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06
「それじゃ、まずは齋藤のご飯かな」
簡易椅子から腰を持ち上げる志摩につられ、咄嗟に立ち上がろうとする。しかし腰に力が入らなかった。そのままベッドに再び倒れ込み、その拍子にケツに痛みが走った。
「う゛……っ!」
「ちょっと。何してるの、齋藤」
「う……上手く動けなくて……」
「まあ、ずっと寝っぱなしだったもんね。下半身の筋肉落ちてるんじゃない? 少しは歩く練習した方がいいかもね」
歩く練習に辿り着く以前に、まずベッドから立ち上がれないのだが。
元々あまり運動神経はよくないが、こんなことは初めてだ。
日頃の運動不足が祟っているのかもしれない、なんて反省していると、志摩がこちらへと手を差し出してくる。
「ほら、俺の手に掴まって」
「え……」
「え、じゃないよ。そのままじゃ転がり落ちそうで見てられない」
「ほら」と再度促してくる志摩。
だけど、包帯の巻かれた志摩の腕を見るとその手を安易に掴むことが出来なかった。
「なにしてんの?」
「だって……志摩、腕怪我して……」
「言ったよね、これくらい怪我の内に入らないって」
言った矢先、思いっきり腕を掴んでくる志摩。そして、そのまま志摩に引き上げられる。
「うわ、わ……っ」
「ほら、しっかり掴まって。……うん、そう」
そのまま立たされ、よろめく体を志摩に支えられる。
先程強打したときのような痛みはない。けれど、まだ麻痺しているようだ。久し振りに地に足を着いたようなそんなふわふわとした感覚の中、目の前の志摩の腰を掴む。
顔を上げれば思いの外近くに志摩の顔があることに驚いた。
「どう? 調子は」
「うん、まだふわふわするけど……ありがとう、志摩」
「……いいよ、これくらい。それよりも歩ける? 俺の体にしがみついてていいから少しだけ部屋の中、歩く練習してみようか」
「いや、流石に……このまま一人でもだいじょ……」
大丈夫、と志摩から手を離した矢先、そのままバランスが崩れて腰が抜けそうになる。
「うわわ」と転びそうになったところで、「ちょっとっ!」と驚いた顔をした志摩に再び腰を抱かれた。
「あ、ありがとう……」
「『ありがとう』じゃないでしょ。……まだ一人は無理だよ、潔く諦めな」
「う、うん……そうだね」
「この調子じゃ、まずは齋藤のリハビリ優先しなくちゃならないみたいだね」
「……ごめん、志摩」
「いいよ別に、これくらい」
もしかしたら「ちゃんとしなよ」とか毒づかれるかもしれないと思っていたが、実際の志摩は全然そんなことなかった。寧ろ普通に優しい志摩に余計申し訳なくなってしまう。
そう小さくなる俺を見て、志摩は笑った。
「それに、俺、結構世話焼くのは好きなんだよ。齋藤の世話なら特にね」
「だからもっと頼ってくれてもいいんだよ、齋藤」と、どさくさに紛れて握り締めた手にするりと指を絡めてくる志摩。
なんだか含んだような言い方だが、今はこうして志摩が手を貸してくれるだけありがたい。……と、思うことにした。
それから、志摩に手伝ってもらって軽く病室内をウォーキングすることになる。
「ほら、右」
「う、わ」
「齋藤、ロボットみたい」
「わ……笑わないでよ……」
「笑ってないよ。面白いなと思っただけで」
それが笑ってるんじゃないか、と口を紡ぐ俺に「ごめんね」と志摩は悪びれもなく続ける。
志摩に手を引かれるように病室内を歩き始めること暫く。
ようやく足の裏を床につけることに対する違和感が薄れてきたものの、志摩が手を離した途端歩くスピードが極端に落ちてしまうのだ。
歩く度に下腹部の奥がズキズキと痛み、どうしても立ち止まってしまう。
「やっぱり、走るのはまだ無理そうだね」
「多分、歩いている内に感覚取り戻すと思うけど……」
「まあ、その時は俺が手伝うから心配しなくていいよ」
まさかまた抱き上げられるのか。笑う志摩に嫌な予感を覚えずにいられない。
「あの……志摩」
「ん? なに?」
「……ちょっと座りたい」
「ああ、そうだね。少し休憩しようか」
そう志摩に手を引かれるようにして、俺はベッドまで帰ってくる。
そのままベッドに腰を下ろし、一息吐いた。
――大分、歩けるようにはなった。
下腹部の力の入れ方も、なんとか思い出すことが出来た。
しかし、今のスピードでは遅い。今の俺が全力疾走出したところで大抵の人間にはあっさり捕まってしまうだろう。
志摩は手伝うと言っていたが、志摩に頼る前提で考えるのは危険だと自分で分かっていた。
志摩のことを信じていないわけではないが、志摩と逸れるときのことを考えれば、だ。
「齋藤」
そんな時だった。志摩に呼ばれたと思えば、次の瞬間ひやりとしたものが首筋に押し付けられる。
「うわっ! ……っ、や、やめてよ志摩……」
「あれ? 冷たかった? もう大分ぬるくなってるかなって思ったんだけど」
「だとしても、いきなりはビックリするから……! ……心臓停まるかと思った」
「あはは、ごめんごめん。ほら、俺の飲みかけで良かったらあげるよ。喉、渇いたんじゃない?」
そう差し出してくるのはジュースだ。
いつもならば美味しそうだと思うのだろうが、見るからに濃そうなそれを見て真っ先に思ったのは『今は無理だ』ということだ。
「ごめん。今はちょっとキツイかも」
なるべく志摩を傷つけないように言葉を選んだつもりだ。志摩も俺の言わんとしていたことに気付いたようだ、「ああ、そうか」と目を細める。
「もっとお腹に優しいやつがいいよね。……やっぱ水がいい? 別の買ってくるよ」
「……いいよ、そこまでしなくて」
「何言ってるの。水分補給も大事なんだよ、タダでさえずっと寝てるんだから。」
「それに、さっき飲み損ねて喉乾いてるんでしょ」と図星を刺してくる志摩に何も言い返せなかった。
というか、それに関しては志摩が飲ませてくれなかったのだが、今掘り返す話題でも無いだろう。
「それなら……俺も、行く」
「齋藤も? それは別に構わないけど、大丈夫?」
「大丈夫。……それに、階段降りる練習もしないといけないし」
病室の外が、この病院がどういう場所なのか知っておきたかった。
志摩はそんな俺の意図を汲み取ってくれたらしい。「そうだね」と志摩は微笑んだ。
「じゃあ一緒に行こうか」
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