124 / 166
14
あれから、どれほど時間が経過しただろうか。
面会時間も終わり、志摩は一旦病院を後にした。
そして今夜、日付が変わる頃。俺は志摩からの連絡を受け次第ここを脱出するという計画になっていた。
立ち去り際、志摩から受け取った携帯端末を握り締める。
刻一刻と表示された時間が進んでいくのをただ、俺は病室のベッドに横たわったまま待っていた。
……そろそろ日付が変わる。
けれど、待ち人が扉を開ける気配はない。
「……栫井」
栫井には来てほしいとは言ったもののだ、栫井がこなくても納得することは出来た。それだけのことを栫井にさせようとしているのだから。
志摩からの連絡を待つ間、やけに一秒が長く感じた。端末を持つ手に力が入る。まだかまだかと待っていたときだった。病室の扉が開かれた。
「……あ……っ」
「……」
「か、栫井」
薄暗い病室内、薄ぼんやりと佇む影は間違いなく俺が待っていたその人そのものだった。
患者服から服を着替えた栫井は、少しだけうんざりした様子で視線を下げた。
「勘違いするなよ。……聞き忘れていたことがあったから来ただけだ」
「聞き忘れていたこと?」
「……どうして灘を阿賀松に預けた?」
一瞬、聞き間違いかと思った。だって、このタイミングで灘の名前が出てくるなんて思わなかったから。
それに、栫井は知らないはずだ。知らないはず、なのに。
「……っ、どうして」
「こいつから聞いた」
その言葉につられて栫井の背後に目を向けた。
薄暗い通路の奥、そこには確かにもう一つの影があることに気付いた。
夜目に慣れ、浮かび上がってくる長身のシルエット。短い黒髪、冷たさすら感じる鋭い目と端正な顔立ち――そして、その半分以上を覆う真っ白な包帯。
それはよく知る人物で間違いなかった。
「灘君……っ!」
「……申し訳ございません、見苦しい姿をお見せしてしまい」
「そんな、いや……それよりも、その怪我は……」
予想だにしていなかった灘との再会に喜びはあるものの、その包帯の下のことを考えると素直に喜ぶことができなかった。
慌てて灘に駆け寄ろうとしたところ、栫井に首根っこを掴まれ、再びベッドへと引き戻された。
「んなことはどうでもいいから質問に答えろよ」と、念押しも一緒に。
――俺が阿賀松に灘を助けてくれと頼み込んだ理由。
確かにそう、栫井は言っていた。
「……あの時は焦っていたから覚えてないよ。それに、理由なんて……」
「自分を利用したがっていた阿賀松伊織に恩を着せる事、それが貴方の利害と一致した。……そう言ってましたね」
――聞いていたのか。
あくまで淡々とした口振りで告げてくる灘。どこまで聞いていたというのかと気になったが、恐らく今はそんな段ではないのだろう。
二人の目的は分からない。けれど、詰られてるわけではないのだろう。……多分。
「……それは、ごめん。ああ言うしかなかったんだ」
「別に責めてるわけではありません。感謝してます」
「おい灘、お前の話はどうでもいいんだよ」
苛ついたような栫井の声が飛んできた。つられて「ごめん」と項垂れれば、栫井はそのままこちらを睨むように見た。
「……お前は自分の利害のためなら何でもするのかよ」
「……」
それは罵倒でも雑言でもなく、ただ純粋な疑問のように聞こえた。
それを聞いて栫井がどうするつもりなのかはわからない。それでも、栫井が聞くのなら俺は答えるしかない。
「するよ。……俺に出来ることなら何でも」
自分でもこうしてハッキリと他人に意思を告げられる日が来るとは思わなかった。
どうやらそれは栫井たちも同じのようだ。じっとこちらを見ていた栫井だったが、やがて諦めたように深く溜め息をついた。
「やはり、似てますね」
「うぜぇ」
「それは同族嫌悪というやつですか?」
「……うぜぇっつってんだよ」
……どういう意味だろうか。
何やら揉めてる二人に、何かまずいこと言ってしまったのだろうかと戸惑っているときだ。
握りしめていた携帯が震えだした。――志摩だろう。とうとう時間がやってきたようだ。
そして栫井は最後まで俺に話してはくれなかった。それがすべてを物語っている。
「……ごめん、二人には迷惑を掛けてしまうかもしれないけど、よかったら黙ってて欲しいんだ」
「……黙るって、何を」
「俺はここを出る」
「お前らだけでかよ」
どういう意味だろうか、と思わず栫井を見上げたとき。栫井の側にまできていた灘は「栫井君、回りくどすぎて伝わってないですよ」と耳打ちする。その言葉に、栫井は舌打ちをした。
「……あんたら二人じゃどうせすぐに捕まるだろ。……だから、手伝ってやるって言ってんだよ」
「……え?」
「時間がねえんだろ。……さっさと連れて行け」
今度こそ頭がこんがらがってしまう。
栫井が手伝う……ってことは、協力してくれるということか?
聞き間違いかと思ったが、「早くしろ」と苛ついたように手を掴まれれば、それが聞き間違いでも幻聴でもないことに気付いた。
「でも……」
「でもでもうるせえよ」
「だって、いいの?」
「お前が言い出したんだろ」
それもそうだ。
だけど、栫井を騙しているみたいで……というか実際騙しているのだが。
狼狽える俺に、栫井は舌打ちをする。
「言とくけどお前のためじゃねえからな」
なら、誰のためなのか。
聞きたかったが、俺にそれ以上踏み込む資格はない。いずれにせよ、願ったり叶ったりだ。
「ありがとう……栫井」
栫井は何も言わなかったが、それでも構わない。俺と来てくれることを選んでくれただけでも十分嬉しかった。
栫井の手を借りてベッドを降る。そのまま病室を出ようとする俺たちの背後、灘はその場を動こうとしなかった。
「では、ご武運を祈ります」
「灘君は?」
「自分はここに残ります」
え、と固まった時、予め俺の反応を予想していたのだろう。
「自分のことは気にしないで大丈夫です。……どうやら、自分には自分の役目があるようなので」
なんでもないように続ける灘。その役目がなんなのかわからなかったが、それでも俺たちがいなくなる今灘だけ残しておくのは危険だ。
「おい、いいから行くぞ」
「ちょ……っ待って、栫井……っ!」
おまけに栫井は栫井で全く灘を気にした様子もない。せめて、と灘の腕を掴もうとするがそれも灘本人にやんわり制された。
「な、灘君……っ」
「阿賀松伊織は俺に危害を加えない――そう言ったのは君ではありませんか」
そう、伸ばしかけた手を灘に握り締められる。
その動作にも驚いたが、ほんの一瞬。確かに灘は笑った。
「俺は大丈夫です」
「……っ」
どうして、こんな時に笑うのだろうか。
益々放っておくわけにいかなくなるのに、灘は付いて来てはくれない。
もどかしくて、出来ることなら無理矢理にでも一緒に出て行きたかった。けれど、俺達にも時間は残されていない。
「……誰か来る」
そう、ぽつりと呟く栫井。耳を澄ませば、確かに通路の奥から複数の足音が聞こえてくる。
「さっさと行くぞ」と栫井に肩を掴まれ、抱き寄せられる。そのまま足音とは正反対の通路へと歩いていく。
俺は咄嗟に振り返る。病室の扉は閉まったまま、灘の影は見えなくなっていた。
灘と志摩のお兄さん――最後まで何もすることが出来なかった。
後ろ髪を引かれるとはこのことだろう。けれど、ここで立ち止まることは出来ない。
半ばヤケクソになりながら、俺は栫井とともに志摩との約束の場所へ向かった。
ともだちにシェアしよう!