく息ができるようだった。 「……それで、どうしたんだ? 突然。遥香と喧嘩でもしたのか?」 「……っ、それは……」  中学のとき、あいつにイジメられてました。そう言うのが一番早いのだろう。それでも、担任に余計な心配もかけたくなかった。 「ひ、壱畝君とは……その、中学のときの知り合いで……」 「知り合い?」 「は、はい……でも、その、壱畝君とはあまり合わなくて」  合わない、そういうのが精一杯だった。  あいつの矜持を守るためではない、これは俺の保身だ。膝の上、固めた拳に嫌な汗がじんわりと滲む。顔を上げ、担任の表情を確認することすらも怖かった。 「まあ、確かに性格の不一致はあるだろうが……我慢できないほどなのか?」  こくりと頷けば、「なるほどなあ」と担任は深くソファーの背もたれに凭れた。 「お前の気持ちはわかった。俺もなるべくならお前の希望通りにさせてやりたいが……生憎今空いてる部屋がないんだ。だから、今すぐにというわけにはいけないしどちらにせよ数日は遥香と過ごしてもらわなければならなくなるだろうな」 「……そう、ですか……」  最悪の展開は想定済だった。そのために最初に逃げ道を確保したのだ。  それでも、面と向かって告げられるとただひたすら絶望する。 「今のところ部屋が空く予定はないし、いつになるかも約束はできない」 「……っ、わかりました、すみません……なら」 「……っと、待て佑樹」  大丈夫です、とソファーから立ち上がろうとしたときだった。担任に呼び止められた。 「お前は部屋を変えたいのか? 一人部屋になりたいのか?」 「……え?」 「ああ、悪い。言葉が足りなかったな。一人部屋にはならないが、今一人部屋のやつに声をかけて相部屋を頼み込むことなら出来るぞ」 「それって……」 「まあ、有り体に言えばルームメイトが変わるだけってことだな」  今現在一人部屋の生徒の部屋に押し掛け、相部屋にしてもらう。結果的に壱畝から逃げられるのならば俺には願ったり叶ったりだった。  けれど、基本相部屋が当たり前のこの学生寮で一人部屋の生徒なんてそういないんじゃないだろうか。そう思考を働かせたとき、ふと脳裏に数人の生徒の顔が過る。  ――芳川会長、阿賀松伊織、阿佐美詩織。  確か、記憶によれば三人は一人部屋だったはずだ。 「佑樹が本気で部屋を変えたいっていうならこちらから一人部屋のやつに声をかけることも出来るぞ」  当たり前だが、相手の意思を無視して一方的に押し掛けることは出来ないらしい。  つまり、一人部屋の生徒が全員断れば俺はいつ空くかもわからない部屋をひたすら待つしかないわけだ。 「……っと、ちょっと待ってろ。確か資料あったから取ってきてやる」  そして、担任はそう言って職員室の方へと向かう。スライド式の扉が閉まるのを横目に、俺は息を吐いた。  ……恐らく、担任がここまで積極的に俺の話を聞いてくれるのは前の学校のことを知ってるからだろう。そう考えると気を使わせてしまい申し訳なくなるが、教師が味方になってくれるものほど心強いものはなかった。  ――ルームメイトを変える、か。  候補者の中に見知った生徒の名前があるのは安心した。が、快く一人部屋を受け入れてくれるかどうかは別の問題だ。  まず、阿賀松は無理だろう。下手したら壱畝より面倒な目に遭わせられる可能性が大きい。  阿佐美は……わからない。志摩のことを説明したら納得してくれるかもしれない。が、だからと言って阿佐美が相部屋を引き受けてくれるかどうかはわからない。  そして芳川会長。お願いしたら聞き入れてくれるかも知れないが、これ以上本当に会長に頼っていいのだろうかという気持ちもないわけではなかった。  三人の中からルームメイトを選ぶなら、阿佐美が一番好ましいのは間違いないだろう。  ……それに、元ルームメイトだ。  ギクシャクしてしまった今、前のように接することが出来るかわからなかったがやはり俺には阿佐美しか考えられなかった。  しかし、三人の中から決めるわけではないので他の全く知らない生徒になる可能性もあるわけだからなにも言えないのだけれども。 「……っと、待たせたな。一応これが資料だ」  戻ってきた担任はそう、いくつかの資料を渡してくれた。「ありがとうございます」とそれを受け取る。 「取り敢えず、俺の方から一人部屋のやつには声をかけておく。またなにか進展あったら佑樹に報せる。だから……」  それまで我慢できるか?と視線で尋ねられ、俺は頷き返した。  門前払いされなかっただけでもありがたい上、こうして協力してくれてくれるだけでも嬉しかった。俺はありがとうございます、ともう一度頭を下げた。

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