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「齋藤、確認しようか」
「栫井にそれとなく阿賀松との関係を聞けばいいんだよね」
「それと、協力してもらえるように脅……頼むのも忘れないように」
「……」
さらっと志摩の隠し切れていない本音が覗いているが、今更突っ込む気にもなれなかった。
押し黙っていると、「齋藤」と促される。
「……わかったよ、頑張る」
「気が変わったらいつ俺と交代してもいいんだからね」
「いい……いらない」
「本当、変なところで頑固なんだから」
志摩には言われたくないが。というか、暴力沙汰を避けたいのは普通ではないのだろうか。
思ったが、志摩に何言ったところで言い包められるのがオチだ。敢えて俺は黙秘を貫く。
「それじゃ、俺は栫井平佑を探してくるよ。齋藤はここで待っててね」
まさか俺の病室に連れてくるのか。
怪しまれるのではないかとも思ったが、栫井のことを信じる他ない。……あとは、志摩が余計なことを言ってないことを祈るばかりだ。
そもそも、色仕掛けってなんだ。
今更栫井にそんなものが通用するのだろうか。
……やはり、他に説得する方法も考えていた方がいいのではないか。
そんなことを考えてる内に時間ばかりは進んでいく。
志摩が出ていって数分程経った頃だ。いきなり病室の扉が開かれ、『まさかもう連れてきたのか』と顔を上げたときだ。
「あ、かこ――」
栫井、と呼ぼうとして、その先の言葉は出てこなかった。そこに立っていたのは俺が待っていた人物ではなかった。
――寧ろ、顔を見たくすらない相手だった。
まず目に入ったのは真っ白な花束だった。数輪の百合の花の花束を手にしたその男は、こちらを見下ろす。
「あ? 誰と間違えてんだよ、お前。
――まさか恋人の顔、忘れたわけじゃねえよなぁ?」
真っ黒な髪。阿佐美と同じ髪色髪型のその男の声を聞いた瞬間、俺は背筋が凍るのを感じた。
――阿佐美はこんないやらしい笑い方をしない。ならば、この男は。
「阿賀松……先輩……っ」
「よぉ、久し振りだな。ユウキ君、ケツの調子はどうだ?」
阿賀松伊織、何故この男がここにいるのか。
元々ここは阿賀松の実家の息が吹きかかった病院だ。そして、俺を病院送りにさせた本人でもある。
最悪この展開は想像できていたはずだが、よりによって今なのか。
凍りつく俺の元までやってきた阿賀松。阿賀松が手を上げた瞬間殴られるのではないかと身構えたが、違った。
ベッドの上、とさりと落ちてくるのは花束だった。阿賀松が放ったそれから溢れる花の香りに包まれ、まるで悪い夢でも見てるような錯覚に堕ちる。
「俺からの見舞いだ。大切にしろよ、ユウキ君」
「あ、りがとう……ございます……」
「花は好きか?」
手元の花束に気を取られている内に阿賀松はベッドのすぐ横まできていた。
一気に詰められる距離。目の前の花束を見つめたまま凍りつく俺に、「返事は」と阿賀松は繰り返す。
「す、きです」
嘘、ではない。一時期、自分で花を育てるなんて趣味があったときもあった。
なのに、この男に返す言葉の全てが薄っぺらくなってしまう。言わされてる感。
「そりゃよかった。――可愛がってくれよ、ユウキ君」
「……は、い」
「亮太みてえにな」
そして、阿賀松の口から飛び出した単語に全身の体温が上がるのがわかった。それなのに、指先は冷たくなっていく。
阿賀松は視線を合わせるようにじっと俺の見ていた。
俺は、阿賀松の方を見ることはできなかった。阿賀松の口から志摩の名前が出たこともただ恐怖でしかなくて、これから立ち向かわなければならない相手だと分かっていても、阿賀松の声を聞くだけで、その袖の下から覗く筋肉質な腕を見るだけで、体内に埋まったソレの感触を思い出す。硬い拳を、その節々の凹凸に内側からぶん殴られる衝撃を。
「どこ見てんだ、ユウキ君」
「……ッ」
「こっちを見ろよ。寝違えてんのなら直してやろうか」
そう、伸びてきた手に顎を掴まれ、びくりと全身の筋肉が凍りついた。真正面、真っ直ぐにこちらを覗き込んでくる阿賀松から目を逸すことはできなかった。
「お前、随分と亮太のやつと仲良くやってるみてぇだな」
「っ、それは……」
「詩織ちゃんが心配してたぞ? ……お前が変なこと吹き込まれてるんじゃねえかって」
阿佐美から何を聞いたのか、さっきの今だったからこそ余計恐ろしかった。
俺と志摩の企みまでは聞かれてない――はずだ。それなのに、阿賀松の目に見つめられると心の奥まで覗き込まれてるようでただ恐ろしかった。奥歯がガチガチと鳴りそうになるのをぐっと歯を食いしばり、堪える。
そんな矢先だ。阿賀松は冷ややかに笑う。阿佐美と瓜二つの容姿で、阿佐美と正反対な嗜虐的な笑みを浮かべて。
「なぁに震えてんだよ。……別にとって食いやしねえよ」
「……っ、ぁ……」
そう、ベッドに腰をかけた阿賀松は俺の肩に手を回す。阿賀松の方へと強引に抱き寄せられ、そのまま入院着越しに肩から腕のラインをねっとりと撫で上げられたときだ。耳元に唇を寄せられたと思った瞬間、べろりと舐められ、「ひっ」と喉の奥から声が漏れた。
「――今はな」
耳元、鼓膜へと直接響く阿賀松の低い声にずぐん、と下腹部が疼く。逃げ出したいのに、逃げられない。これから敵対しなければならない相手だと意識すればするほど、肩を抱き寄せるその手の大きさ、分厚さが余計鮮明に伝わってくるのだ。
バクバクと激しく脈打つ心臓。たった数秒間のことだ、そのまま腰へと手を回した阿賀松に震えた。
「っ、……せ、んぱい……っ」
「さっさと調子取り戻せよ。じゃねえと、つまんねえから」
「……は、い」
本当にこれ以上は何もしないつもりなのか。
二人っきりの病室内。腰へと回された腕に抱き寄せられたまま恐る恐る頷けば、阿賀松は笑った。
「そうだ、今日はテメェにイイモン渡そうと思ってな」
「目が覚めた記念にな」と阿賀松は笑いながら上着のポケットに手を突っ込む。
そして、
「手ぇ出してみろ」
ただでさえ嫌な予感はしていた。けれど、逆らうことなどできなかった。
恐る恐る手を差し出せば、開いた手のひらの上、阿賀松はなにかをころんと乗せるのだ。
手のひらの上に置かれたそれはリングケースのような小さな小箱だった。
阿賀松からプレゼントというだけで嫌な予感がしてならないというのに、やつは薄ら笑いを浮かべたまま「開けてみろ」と囁きかけるのだ。
今、この時点で俺に選択肢は残されていない。
言われるがままケースを開けたとき。ケースが倒れ、蓋の中から手のひらの上へとバラバラと何かが落ちる。
「これ、なんだと思う?」
白くて、硬い、小さなそれに熱はない。何かの部品か何かだろうか、そう思ったがすぐにその正体に気付いた。
――歯だ。それも、人の。
「っひ」
授業で見た模型のものと同じその白い物体はどうみてもプラスチック製ではない。長さから形、様々なそれを咄嗟に振り払おうとした瞬間、阿賀松に手首を掴まれる。そのまま体ごと引っ張れそうになったとき、視界が暗くなる。そして、額にゴッと鈍い痛みが走った。
「……お前、余計なこと企んでんじゃねえだろうな」
唇に吐息が吹きかかるほどの至近距離だった。手の甲に重ねられた手に指ごと絡み取られ、みぢ、と骨が軋む。それでも声を上げることもできなかった。
「今度俺の邪魔したらお前らの分もこれに追加してやるよ」
低い声が、鼓膜から頭蓋骨へと響き渡る。
これは、カマ掛けだ。反応しては駄目だ。動揺を悟られるな。
俺たちの作戦が、企みが、もう阿賀松にバレているなんてことはあり得ない。
そう自分に言い聞かせるが、体の震えは止まらない。
そんな俺を見詰めたまま、阿賀松は目を細める。
「どうした? そんなに震えて。……なにか怖いことでもあったのか?」
骨が軋む。唇が触れ合いそうな距離で阿賀松は笑うのだ。そして、
「――こんくらいでビビるくらいなら、最初から俺に楯突くんじゃねえよ」
このくらい、阿賀松にとってはこのくらいと言うのか。
伸びてきた指に顎を掴まれる。そのまま強引に上を向かされれば、阿賀松の昏い目に俺の間抜けな顔が反射しているのが見えた。
「わかったか?」
「……っ」
「返事」
もう流されない。利用されない。そう決めたはずなのに。
あの目に見据えられたら身体が、頭が、思うように動かなくなるのだ。全身を乗っ取られたみたいに阿賀松のこと以外考えられなくなる。
――根底深くに植え付けられた恐怖の種は厄介以外の何者でもない。
「返事。……口の利き方からまた教えてやんねえといけねーのかよ」
阿賀松から笑みが消える。先程よりも阿賀松の周囲の空気が冷たくなるのを身体で感じたとき。
突然、病室の扉が開く。
最悪のタイミングで、ノックもなしにやってきた来訪者の方へと目を向ける。そして、思わず息を飲んだ。
相変わらず血の気のない青白い肌。そして、パーマがかった黒髪。
眠たそうな目は、ベッドの上で阿賀松に迫られている俺を見つけた途端、更に細められた。
――栫井だ。
志摩に呼ばれてきたのだろう。最悪のタイミングで現れた栫井に青ざめる俺。対する栫井は、そんな俺たちを見ても特に慌てふためくわけでもなかった。
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