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05
「ま、俺もちゃんと見張ってるし本当になにかありそうだったらすぐ止めるよ」
「あ、当たり前だよ……!」
笑う志摩。なんだか酷く疲れてきた。
だけど、正直安心もした。相変わらずの嫌味と皮肉ではあるものの、志摩の言葉には毒はない。
それどころか、志摩のネチネチとした嫌味すらも懐かしさと安堵を覚えるのだから奇妙な話だ。
そう、志摩と話し込んでいたときだ。不意に病室の扉がノックされる。
瞬間、志摩は動きを止めた。先程まで浮かんでいた笑顔は一瞬にして消える。
『あの、ゆうき君……お腹減ってると思ってご飯用意したんだけど、入っていいかな』
扉越しに聞こえてくる控えめな声は阿佐美だ。
「うん」と答えれば、すぐに扉は開いた。そして、配給用のワゴンを押しながら阿佐美は病室へと入ってくる。
「暫く何も口にしてないからお腹減ったかなって思ったんだけど、無理に全部食べなくてもいいよ」
「いや、ありがとう。……そろそろ減ってきてたから助かったよ」
「ならよかった。……あ、ここ、置いてるね」
ベッドに付属してる可動式のテーブルの上、阿佐美はトレーごと食事を乗せる。いかにも病院食らしい、なんとも消化に良さそうなラインナップだ。
実際はあまり食欲はないが、阿佐美には心配かけたくない。それに、飲み物くらいは口にしておいた方がいいだろう。志摩と話しすぎたせいか、口の中がカラカラだ。
俺が目で水を探していると、「あ、水だね。すぐ用意するから待ってね」と阿佐美はワゴンから水の入ったボトルを用意した。それをグラスに移し「どうぞ」と手渡してくれる阿佐美に「ありがとう」とそれを受け取る。
「ふーん、齋藤には阿佐美がわざわざ料理を届けてくれるんだね」
そして、そのままグラスに口をつけようとした、まさにそんな矢先だった。
並べられた病院食たちを横目に志摩はそんなことを言い出したのだ。
先程まで俺に見せた態度とは違う、警戒心を隠そうともしない志摩。その言葉に、ぴたりと阿佐美は動きを止める。
「……そうだけど、それが?」
「なんかおかしくない? 他の連中のところは病院の人間が運んでるんでしょ? なんで齋藤だけ阿佐美が直接運んでくるわけ?」
……また始まった。
悪意しか感じない質問責めについグラスを落としそうになるが、確かに志摩の指摘もわかった。
「何がいいたいの?」
「じゃあ単刀直入に聞かせてもらうけどさ、もしかしてこの料理、なにか細工とかしてないよね」
いくらなんでも単刀直入すぎる。せっかく善意で用意してくれたという阿佐美に対し、ここまではっきり疑うなんて。そりゃあ阿佐美の眉間に皺も寄る。
……志摩が言う意味もわかる。けれど、俺は阿佐美がそういうやつではないと知っている。
しかし、阿佐美がしてないとしても、他の人間は?
そう考えると手に持ったグラスに口を付けることを躊躇ってしまった。
「……ゆうき君」
悲しそうな阿佐美の声に胸が痛くなったが、確かに芳川会長の件もある。全くないと言い切れないのが歯痒いが、どうしようもない。
俯く俺に、阿佐美は観念したように息を吐いた。
「……わかった、なら俺が毒見するよ」
「その必要はないよ。俺が齋藤のために別の食事を用意してあげるから。阿佐美はそれ、さっさと持って帰ってくれる?」
「ちょ……志摩……っ」
「ああ、齋藤。そのグラスにも口付けちゃ駄目だよ」
「喉乾いたなら後で俺が買ってきてあげるから」と薄く笑う志摩に、阿佐美の表情筋が強張るのを見た。
せめて、他にももっと良い言い方があるだろうに。
阿佐美が阿賀松側の人間である以上、フォローするにも出来ない。
「……」
「し、詩織……」
カチャカチャ、と小さな音を立てて阿佐美はテーブルの上に置かれた料理たちをワゴンへと戻していく。
申し訳なくなり、せめて片付けの手伝いだけでもしようと手を伸ばせば、阿佐美にそれを制された。
「いや、気にしなくていいよ。……疑われるのも無理はないからね」
残念だけど、と阿佐美は力なく笑う。
普段前髪で隠れていたからこそ余計、その目が悲しそうなのを見て俺は言葉に詰まる、
そして、とうとう最後まで阿佐美にかける言葉は見当たらなかった。その顔をまともに見れないまま、阿佐美は料理たちをカートに戻して病室を後にするのだ。
――阿佐美がいなくなった後の病室。
「志摩っ」
「なに?」
「『なに?』じゃないよ、志摩。さっきのは流石に言いすぎじゃ……」
再び志摩と二人きりになった病室の中、俺は側で立っていた志摩を見上げた。
すると、志摩は「だから?」と片眉を持ち上げる。本当に何が悪いのか、何故俺が怒ってるのか理解できないという顔だ。
「言い過ぎも何も事実じゃん」
「確かにそうかもしれないけど、だからって阿佐美にあんなこと……」
「あのね、齋藤。阿賀松を潰すってことは阿佐美も潰すってことなんだよ」
勿論わかってるよね、と言うかのように阿賀松の名前を出してくる志摩に息を飲む。
阿佐美と阿賀松が兄弟だというのは以前、縁から聞いていた話だ。確かに阿佐美は阿賀松側の人間かもしれないが、先日阿賀松の行動を止めに来てくれた阿佐美のことを考えると志摩の言葉は素直に飲み込めなかった。
「齋藤、阿佐美と阿賀松が血が繋がってるってことは知ってる?」
「……知ってる、けど」
「じゃあ、双子だってことは?」
「知って……えっ?!」
頷きかけて、志摩の口から出てきた予期せぬ単語に思わず声が裏返ってしまう。
「ちょ、ちょっと待って……兄弟じゃ……」
「ああ、やっぱり知らないんだ。あの二人双子だよ」
「いや、いやいやいや、だって、でも……阿佐美二年で阿賀松三年で……」
「そういう設定なんだって。実際は同い年だよ、あの二人」
確かに、普段阿佐美が猫背だから意識してなかったが、ピンと背筋を伸ばせば阿賀松と同じくらいの身長はある。
それに、お互いの雰囲気は違うものの顔の造りはもよく似てる。
けれど、けれどもだ。
考えれば考えるほど脳味噌が掻き混ぜられるようだ。
……だって、阿佐美はいつも俺と一緒にいたし、クラスだって同じで……。
「もっというなら『阿佐美詩織』なんて生徒、存在しないしね」
突然の情報量にぐらぐらと頭が回るようだ。
それでも、聞き捨てならない事もある。
「…………」
「どうしたの? 齋藤」
「……からかってる、わけじゃないよね」
「うん」
「じゃあ、証拠は? 双子だからって、どうしてそんなことをする必要があるの?
――どうして志摩がそんなこと知ってるんだ」
「はは、すごい質問攻めだね」
笑って茶化そうとするやつに、「志摩」と咎めるようにその名前を呼べば、「わかってるよ」と志摩は肩を竦める。
「俺は聞いたんだよ。本当かどうかは知らないけどね」
「聞いたって?」
「兄貴」
何気なく出たその固有名詞に、無意識に息を飲んでいた。
志摩の、お兄さん。元生徒会長で、芳川会長に嵌められて意識不明になっていたという、そのお兄さんが。
「阿賀松が風紀委員やってる時かな、あいつら兄弟とうちの兄貴は仲が良かったんだよ。俺が中三の時かな、長期休暇の度にうちんちに来てさ本っ当……邪魔だった」
「ふ、風紀……?」
「そう、風紀委員」
静かに語る志摩。当時のことを思い出してるのだろう、その顔には嫌悪感がありありと浮かんでいた。
俺はもうこの時点で許容量を越えていた。
「阿賀松がああいう性格なんだし、真面目に風紀なんてやるわけないじゃん? だからその代わり、阿賀松のフリした阿佐美がよく働いてたみたいだね」
「……」
「……あいつ、そういうのは真面目だから兄貴に気に入られててさ、『お前、生徒会長に向いてるぞ』なんて言ってるもんだから案の定、生徒会長狙ってた芳川の琴線に触れたんだろうね」
「……っ、まさか」
嫌な予感がして、思わず志摩を見上げた。薄く口元に笑みを浮かべたまま、志摩は「そうだね」と小さく頷く。
「……阿佐美は大怪我したよ。詳しくは知らないけど、定期的に病院に検査しに行ってるみたいだしまだ完治してないんじゃない?」
「……っ、……」
……言葉が出なかった。
阿佐美が自分よりも年上だということとかそんなことよりも、既に当事者であることに。俺と一緒にいたとき、阿佐美は一言もそんなことを言わなかった。
だけど、言われみれば阿佐美はたまに忽然と姿を消していた。それが志摩の言う通院だとしたら辻褄が合う。
「以前よりも無理な運動が出来なくなった阿佐美でも利用したかったんだろうね、阿賀松はわざわざ阿佐美詩織という架空の特待生枠を用意したんだから」
「……自分が卒業した後も、会長を見張るために?」
「さあね、俺は阿賀松じゃないからそこまでは知らないよ。けど、あの姑息な男のすることだ。ない話でもないよね」
「…………」
頭の中が、まだぐるぐると回っている。
俄信じられるようなものではないが、クラスメートたちは登校してきた阿佐美を初めて見たと言っていた。
その時は嘘だろうと思っていたが、今となればその理由もわかる。阿佐美が頑なに顔を隠そうとした理由も。
思ってた以上に根が深い。調べれば調べるほど芳川会長との関わりが見えてくる。
事実を知る度に悲しくなり、俺が見てきた、憧れていた芳川会長という人が一層遠く感じてしまうのだ。
「阿賀松伊織と阿佐美詩織は二人で一人だ。阿賀松単体でも質が悪いのは事実だけど、それを裏で手繰っているのは阿佐美だからね。……齋藤も気をつけた方がいい。というか、気をつけてもらわないと困るんだけどね」
どこまでが本当でどこまでが嘘なのかわからない。
知ってしまえばしまう程にその泥濘へと足を取られてしまうのが自分でもわかった。
「わかった」と呟いた声は一際冷たく病室の中に響き渡る。
後戻りは出来ない。
……逃げ道も、もうないのだ。
俺にはもう前に進むことしかできない。
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