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08
何があったのか。どこでこのメモを拾ったのか。
その一連の出来事を俺が説明する間、志摩の表情は強張ったままだった。
そして、それは全てを話し終えた今でも変わらない。それどころか険しさを増したようにすら感じる。
「……方人さんか」
「志摩……っ?」
「なるほどなぁ……」
落ち着きは取り戻したものの、そう、うわ言のように呟く志摩の表情に妙な気迫を感じた。
細められた目はなにか良からぬことを考えている人間の目だ。俺が今までに何度も見てきた目だった。だからだろう。
「っ、」
咄嗟に離れそうになる志摩の手を掴んでいた。
そんな自分の行動に驚いたのは俺だけではなかった。
驚いたような顔をする志摩だったがそれも一瞬、すぐにその顔は鬱陶しそうなものを見る目になる。
「……なに?」
「いや、その……」
「ごめん、悪いけど俺用事思い出したからさ、離してよ」
柔らかいのは口調だけだ。言葉の端々から滲むその刺は抜けきれていない。
それでも、俺は志摩の言うことを聞くことができなかった。
確かに志摩と一緒にいて痛い目を遭うのは自分だとわかっていた。理解していたし、たった今まさに酷い目に遭った。
――それでも、ここで志摩を一人にしては駄目だ。そう直感が叫んでいたのだ。
「っ、しま、待って……」
どれだけしがみついたとしても、志摩によってすぐに振り払われる。
どうにかして止める方法はないのだろうか。
そう思考を働かせた俺は咄嗟に頭に思い浮かんだその言葉を口にした。
「縁先輩の所に行くんだよね。だったら、俺も連れて言って」
なるべく、ハッキリとした口調でその言葉を口にした瞬間、俺を置いていこうとしていた志摩は「は?」と立ち止まる。志摩の反応は予想通りだった。
「それ、本気で言ってんの? 馬鹿じゃないの? なんで俺が齋藤を……」
「……さっき、ついて来いって言った」
「そんなの嘘に決まってんじゃん。っていうかさ、まだそんなこと信じてたわけ? 齋藤って本当馬鹿だよね」
「嘘?」
「そうだよ、嘘だよ。なんで俺がそんなことしなきゃならないわけ?」
なんとなくこの反応は想像ついていたとはいえ、やはりその険のある言葉は精神的に来るものがある。
それでも、志摩を引き留めるにはこれしか思いつかないのだ。
「……」
志摩から目を逸らし、そのまま乱れた制服を直す。
汚れた下半身が酷く痛い。内臓も痛い。けれど、まだ堪えられる。
そう自分に言い聞かせながら、なるべく平然を取り繕うように俺は志摩の前から立ち去ろうとする。が、やはり下半身の痛みには堪えた。
ふらりと力が抜けそうになったとき、志摩に腕を掴まれる。
「ねえ、そんな状態でどこに行くつもりなの」
「――志摩には、関係ないだろ」
無関心演じるフリして突き放す、それは俺を傷つけようとする志摩の使う手段だ。
裏返せば、それが志摩にとっては一番傷付くとわかってたからだ。
だから、それを真似をする。
「志摩がいなくても、一人でも行ける」
志摩の目が見開かれたまま硬直する。傷付けた、というのがわかった。
罪悪感がないわけではない。けれど、どちらにせよ元より俺一人で縁たちのところには行くつもりだった。
それでももしまだ志摩が俺のことを見限っていないでいるとしたら。
根拠もなにもない、残っているのかどうかもそもそも本当に存在するのかも怪しい志摩の好意につけ込んだ、一か八かの賭けだった。
――そんな俺の作戦に、志摩は。
「そんな体でどうするつもりなんだよ……ッ!」
珍しく声を荒らげる志摩に全身が震え上がる。
それでも、ここで引いてしまってはダメなのだ。なんとしてでも志摩の口から本心を引きずり出さないといけない。
上っ面だけの綺麗事なんて、志摩には通用しないのだから。
「……なんで止めるの、別に志摩には関係ないだろ」
「……っ、」
「俺のこと、嫌いなんだろ……っ!」
こんなに大きな声を出したのはどれくらい振りだろうか。もしかしたら産まれて初めてかもしれない。
散々声を出したお陰で喉がひび割れたように痛む。それでも、腹に溜まったものすべてを絞り出す。
そして掴んでくる志摩の手を振り払った。
出来ることなら逃げ出したかった。
自ら人を傷付けるような言葉、今までの俺には耐えられなかっただろう。……どれほど傷付くのかわかっていたからこそ、余計。
それでも、逃げてばかりじゃダメなのだ。震えをぐっと堪え、俺は志摩を睨みつける。
「なにそれ……なんだよ、その目……ッ」
「……いいから退いてよ」
「煩いよ」
「俺のことどうでもいいんだろ!」
「煩いって言ってんだろ!!」
声を荒げる志摩に、鼓膜が痺れる。
最低でも殴られるだろう。そう覚悟していたが、やはりそれでも怖くないわけがなかった。
志摩が腕を振り上げるのがわかり、咄嗟にぎゅっと目を瞑った瞬間。顔のすぐ横、背後の壁に凄まじい音が響いた。
「……ッ!」
咄嗟に目を開けば、壁に叩きつけた志摩の拳が視界に入る。
「……関係ないとかさ、今更なんなんだよ、それ……っ。本気で言ってる?」
微かに震えた志摩の声。それが怒りからなのか、それとも別のなにかから来たものか判断付かないが、志摩が感情に顕にした声を聞くのは初めてだった。
「どうでもいいわけねえだろ!」
再度叩きつけられた拳から壁伝いに痺れるほどの振動が伝わる。あまりの気迫に気圧されそうになり、硬直した。
そのまま固まる俺を前に、息を吐くように項垂れた志摩は俺の肩を掴んだ。
……いや、擦ると言ったほうが適切なのかもしれない。それくらい軽い、弱々しい触れ方だった。
「……嘘だよ、全部。嘘に決まってんじゃん……っ」
聞こえるか聞こえないかくらいの細い声だった。俯いたまま志摩はぼそぼそと呟いた。
それでも、俺の耳にはしっかりと届いていた。
――ああ、俺はずっとその言葉を聞きたかったのだ。
「……俺のこと怒らせてそんなに楽しいの? ……ねえ、齋藤。楽しい?」
「……」
「齋藤」と名前を呼ばれる度に、胸が苦しくなる。
楽しいわけがない。だけど、志摩の本当の言葉を聞けたような気がして、俺にとってはそれだけで充分だった。
「……ごめん、志摩」
「は? 意味わかんないんだけど。なんで謝るわけ? ……なんで……齋藤が」
肩口に額を押し付け、顔を埋めてくる志摩。
恐る恐るその背中に手を伸ばし、俺は丸まった背筋を撫でた。
「……なんで、そんな目するの」
耳元で呟く志摩の言葉。それがやけに頭の中で反響する。
今の俺はどんな目をしていたのだろうか。恐ろしくて考えたくもなかった。
お互い精神的に随分と参っていたようで、しばらく俺たちの間に会話はなかった。
今が何時だとかそんなこと考える気力はなくて、今はただ体と頭を落ち着かせたかった。
そしてどれくらいの時間が経ったのだろうか。
近くの空き教室で休んでいると、不意に教室内に取り付けられたスピーカーから放送が流れた。
『二年A組齋藤佑樹、至急生徒会室まで来なさい』
スピーカーから流れるその声は紛れもなく芳川会長の声だった。
感情を感じさせないその無機質な声に、鎮まりかけていた心臓が再び騒ぎ始めた。
隣に椅子を並べていた志摩はそのまま俺の肩にもたれかかってくる。
「……齋藤って本当、人気者だね。全く羨ましくないけど」
大分落ち着いたのか、いつもと変わりない軽薄な笑みを浮かべた志摩は「ほら、喉乾いたんじゃないの」とどこから取り出したのか水の入ったペットボトルを差し出してくる。
俺は「ありがとう」とそれを受け取る。……生暖かい。が、まあ乾いた喉を潤すには丁度いい。
そして、こちらへ体を向けるように椅子に座り直す志摩はそのまま足を組み、真っ直ぐに俺を見た。
その目はどこか吹っ切れたように見える。
「これからどうするつもりなの」
「……どうしてもあの部屋に行きたいんだ、栫井が心配だから」
「あいつは少しくらい痛い目見た方がいいよ」
「怪我してるんだ、大きな怪我を。……俺のせいで」
あの時、俺が栫井を頼らなければ。
もう遅いとわかってても、思い出しては何度も後悔してしまう。
「だから助けるって? 本当、お人好しだね」
「……わかってるけど、それでも放っておけないんだ」
「芳川会長を裏切ってでも?」
何気なく尋ねてくる志摩に、ぎくりと全身が硬直した。
……そうだ、今俺がしようとしてることは会長の好意をすべて無下にするということになる。
それでも、見てみぬフリだけはしたくなかった。もう、二度と。
なにも答えられなくなる俺に、正面の志摩が笑う気配を感じた。
「……いいよ、手伝うよ。栫井を助けるのは癪だけどね」
笑う志摩。まさかこうもあっさり受け入れてくれるとは思わなくて、「本当にっ?」と思わず声が裏返ってしまう。
志摩は頷いた。
「どうせ、あの人には俺も用があるし。……その代わり条件がある」
「……条件?」
「頼むから、一人でなんでもかんでもしようとしないで。――少しは俺のこと信用してよ」
「これ、そんなに難しいかな」と自嘲的に笑う志摩の表情がほんの一瞬暗くなる。
まさかそんな条件を出されるとは思わなかった。それ以上にわざわざ志摩の口からそんな条件を出させてしまう自分がつくづく嫌になった。
「前にも言ったよね。俺は齋藤の味方だって。……あれは、嘘じゃないから」
反応に困る俺を察したのか、どこか調子狂ったように頭を掻く志摩は「俺、なに言ってんだろ」と呟く。
志摩も志摩で戸惑っているのだろう。いつも余裕に満ち溢れてる志摩も自分と同じように悩み迷っているのがなんだか新鮮で、ほんの少しだけ親近感が沸いた。
そうだよな、俺だけが迷っているわけではない。当たり前のように忘れかけていたその事実を思い出し、幾分気持ちが楽になった。
「……ありがとう」
自然と頬が弛む。そんな場合ではないとわかっていても、それでも以前よりも遥かに気分がいいのは恐らく腹の底に溜まっていたものを吐き出すことが出来たからだろう。
それ以上に、またこうして肩の力を抜いて志摩と向かい合うことが出来ている今の状況が純粋に嬉しかった。
目があって、少しだけばつが悪そうな顔をした志摩は視線を落とした。
「だからさ、また、前みたいに――」
そう、志摩がなにかを言い掛けた矢先のことだった。空き教室の外が騒がしくなったと思った次の瞬間、勢い良く扉が開く。
そして、
「いたぞ!」
扉の前、複数の生徒がそこにはいた。
見たことないその生徒たちの右腕には『風紀』と金の刺繍が施された腕章が嵌められている。
……ということは、風紀委員か。
なんでここに、という疑問はすぐに晴らされる。
「会長から呼び出しだ! 今すぐ生徒会室に……」
「人が話してる最中に……ノックくらいしろよ」
会長の名前に俺が反応するよりも先に志摩は舌打ちをした。その額に青筋が浮かんでいるのを見て、やばい、と冷や汗が滲む。
「志摩っ!」
風紀委員相手に騒ぎを起こすのはまずい、と慌てて志摩を宥めようとするが、遅かった。
立ち上がった志摩は座っていた椅子を持ち上げ、躊躇いもなく扉から入ってこようとしていた風紀委員たち目掛けてぶん投げる。
「ああ……!!」
なんてことを、と青褪めていると志摩に強く腕を引っ張られた。
「齋藤、こっちに!」
そして、そう志摩が指したその先には窓があった。そう、窓が。……え、窓?
「えっ、そっちは……」
「大丈夫だから。ほら、早く!」
開いた窓、早速身を乗り出す志摩はこちらへ手を差し伸べる。
たしかここ三階だよな、とかもうそんな野暮な考えを振り払い、半ばヤケクソになった俺は伸ばされたその手を握り返した。
こうなったら、行くところまで行ってやる。今更立ち止まるわけにはいかないんだ。
まさか、こんな体験することになるなんて。
やってしまったという後悔も全て謎の全能感に変換され、焦りも恐怖も全てアドレナリンによって薄れていた。
窓から飛び降りて、走って、壁を攀じ登って階移動して。
至るところから現れる風紀委員から逃げ続け、どれくらい経ったのだろうか。
ようやく撒いたと思えば、今度は俺の体の方にガタがきていた。
――校舎裏にて。
辺りに人気がないことを確認し、ようやく俺の手を握っていた志摩は立ち止まった。
「っはぁ……っはぁ……っ!」
「ちょっと、大丈夫? 齋藤」
「大丈夫……じゃ、ない……」
ぜえぜえと肩で息をする俺に、志摩は「だろうね」と笑った。
寧ろなんで志摩は息一つ乱していないんだ。もしかしてただ俺が体力ないだけであってこれか一般男子校生の運動レベルなのだろうか。もう少し体力付けたほうがいいのかな、なんてなんだか気が遠くなる。
そんな俺を尻目に、辺りを見渡した志摩。
「ここなら人いないみたいだし少し休憩しようか」
「いや、いいよ。……行こう」
少しだけ迷った末、俺は志摩の気遣いを断った。
震えてる膝を叩き、自分に喝を入れ直す。意外そうな顔をした志摩は、「そ」と口元を緩めた。
「……齋藤がそう言うんならいいけど。それじゃ、少し迂回することになるけど裏から行こうか」
「うん」
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