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08
……。
…………。
どれだけ時間が経ったのだろうか。恐らく数十分も経っていないくらいだろうか。
病室の扉が開く音がして咄嗟に目を開けば、病室の片隅、もそもそと動く影を見付ける。その丸まった背中には見覚えがあった。
「あの……詩織……?」
恐る恐る声を掛ければ、その背中がびくりと反応する。そして背中――もとい阿佐美詩織はわたわたとこちらを振り返った。
「ゆっ、ゆうき君……ごめん! 起こしちゃった……?」
「いや大丈夫、目を閉じてただけだから。……それよりどうかした?」
いつになく挙動不審な阿佐美。
阿賀松と双子だと聞いてしまった以上、年上ならば一応敬語で話したほうがいいのか迷ったが、やはりいざ本人を目の前にすると今更態度を変えることなんてできなかった。
なるべくやんわりと問いかけたのだが、心なしか阿佐美の顔色は悪い。
「いや、あの……その……」
そう口籠る阿佐美の手の中、ちらりと覗くそれを見つけた。
カラフルな動物を模したそれはなにかのキャラクターなのだろうか。阿佐美には似つかないファンシーなぬいぐるみがその手に掴まれた。
「そのぬいぐるみ……」
「えっ、あ、ごめん……あの、ここ殺風景だし、少し色鮮やかなものを置いた方が視覚的にも脳にもいいかなって思って」
「詩織が用意してくれたの?」
「うん、流石に気が滅入るかと思って……ごめん、余計なお世話だったよね」
言いながらもしおしおと項垂れる阿佐美。
――俺のために。
俺をこの階に閉じ込めることにそれほど罪悪感を抱いているということなのか。
わざわざ用意してくれた阿佐美に嬉しくなる反面、もう一度阿佐美の腕に抱かれたぬいぐるみに目を移す。
阿佐美は癒やし効果を求めて用意してくれたのだろうが、センスの問題だろうか。こう、俺から見てみればそのぬいぐるみは可愛いというよりもどちらかというと不気味な顔をしてる。
そんなぬいぐるみを抱き抱え、「ごめんね」と顔をこちらに向けてくる阿佐美。
本当なら「ありがとう」と受け取るべきなのだろうが、何故だろうか。先程までの緊張が一気に解けたと同時に笑いが込み上げてきた。
「……ふ……ッ」
「ゆ……ゆうき君……?」
「ふ、くっ……ご、ごめん……ありがとう、嬉しいよ」
――阿佐美が阿賀松の双子だとしても、やはり阿佐美は阿佐美だ。
見た目が変わっても、立場が変わっても、そのことは変わらないだろう。
「本当っ?」と目を輝かせる阿佐美に俺は頷き返す。
「そこに飾ってもらっていいかな。……ここからよく見えるから」
「うんっ! 任せて!」
しおしおの阿佐美から一気に復活した阿佐美は、そう再び棚の上にぬいぐるみのセッティングを始めた。
その後ろ姿を眺めているだけで自然と頬が緩むのが分かった。
阿佐美のことは嫌いではない。
けれど、俺はこれから阿佐美を裏切るのだ。そうしなけば前に進めないから。
……そう分かっていても、やはり阿佐美と接していて何も感じないほど割り切れているわけではない。
志摩は、阿佐美を潰せと言った。あいつは阿賀松の味方だからとも、言った。
けれど当の阿佐美から敵意は感じないのだ。
阿賀松が相手ならいざ知らず、阿佐美ならば実力行使せずとも理解してくれるのではないだろうか。未だに俺がそんなことを考えていることを志摩が知ったら罵倒されるに違いないが。
「ゆうき君、これでいいかな」
「うん、よく見える」
「えへへ……よかった、また持ってくるね!」
二匹目を持ってくるつもりなのか。
でもまあ、阿佐美がそれで喜んでくれるなら、いいか。
今の俺には阿佐美にしてやれることはそれしかないのだ。
「……あの、ゆうき君」
そんなこと考えていたときだ。不意に名前を呼ばれる。
ベッド横の簡易椅子に腰を掛ける阿佐美に、俺は枕元の機械を操作してゆっくりとベッドの上部を起こした。
「どうしたの?」と上体だけ起こした上体で阿佐美に聞き返したときだ、なんとなくばつが悪そうに阿佐美は視線を逸した。
そして、
「……志摩と、なんの話をしていたの?」
聞かれるだろうということは想定していたので然程驚かなかったが、いざとなるとどう答えればいいものか迷ってしまう。
正直に話すわけにもいかない。
「うん。まあ、ちょっとね」
「ごめんね、変なこと聞いちゃって。……でも、あいつゆうき君に何もしなかった?」
「大丈夫だよ。心配しなくても」
阿佐美はいつも俺と志摩を気にかけていてくれた。
だからだろう。きっぱりと応えれば、阿佐美は少しだけ驚いたような顔をするのだ。
そして、「そっか」と少しだけ寂しそうに目を伏せる。
目元が見えるというだけでここまで阿佐美の感情が読み取れてしまうなんて。余計胸が苦しくなったが、俺はそれを見て見ぬふりをした。
「ゆうき君が決めたことには文句言いたくないけどさ……俺は、あいつを信用しない方がいいと思うよ」
「……詩織?」
「あいつ、口だけは上手いんだ。昔から。……あまり関わらない方がいい。ゆうき君のためだよ」
驚いた。阿佐美がそんなことを言うとは思わなかったから、余計。
だけど、散々志摩に振り回されてきた俺からしてみればその阿佐美の忠告はもう手遅れも同然だ。
「ありがとう、詩織。」
――でも、心配はいらないよ。
そう続けようとしたその時だった。静かに病室の扉が開く。
入ってきたのは志摩だった。
「齋藤、お待た……」
病室へと入ってくるなり、ベッド横の阿佐美の姿を見付けた志摩の笑顔が一瞬にして凍り付いた。
ああ、しまった、と思った。別に何もやましいことはしていないが、志摩の沸点は酷く低い。
……特に、阿佐美のこととなると。
「……阿佐美、なんでお前がここにいるんだよ」
「…………」
「詩織、ありがとう。もう大丈夫だから」
――阿佐美には悪いが、一旦ここは阿佐美に退室してもらった方が丸いだろう。
そう阿佐美の手を軽く触れアイコンタクトを送れば、阿佐美も察したようだ。まだ何か言いたそうな顔をした阿佐美だったが、「わかった」と渋々頷いた。そして、立ち上がる。
「……それじゃ、また様子見に来るから。なにかあったら直ぐにそこの内線から呼んでね」
そう阿佐美が指したのはナースコールだと思っていたそれだ。
阿佐美はそれだけを言い残し、志摩を無視するようにして病室を後にした。
そして阿佐美が廊下へ出た瞬間、志摩は勢いよく扉を閉める。そして鍵も。
「……あのさあ齋藤、さっきの今でホイホイホイホイ他人をこの部屋に入れないでよ」
「ごめん、気づかなかったんだ。阿佐美が入ってきたの」
「は? 寝てる間に入ってきたの? デリカシーなさすぎでしょ、あいつ」
あからさまに機嫌が悪くなる志摩。それを志摩が言うのかとも思ったが、ここは大人しくしていた方が吉だろう。
コンビニの袋をぶら下げたままベッドの側までやってきた志摩は、そのままベッドテーブルを用意してくれた。
そしてテキパキと袋の中から取り出されるのはインスタントおかゆ、おにぎり、パン、サラダ、栄養ドリンク、ゼリー……エトセトラ。
「お、多くない……?」
「だってどれがいいか分からなかったから、一応お腹に良さそうなもの買ってきたよ」
「あ、ありがとう……じゃあこれ貰おうかな」
「ゼリーだけでいいの?」
「うん。……志摩も食べていいよ」
「じゃあ齋藤が一番好きじゃないのもらうよ」
そんな気を使わなくてもいいのに、と思ったが、志摩はそういうやつだ。変なところで義理堅いというか、変なところに拘る。
そういうところは嫌いではなかった。
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