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ほんの数秒、それでも長い時間のように感じた。
咄嗟に胸を押し返そうとするが、志摩はそんな俺の手を掴んだまま更に迫ってくる。そのままベッドに押し倒されそうになり、慌てて志摩の胸を叩いた。
ベッドの上、覆いかぶさってくる志摩はそこでようやく動きを止める。
「っ、ちょっと、志摩……っ」
「わかってる、勿論フリだよ。だけど気になるんでしょ? それなら自分で確かめてみた方が良いんじゃないかな」
あいつが信用できるかどうか。
そう、耳元で囁きかけてくる志摩。
――冗談じゃない。そう志摩の肩を叩くが、志摩は退こうとしない。
それどころか、
「ああ、なるべく嫌がるフリしてよね。――それも、阿佐美がとんでくるくるようなやつ」
言われなくとも嫌がっているのがわからないのだろうか、志摩には。
「っ、ちょっと、待って……何考えて……」
「だから言ってるでしょ。齋藤がまだ甘い考えをしてるみたいだからさ、ちゃんと教えてあげようと思って」
「俺の優しさだよ、齋藤」そう笑う志摩の手に両頬を挟まれる。ぶつかる鼻先。息が詰まりそうな程の至近距離。
そのまま志摩に唇を重ねられ、反論の言葉も全て飲み込まれる。
「……っ、ん、む……っ」
手加減はしてるつもりなのだろう。感触を楽しむように唇を押し付けられ、舐められ、軽く吸われる。リップ音が響く病室内、俺はなけなしの力で志摩の手を振り払おうとするが、敵わない。
「し、ま……っ、わかったから、も、やめ……」
「正直さ、気に食わないんだよね。まだ齋藤があいつのこと思ってるってことが」
「そんなこと……っ」
「ないと言い切れない?」
……信用しているという意味ではそうかもしれない。心の底で阿佐美が悪いことするようなやつではない、そう信じたい自分がいるのも知っている。
だからこそ、断言できなかった。
そんな俺の態度が余計志摩の癪に障ったらしい。呆れたように息を吐いた志摩は、そのまま俺の頬から顎先、首筋へとゆっくりとその指が這わせる。
その触れ方に耐えられず、俺は咄嗟にその志摩の手を握った。
「っ、志摩、も……やめて……」
「それじゃあ、阿佐美を拒絶して」
当たり前のように吐き出されるその言葉に、俺は目の前の志摩を見上げた。
「何言われても何されても受け入れないで。あいつのことを信じないで。あいつに優しくしないで。隙きを見せないで。
――そうしたら何もしないであげる」
「約束できる?」と、首筋をなぞるように志摩の指が滑る。
何度も締められ、踏み付けられてきたそこには俺にとって触れられたくない場所でもあった。皮膚の上を滑るそれが指先だと分かっていても、まるで刃物を突き付けられているような緊張感を覚えた。
けれど、それは間違いではないのだろう。志摩はいつでも俺を裏切ることは出来るのだ。
そして志摩に裏切られれば、俺に残された道は絶たれる。
それだけはダメだ。立ち止まって考えてる暇はない。
「約束できるの?」と志摩の目がこちらを覗く。こちらの心の奥まで見透かすような暗い目が。
「……っ、わかった」
ひりつく喉の奥。その言葉を捻り出した瞬間、胸が軋むように痛んだ。自分で吐き出した言葉がナイフのように自分の心に突き刺さる。
「ちゃんと、断る。断るから……こんなこと、しないで……っ」
阿佐美への罪悪感、それ以上にこんな風に何かを強要されることが悲しかった。
けれど、志摩からしてみれば俺が志摩の忠告を無視していたから怒らせるのも無理がない。
二兎追うものは一兎も得ず。そんな言葉が過る。志摩の手を借りるには阿佐美を切らなければならない。
「……」
「志摩……」
俺の言葉を信じてくれたのか、不意に、首筋に触れていたその手が離れる。
「……齋藤」
ようやく俺のことを信じてくれたのだろうか、と思った矢先だった。扉の外から足音が近付いてきた。
そして開かれる扉にぎょっとしたとき、志摩は「ほらね」と笑った。
「――お前、何してるの?」
扉の前、佇む阿佐美は先程までの雰囲気とは違う。俺の上に覆いかぶさっていた志摩を睨む阿佐美に、俺は慌てて起き上がった。
「っ、違うんだ……詩織、あの、ちょっと転んでしまっただけで……」
「随分と遅かったね。それとも、キスされて可愛い齋藤を見て抜いてたの?」
「し、志摩……っ!」
何を言い出すんだ、と慌てて志摩の口を塞ぐが遅い。
「それとも、カメラの位置悪かったのかな」なんて余計な一言を付け足す志摩に阿佐美は無言で歩み寄り、そのまま俺から引き剥がす阿佐美に更に驚いた。
普段はあまり意識しなかったが、体格差は阿賀松と同じだ。志摩に掴みかかる姿を見て息が止まりそうになる。
「詩織っ」と咄嗟に阿佐美にしがみついたとき、阿佐美はぴたりと動きを止める。
そして、狼狽えたような顔をして俺を見るのだ。
「ゆ、うき君……っ」
「本当に、なんでもないから……心配しないで」
腕の下、緊張していた阿佐美の体から力が抜けていくのを感じた。そんな俺を横目に、「そうじゃないでしょ、齋藤」と志摩は目を細めた。
――阿佐美詩織を拒絶しろ。
そう、志摩の目は確かに言っていた。
「お、俺のことは……放っておいて……お願いだから」
阿佐美の顔を見ることはできなかった。傷つけているとわかっていた。
だらりと下がる阿佐美の腕。その奥で、満足そうに微笑む志摩を見た。
それから、阿佐美が無言で病室を出ていったあと、俺は自分が何を言って何をしたのか考えることもできなかった。
ただ、俺を再びベッドに寝かせながら志摩が「オブラートなんて必要なかったのに」と言っていたのだけはやけに頭に残っていた。
「けど、分かったでしょ。これであいつがクロだって。ラグはあったけど第一声があれだもん、あいつは俺達がここで何をしてたのか知っててきたんだ」
「……」
「ねえ、さっきからなに黙ってるの? まさか、あんなに言ったのにまだあいつに同情するつもり?」
「……ごめん」
最早、何に対する謝罪なのか自分でも分からなかった。ここにはいない阿佐美に向けたものかもしれない。
「……志摩のこと、信じるよ」
少なくとも、志摩のただの被害妄想ではなかった。そりゃショックはあったが、阿佐美の性格を考えればそれも俺のことを守るためだったのではないかと思うと不思議ではない。
顔をあげる俺に、志摩は「今更?」と皮肉げに笑うのだ。そして、そのまま椅子から立ち上がる。
「さて、と。それじゃ齋藤がようやく自分の立場理解したところで次の準備をしようか」
「……準備?」
「栫井平佑を捕まえる準備」
「え、い、今からっ?」
「行動は早けりゃ早いほど良いって言うからね」
「待って、まだ、心の準備が……」
少しくらい休ませてくれ、と志摩を見上げれば、志摩はベッドに放っていた俺の手を握るのだ。
そして、
「大丈夫、俺に任せて」
……それが一番心配なのだけれど。
喉元まで出かかった言葉を俺は飲み込んだ。
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