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――二階、個室が並ぶ廊下にて。
階段を登り、そのまま手前側の扉を開こうとする志摩に「志摩っ」と慌てて俺は呼び止める。
「志摩、待って……あ、あの人は……っというか、方人さんって……」
「齋藤焦りすぎ」
「ど、どういう知り合い……?」
「気になるの?」
「そ、そりゃあ……」
接点が分からないし、そもそも何故この店を選んだのかも気になる。栫井も多分俺と同じ気持ちだろう。
襖を開きながら、志摩は「取り敢えず入りなよ」と顎で個室の奥をしゃくる。
畳張りのその部屋は宴会はできそうなくらいの広さはあった。なんか、旅館みたいだな。
靴を脱ぎ、俺達は和室へとあがった。俺達が入ったのを確認し、志摩は襖を閉める。
「バイトしてたんだよね、ここで、暫くの間さ。それで帰りたくない時とかは泊めてもらってね」
笑う志摩はどこか懐かしそうだった。ということは接客とかしてたのか。
そもそも未成年の飲み屋のバイトは引っ掛からないのかと気になったが、聞かない方がいい気がしたので敢えて触れないことにする。けれど。
「…………」
「齋藤?」
「なんか、未知の世界だ……」
「齋藤にとってはそうだろうね」
それは働かなくてもいい環境のことなのか、それともそこまでしてでも家に帰りたくないという思考にすら陥らなかったことに対してなのか。分からないが、笑う志摩の笑顔は皮肉じみてる。
「方人って……縁方人か?」
そんな俺達の会話をずっと黙って聞いていた栫井。その口からでて来た名前に、無意識に体が強張った。
「聞いてどうすんの?」
「あの男に居場所が筒抜けになるんじゃないのか」
「言ったでしょ、ここに長居するつもりはないって。夜を明かせればいいんだから」
「安心して、一晩はゆっくりできるよ。そう、話はつけてるから」テーブルの傍、座椅子に腰を下ろす志摩。その志摩の言葉に納得したのかは不明だが、そのまま栫井は窓際へと歩いていく。
今は志摩を信じることしかできない。それに、病院を脱出するまでバタバタだったからか、一気に疲れがきてるみたいだ。
個室の隅、壁にもたれかかるように座り込んだとき、隣にまで志摩がやってきた。
「齋藤、ここまで疲れたんじゃない?」
「……いや、大丈夫だよ。まだ」
「別にいいんだよ。ここで強がる必要なんてないんだから。……それに、今はゆっくり急速する時間だ」
「……うん」
「食事、何か食べたいのあったら選んでいいよ。ついでに作ってきてもらうから」
「わかった。……そういえば、退院祝いって」
「逃げてるから匿ってって頼むより、そう言った方が話が通じやすそうだったからそういうことにしたんだよ。齋藤の退院祝いね。まあ間違ってないでしょ?」
物は言いようだな。悪びれもせず褒めてと言わんばかりに微笑みかけてくる志摩に「そうだね」とだけ答えておく。
そんなやり取りをしていると、女将さんが俺への退院祝のフルーツの盛り合わせや料理を運んできてくれる。
これ、全部縁先輩にツケられるのか……と思いながらも俺達は取り敢えず運ばれてきた料理に口をつけた。
途中、「お前は食うな」「俺の目の前に置いたのはお前だろ」と志摩と栫井が揉めてるのを止めつつも、時間は過ぎていく。
食欲はないと思ってたが、思いの外体の方が消耗していたらしい。明日学園に戻ったときのためにも、志摩の言う通り今夜の内に精をつけておくことにする。
「志摩って、この辺に住んでるの?」
「へえ、今更俺に興味出てきたの?」
「いや、別にそういうわけじゃないけど……」
「……まあ、住んでるっていうより遊ぶ場所がこの辺だったってくらいだけどね。家は帰ろうと思えばいつでも帰れる距離だよ」
「そうなんだ」
それは、初めて知った。
全寮制と言う性質もあってから、うちの学校は俺のように親元を離れて単身でやってきて寮に住む生徒が多いと聞いていた。きっと志摩もそうだと思っていたが、なるほど。通りでここの辺りに詳しいはずだ。
一晩借りれる場所、という話になって実家を選ばずにわざわざ元バイト先を選んだ志摩だ。あまり家族仲はよくないのだろう。
お兄さんのこともあるし、触れなければよかったなと少しだけ反省する。
満腹になり、テーブル料理も食べ終えたあと。
「おい、どこだよ寝るところ」
「寝床探しにきたんだろ。……寝る場所がねえんだけど」お腹いっぱいになって眠気が来たのだろうか、志摩を睨む栫井に俺はハッとした。そう言えば、確かにそういう話だった。美味しい食事を食べて満足していた。
そんな俺達を見て、志摩は「は?」と片眉を釣り上げる。そして、
「何言ってんの? あるじゃん、いっぱい」
「は?」
「ほら」
そう志摩が指差したのは畳の上だった。今度こそ俺と栫井は戦慄する。
「え? ま、まさか……ここに……」
「冗談じゃねえ、誰が踏んだかわかんねえ場所で寝れるかよ」
「ちょっと、何二人とも。まさか雑魚寝出来ないとか馬鹿みたいなこと言わないよね?」
「ざ、雑魚寝……」
これが噂の。
だけど、ずっと柔らかいシーツの上で眠ってきていた俺にとって硬い畳の上で眠るという想像ができなかった。そっと畳を触れる。掃除は行き届いているし、畳の香りもいい匂いだけど……。
どうやらそれは栫井も同じらしい。露骨に顔に出ていた。
「そんなに嫌なら出ていってもいいんだよ。特にお前だよ、俺的には寧ろ消えてもらった方が嬉しいんだけど」
「ああ?」
「無一文で手ぶらのお前にまでわざわざ食わせてやったってのに、つくづく余計な一言が多いやつだな」
この場合食わせてくれたのは縁になるのではないか、というかそれを志摩が言うのか。
思わずツッコミそうになったのを必死に堪える。……危ないところだった。
「……んだと」
「し、志摩。こんな夜中に……」
「携帯なら貸してやろうか? お前のお気に入りのセフレでも呼び出してホテル代でも出してもらえば――っ、もがっ」
「し、志摩!」
これ以上は言いすぎだ。喧嘩しないって約束だっただろ、と志摩を覗き込めば、志摩はフンとそっぽ向いてた。
そんな俺達を他所に、押し黙ってた栫井は苛ついたように舌打ちし、そしてそのまま廊下の方に繋がる襖の方へと歩いていく。
「あっ、栫井……」
まさか、本気で出ていくつもりではないだろうか。
不安になって慌てて呼び止めた時だった。入口傍に座り込んだ栫井はそのまま胡座を掻く。
そして、
「ここから入ってくんなよ、俺の場所だから」
――子供か。
「あっそ。じゃ、ここからこの先全部俺ね。入ったら部屋から追い出すから」
「お前の部屋じゃねえだろカス」
「あんたの部屋でもないよね」
「お、落ち着いて、二人とも……」
というかその分け方だと俺が寝る場所がないんだが。
なんて二人の間で一人あたふたしていると、どうやら栫井の陣地に足を踏み込んでしまったようだ。
「おい、そこ踏むなって言ってんだろ」
「あっ、ご、ごめん」
「あーあ、そこ俺の陣地って言ったよね」
「えぇ……」
いつの間に。というか徐々に志摩の陣地が拡大していっているのだけどどういう原理だ。
「ほら、罰だよ。齋藤はこっちで寝ること」
「いや、いいよ、俺靴箱のところ行くから……」
「残念、そこも俺の陣地だから」
どうしたらそうなるんだ。無茶苦茶過ぎる。
最早もうどこが陣地とか何も考えなく適当に言ってるのではないのかと勘繰りたくなるほどのルール無用に狼狽えてると、「ほら」と志摩に腕を引かれる。
「ちょっと、志摩……っ」
体がよろめいたところ、志摩に抱き締められそうになった。
栫井がいる前で何を考えてるんだ。「し、志摩」と狼狽える俺を無視し、そのまま自分の膝に座らせようとしてくる志摩。慌てて志摩から逃れようとすればスリッパが飛んできた。避けようとして頭に当たる。
「うるせえな、息すんじゃねえよ。寝れねえだろ」
もうどうしろというんだ。陣地を踏まないよう空を飛べと言うのか。
「はあ? お前の心臓の音のがうるせえんだけど?」
「あの……」
「じゃあ何も聞こえないようにしてやるよ」
「二人とも……」
「お前からな」
「落ち着い……」
「「あんたは引っ込んでろ!」」
「……はい」
結局、何事かとを心配してやってきた女将さんの仲裁により引き分けということになった。俺はあのとき正座させられていた二人の顔を忘れることはないだろう。
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