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 ――傷の手当をしよう。  そう提案した志摩が呼び出したのは、個人的に今あまり会いたくないやつナンバーワンである御手洗安久だった。  ――場所は変わって学園内、物置横の空き部屋。 「何してたんだよまる一日……っ、この役立たず! 僕があんなに頼んでやったっていうのに!」 「ご、ごめん……」 「ごめんで済むなら警察いらないんだよ、このグスノロマクソ間抜け男! 一人でお使いも出来ないのかよッ!」 「安久、齋藤にそんな口聞いていいわけ?」  止まらない罵詈雑言の羅列にそろそろ心挫かれそうになっていたときだ、見兼ねた志摩が仲裁に入る。  お陰で更に不快そうに顔を歪めた安久は志摩を睨み付けた。 「なんだよ、失敗したくせに……っ! っていうか志摩亮太、あんたもあんただ! そんなやつの尻ばっか追い掛けてるくせにまともに働けないわけ!?」 「誰が何だって?」  詰め寄る安久の目の前に、志摩はなにかを取り出し、それを突き付けた。  ぶら下がるそれは鍵のようで。  …………鍵? 「……? なんだよ、それ」 「旧体育倉庫の鍵」 「ちょっと志摩、まさか……」 「齋藤なんかよりも使えるのがあるんだけど、要らない?」  なんということだろうか。最も俺が案じていたことをごく当然のようにやっけのけてくれる志摩に呆れて賞賛の声も罵倒も出てこない。  青褪める俺を無視して続ける志摩に、安久は目の前のそれに興味を示した。 「だから、なんだよって」 「それは見てのお楽しみだよ」 「はあ?」 「この鍵が欲しいなら俺たちに協力してよ」 「ああもちろん、俺たちに協力するということはお前の大好きな阿賀松も助けてやることになるけど」どうかな、と旧倉庫の鍵を手のひらで包み込み、握り締めた志摩は微笑む。  志摩の考えてることはわかったが、わかっただけに目の前の志摩が恐ろしく思えずにはいられない。まさに、敵にしたくないタイプだ。  味方になった今でもそう思うんだから、間違いない。  志摩の甘い誘惑に、僅かに安久の目の色が変わる。 「い、伊織さんを……?」 「そうだよ。お前の大好きな阿賀松伊織。不本意だけど、この鍵があればきっとどうにでもなるはずだ」 「勿論、安久の行動次第だけど」暗に志摩は安久に、芳川会長と直接取引させようとしてるのだ。  勿論アンチ生徒会の人間である安久が平和な取引を持ちかけるはずがない。それを踏まえて志摩はお膳立てしたのだ。会長を丸腰にして、閉じ込めて。  ――全て、志摩の手に握られている。  安久にとっても悪い条件ではないはずなのに、安久の表情はどことなく暗いままだ。  そして、「で、でも、伊織さんは詩織が」と漏らす安久に思わず俺は顔を上げた。 「詩織? 詩織がどうしたの?」 「……なるほどねえ、まあ確かに、あの阿賀松が大人しく退学になるわけはないと思ってたけど。でも、阿佐美が出来るの? 阿賀松のフリ」  戸惑う俺の横、全てを察したかのように首を捻る志摩に俺はつい「ふ、フリっ?」と思わず大きな声が出てしまう。 「わっ、うるさいな。大きな声出すなよ!」  声の大きさに関しては安久に言われたくなかった……じゃなくて。 「ま……まさか、詩織が代わりに退学になるってこと?」 「それ以外になにがあるんだよ。普通に考えてそうに決まって……っておい!」  それを聞いた瞬間、居ても立ってもいられなくなる。  慌てて空き教室から飛び出そうとすれば、伸びてきた手に制服を掴まれ、無理矢理教室へと引きずり込まれた。 「志摩、離してっ」 「離さないよ。今更齋藤が止めても無駄だってば」 「無駄じゃないよっ、だって、詩織はなにも関係ないじゃないか……っ!」  そうだ、阿佐美はなにもしていない。  それどころか俺は無関係の阿佐美に頼り、阿佐美からしてみれば俺に巻き込まれたような立場のはずだ。  それなのに、なんで阿佐美が阿賀松を庇うんだ。  半分だけでも血が繋がった兄弟だから?だから、全く関係のない濡れ衣を自ら被らなければならないというのか。 「それは違うよ」  そんな俺の肩を掴んだまま、志摩は呟くのだ。その目はどことなく暗く、冷たい。 「……無関係なわけない。第一、そのためにあいつがいるんだから」  そう吐き捨てるように続ける志摩。その言葉は重く、俺の胸の奥へと落ちていく。 「……っ、待って、志摩……それじゃあ……」  ――阿賀松が受けるはずの罰を代わりに受ける、そのために阿佐美がいる。  そう志摩は言うつもりなのか。  それではただの身代わりみたいじゃないか。いや、みたいじゃなくて志摩は実際にそうなのだと言ってるのだろう。 「とにかく、阿佐美のことはどうでもいい。それよりも、齋藤は自分のことを心配しないとって何回言わせるつもり?」 「志摩、志摩にはどうでもいいことかもしれないけど、俺には――」 「取り敢えず安久、念には念を入れておくべきだと思うよ。最悪あいつが失敗する可能性もあるんだから」  俺を無視して安久に向き直る志摩。  それなのに俺から手を離そうとしてくれない志摩に焦れ、「志摩」と少しだけ語気を強くしたときだ。志摩はこっちも見ようとせず、強引に手のひらで口を塞いでくるのだ。 「ん……んんッ!」 「それに、お前だって散々恨み溜まってるだろうしね。それを発散させるなんて機会、滅多に無いと思うけど」 「! まさか、そこに……」  志摩の言葉に流石の安久も察したようだ。目を見開く安久に志摩は不気味な笑顔を浮かべる。 「どうする?」  わかっていてわざと自分の口から言葉を引き出させようとする辺り、相当嫌な性格だと思う。  悔しそうに歯を噛み締める安久だったが、やがて観念したように息を吐いた。 「……っ、それで? 僕はなにしたらいいわけ?」  あくまで高圧的な物言いだが、嫌々ながらも協力的な態度を取る安久に俺は素直に驚いた。  けれど志摩にとっては想定内だったらしい。変わらない態度で言葉を続ける。 「取り敢えず、ひとまずここに仁科先輩を呼んでくれないかな。簡単に手当出来るものを持たせてね。……ああもちろん、方人さんや阿賀松たちにはバレないよう、当たり前だけど俺達のことも多言無用だから」  そして思った以上に多い要求に俺まで驚きそうになった。  本当に肝が据わっているというか、怖いもの知らずというか。  もし俺が旧体育館倉庫の鍵を持っていたとしても、安久と交渉するとなったときに即奪われてそのまま逃げられるのが目に見えてる。  その点、隙きを与えずに徹底的に相手を従わせようとする志摩のそのふてぶてしさは羨ましかった。  安久は「分かったよ」と苛ついた様子ながらも志摩に従った。  そして、安久が仁科を電話で呼び出して数分後――。  ばたばたと足音が聞こえてきたと思えば、扉が開いて汗だくの仁科が現れた。どうやら走ってきたようだ。 「おい、なんだよいきな……」 「遅いッ!」 「うおっ! ……って、あ? お前ら……」 「えっと……こんちには」 「……」  空き部屋の奥、適当な椅子に腰を下ろしていた俺たちを見つけた仁科は目を丸くした。  無理もない、俺自身このメンツにまだ慣れ切っていないのだから。 「……おい、安久。これはどういうことだよ」 「いいから早く齋藤佑樹の怪我を治療して。ほら、なにぼさっとしてんだよ! 早く入れよ、あ、ちゃんと扉は閉めろよ!」 「わかった、わかったから押すなよ……ッ」  相変わらずの力技で仁科を部屋の中へと誘導した安久は、そのまま扉に鍵を掛けた。  最低限扉を施錠するというのは志摩の提案だった。  そして目の前にやってきた仁科は何が起きてるのか分からないと言った顔をしていた。俺は慌てて立ち上がり、改めて頭を下げる。 「すみません、いきなり呼び付けたりして……」 「いや、別にそれは良いんだけど」  ちらり、と仁科の視線が志摩に向けられる。 「……いいのか? お前、こいつらと一緒にいて」  会長と組んで、阿賀松を陥れた俺がこの二人と一緒にいることが不思議で仕方ないのだろう。  それは、俺も何度も自分に問い掛けてきた。 「はい……多分」  正しいのか間違っているのか、自分のためになるのかなんてわからないけれど――それでも、自分の選んだ選択肢によってここにいるのだから後悔はない。  苦笑混じりに頷く俺に、いつの間にかに背後に立っていた志摩と安久は面白くなさそうな顔をして仁科を睨んだ。 「先輩、早くしてよ」 「そうだよ、伊織さんの運命が掛かってるんだからしっかりしてよ!」 「わ……ッ、わかった、わかったから大きな声出すなって! ……ハァ」  後輩二人に詰られ、渋々椅子に腰を下ろした仁科。 「仁科の癖に溜息だなんて生意気な!」と吠える安久を無視して、上着を脱ぐ仁科はどことなく疲れているように見える。  なんだか俺達の事情で振り回してしまって申し訳なかったが、ここは憂うより先に用を済ませて逸早く仁科を開放した方が仁科のためだろう。 「齋藤。ちゃんと手、手当してもらいなよ」 「わ……わかったから少し離れてよ」  俺が治療を嫌がって逃げ出すとでも思っているのだろうか。  やたら距離を詰めて背後斜め上から見守ってくる志摩に居心地の悪さを覚えつつ、俺は仁科に右手を差し出した。  血は大分止まっているが、塞ぎきっていない傷口からはまだ新しい血が滲み出していた。  赤黒く汚れた掌に僅かに眉を潜めた仁科だったが、すぐに口元を引き締める。 「じゃあちょっと手、触るぞ」 「ん……ッ」  優しく手の甲の方を支え、消毒液を染み込ませた脱脂綿で傷口周りの血を拭っていく。  傷口付近に脱脂綿が触れる度にちくりとした痛みが走った。 「随分と深いな。……痺れは?」 「少しだけ……ぁ、ちょっと、そこ痛いです……」 「先輩、齋藤痛がってるんだけどもっと優しくしてよ」 「そうだそうだ!」 「いいからお前らはあっちにいろ! 気が散るだろ!」  「「っ!」」 「せ、先輩……」  騒ぎ立てる二人に痺れを切らしたように怒鳴る仁科に、全く関係のない俺までびっくりしてしまう。  余程真剣になってくれているのだろう。 「に、仁科が怒った……! この僕に向かって歯向かうなんて……!」とカルチャーショックを受ける安久を無視して、数枚の脱脂綿を使って一通りの血を拭った仁科はゆっくりと俺に視線を向けた。 「……ペンか?」 「わかるんですか?」 「傷口の近くにインクが付着してる。……まさかとは思うけど、これ」  僅かに、仁科の声が低くなる。訝しむような、不安げな視線を向けてくる仁科。  思っていたよりも仁科は聡い人間のようだ。 気付いたのだろう、人為的なものだと。それで、そのペンを握っていたのが誰なのか。 「あの、俺の不注意なんです」 「だから、その……気にしないでください」仁科にどこまでの嘘が通用するかわからないが、そう言わなければならない気がした。  そもそも仁科の前では嘘としての役目も効力ももたないし、現に仁科の表情も曇ったままだ。  それでも、仁科はそれ以上そのことについて追及してくることはなかった。  傷口を消毒してガーゼで塞いだあと、簡単にとれてしまわないようテープで固定してもらう。  少し物々しいことになってしまったが、痛みは先程よりも軽くなったような気がする。 「……多分これ、痕になるぞ。早くちゃんとしたところで雑菌してもらわないと痺れも残るかもしれない」 「……はい」 「言ってくれたらもっと用意してくるんだったけど、安久のやついきなり『今すぐ来い』だけだったからな。……ごめんな、これくらいしか出来なくて」 「いえ、そんな……っ! あの、ありがとうございました」  改めて仁科に頭を下げれば、仁科は少しだけ笑って俺から手を離した。終始一貫して突き刺さるような志摩の視線が痛かったが、無視する。  すると、「終わった?」と志摩が背後についてきた。 「一応止血と傷口に菌が入らないようにはしたけど、傷口が塞がるまであまり手は動かさない方がいい。齋藤、お前右利きなんだろ?」 「はい」  仁科に尋ねられるまま頷き返せば、仁科は「だよな」と困ったように息を吐いた。  利き手となれば、今や行動の中心になっている部位だ。動かすなと言われてもいつもの癖で動かしてしまうだろう。渋い顔して黙り込む俺達に、志摩が笑った。 「心配いらないですよ、その辺は」 「いらないってな、お前……」 「そのときは俺が齋藤の右腕になればいいんでしょう?」  そしてそう一言。当たり前のようにしてそんなことを口にする志摩に、俺は目を丸くした。 「……」 「……」 「……」  そして沈黙。目が据わってる志摩に対してそれぞれ反応に困り果てる中、仁科は気を取り直すように咳払いをする。 「い、いや……そうだけど、なんかちょっと違うような」 「食事のときは俺が食べさせてあげるし風呂も俺が手伝うから安心していいよ、齋藤」 「志摩……なんでそんなに嬉しそうなの?」 「やだな、俺がなんで齋藤の怪我を喜ぶの? 不謹慎なこと言わないでくれる?」  何故か俺が怒られてしまった。  そんなニコニコ笑顔で言われても……と思ったが、これ以上下手に突っ込んだら志摩の機嫌が悪化し兼ねない。大人しく口を閉じる事にする。 「とにかく、そういうことなんで」 「本当気持ち悪いな、あんた」 「あ、そんなこと言うならこの鍵捨てちゃおうかな」  当たり前のように鍵を取り出す志摩に、安久は慌てて立ち上がった。 「きっ、汚いぞ! 約束が違うじゃないか!」 「約束は約束だよ。俺の気分次第で破綻するのは変わりないんだから。守ってほしかったら相応の態度を取るべきなんじゃないかな?」 「この腐れ外道……ッ」  鍵を捨てた場合、つまりそれは会長が倉庫に閉じ込められたままになるということだ。  末恐ろしいことを簡単に口にする志摩に背筋が薄ら寒くなった。恐らく志摩は本気で鍵に興味ないのだろう、中にいる会長にも。  でも、だからって。 「志摩、そんな言い方……」 「ほら、せっかく手に入れたんだから有効活用しないとね。……時間は限られてるんだから」  薄く笑う志摩の視線が、壁に掛かった時計に向けられる。  現在午前昼前、会長とのいざこざで大分時間を過ごしてしまったようだ。  阿賀松に処分が下されるまで、あと一日。  ……それも、いつ縮まるかはわからない。  このまま処分を取り消すよう求めるべきなのだろうか。処分が下された場合、阿佐美が濡れ衣を被ってしまうという話を聞いても尚俺は迷っていた。  そもそも本当に阿佐美が被るのか。その場合、実質上退学処分を食らった阿賀松はどうするつもりなのか。  阿佐美がいなくなるわけだから、まさかあの男が阿佐美として居座るつもりなのだろうか?  考えれば考えるほど理解できず、恐ろしくなってくる。  ……阿佐美は。阿賀松は、何を考えてるつもりなのだろうか。わからない。  そんな中、不意に着信音が鳴り響く。それに反応したのは仁科だった。 「仁科先輩、電話どうぞ出てください」 「……」  携帯端末を取り出し、仁科は少し苦い顔してそのまま空き教室を出ていった。その様子を無言で眺める志摩。  何を考えているのだろうか。なんて思いながらその横顔を見詰めていたとき、「安久」と志摩は口を開いた。  既に嫌な予感がしてるのだろう。「なんだよ」と答える安久の顔は強張っている。  対して、そんな安久を振り返る志摩の口元にはいつもの軽薄な笑顔が浮かんでいた。 「最後のお願い、聞いてくれる?」

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