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「おい、なに人の恋人の部屋入ってきてんだよ」  突然の来訪者に先に反応したのは阿賀松の方だった。露骨に不快感を顕にした阿賀松はそのままじとりと栫井を睨む。  対する栫井は動じていないようだ。 「知るか。そいつが用があるっていうから来てやっただけだ」とこちらを指差す栫井に、内心ぎくりとした。 「……へえ? ユウキ君がか?」  ――勘繰られている。  栫井と阿賀松、二人の視線を一身に浴び、ただ全身から嫌な汗が吹き出した。  ここは穏便に済ませるためにも、一旦栫井に待っていてもらおう。 「あのっ、栫井、やっぱり……」 「じゃ、さっさと済ませろよ」 「――え」 「え、じゃねえ。なんだ? まさか、俺の前で言えないような用事か?」 「いえ、や、その……」  ――その通りだった。  最悪の展開に更に最悪が重なっていく。  どうすればいい。どうしたらこの場を切り抜けられるのか。  栫井の怒りを最小限に食い止め、阿賀松をこの場から追い出す方法。  この際、穏便でなくてもいい。――この場だけでも凌げれば。  そう病室内に視線を向けた俺は、とあるものに目を付ける。気付けば、考えるよりも先に体が動いた。  腕を伸ばした壁、そこに取り付けられたナースコール。そのボタンを押し、俺は深く息を吸い込んだ。  そして、 「っ、うう! お、お腹が……! 急にお腹が痛くなりました……っ!」  ベッドの上、突然呻き声をあげる俺に、阿賀松は「は?」と目を細めた。その横で、「下手くそ」と栫井の唇が動いたのも見えた。……ごもっともだった。  そして、数分もしない内に看護師たちがやってくる。気付けば阿賀松の姿はなくなっていた。  やってきた看護師たちには勿論仮病ということがバレ、一頻りお叱りを受けた後に看護師たちと入れ違うように志摩が病室へとやってくる。それはもう、血相を変えて。 「齋藤っ! 大丈夫っ?」 「煩い、黙れ。喋るな」 「お前に言ってないんだよ、俺は齋藤に話しかけてんの」  どうやら志摩は俺が仮病だと気づいていないようだ。早速栫井と揉め始める志摩。取り敢えず俺は志摩を安心させることにした。 「あの、志摩、別に俺は大丈夫だから……演技だったんだ」 「……どういうこと?」 「阿賀松を追い払うつもりだったんだろ」  訝しむ志摩に、俺の代わりに栫井が答えた。  栫井にはお見通しのようだ。もしかしたら阿賀松も気付いているのかもしれないが、それでもいい。阿賀松を追い払うという目的は果たせたのだから。  ……その代わり、こってり絞られたけれど。 「……あいつ、来てたの? ここに?」  阿賀松を聞いた瞬間、志摩の表情が強ばる。  小さく頷き返せば、「何もされなかった?」と畳み掛けるように志摩は尋ねてくるのだ。   「されそうになってた」 「か、栫井……っ」 「あいつ――」  俺の代わりに答えた栫井に、志摩はそのまま病室から出ていこうとする。そして、俺は慌てて志摩の腕を掴んだ。行かせては駄目だ、それだけは考えずともわかった、 「志摩、本当何もないから。……その、栫井が途中で来てくれたから……」 「来てくれたって、呼び出したのあんただろ」  ……そうだった。そういうことになっているのだった。 「そ、そう……だったね」 「で?」 「……え?」 「え、じゃねえよ」  用があるなら早くしろ。そう言いたげな目で無言で睨んでくる栫井に、さっきとは別の種類の汗が流れる。冷たい方の汗だ。 「いや、その……あの……話しっていうか……」 「……」 「ええと、なんていうか……」 「…………」  ……正直に言おう。阿賀松が来たおかげで、栫井に対してどう説得するのか考える暇もなかった。  けれど、このまま無言でいてはまた即逃げられるだろう。せめて、何かを言わなければ、 「ぁ……あの、さっきは阿賀松……先輩のこと、止めてくれてありがとう。それで、その、よかったらお礼がしたいんだけど……」  よし、これなら自然な流れだ。  そう、「ちょっと、付き合ってくれないかな」と恐る恐る栫井を見上げたときだ、道端の生ごみか何かを見るかのような目でこちらを見ていた栫井と視線がぶつかり合う。そして。 「――嫌だ」 「えっ」  まさか、この流れで断られるとは思ってもいなかった。いや、栫井ならそうなってもおかしくはないのか。などと納得してる場合ではない。 「ちょっと、せっかく齋藤が誘ってくれてるのに断るつもり?」  どうしよう、次の手を考えなければ、と右往左往している俺の代わりに助け舟を出してくれたのは志摩だった。  しかし、間に割って入ってくる志摩に対して、栫井は冷たい目を向ける。 「なんで邪魔しないんだよ、お前」 「は?」 「普通ならうぜえくらい絡んでくるくせに」  それもそうだ。あれだけ栫井を疎ましがってる志摩がこうして大人しく、それどころか俺が栫井を誘うのを見過ごしているのは些か不自然だ。  ……いや、納得している場合ではない。このまま志摩の助け舟を無駄にするわけにはいかない。  脳をフル回転させた俺は、咄嗟に「志摩がっ!」と声をあげた。  思いの外大きな声が出てしまい、二人の目が同時にこちらを向いた。そして、それは俺も例外ではない。 「その、言い出したんだ。栫井に助けてもらったお礼をしようって……っ!」 「ちょっと、齋と……んぐっ」  露骨に嫌そうな顔をする志摩の口を慌てて塞ぐ。志摩がもごもご言っている隙に俺は言葉を並べた。 「本当は、志摩から『栫井が嫌がるだろうから秘密にしといてくれ』って言われたんだけど……この前、栫井が灘君を止めてくれたお陰でその、助かったから……」 「……」 「そうだよね、志摩」 「……」  手を離し、「志摩っ」とアイコンタクトで合わせてくれと懇願すれば、志摩はそのまま引き攣るような笑みを浮かべる。 「……そうだね、本当はこんなこと言いたくないんだけど事実だしね……感謝してるよ……」  ――よかった、志摩も俺の作戦を理解してくれたようだ。  ただ額にびきびきと浮かぶ青筋が隠しきれていないが、こうして口裏合わせてくれるだけでも有難い。……後から何言われるか知れたものではないが。 「……で、なんだよ。お礼って」 「え、え……ええと……その、栫井が欲しいの用意するよ……志摩が」 「えっ」 「ね?!」 「ま……まぁね……俺が用意できる範囲ならね……」  ものすごく志摩が睨んできている。  しかし俺に任せると言ったのは志摩だ。文句はあとで聞くから、と、アイコンタクトをしながら俺はちらりと栫井を伺った。 「…………」 「あの、栫井……?」 「……喉が乾いた」 「なんか買ってこいよ」と、栫井は簡易椅子に腰を掛ける。その視線は志摩に向けられていた。 「炭酸キツイやつ」 「は? 俺が? なんで?」 「早く行けよ、感謝してるんだろ」 「こんの……っ」  しまった、志摩の堪忍袋の緒の方が限界に達しそうになっている。 「志摩っ、早く、早く行ってきて……!」 「でも、齋藤……」 「志摩なら出来るよね」  お願いだから、と小声で頼み込む。腑に落ちない様子の志摩だったが、最終奥義「あとで何でも言うこと聞くから」を乱用すれば、渋々ながらも承諾してくれた。  自分でも安売りし過ぎな気がするが、今は物事を円滑に進めるしかない。 「……わかった。すぐに買ってくるからそこで大人しくしてなよ」  そう栫井を睨むように一瞥した志摩は、そのまま病室を後にした。  とてもじゃないが感謝している人間がする目ではないな。……そんなことを思いながら俺は志摩を見送る。

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