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 数時間後、俺達は大人しく雑魚寝することになった。  床の上、丸まって眠る志摩もぐっすりと眠ってるようだ。無理もない、ここ数日俺に付き合ってたせいでろくに休めてないのだから。  志摩の許可を得て志摩の陣地で休んでいた俺はというと、目を瞑ってみるものの一向に眠気はやってこない。  これから先のことを考えては脳がぴりぴりと熱くなり、目が冴えて仕方ない。  神経が興奮してるようだ。無理もないが、かといって休まなければ間違いなく支障をきたすだろう。  そう眠る努力をしながら寝返りを打ったとき、奥の方で物音が聞こえた。襖が開く音だ。  ――どうやら栫井が部屋から出ていったらしい。  まさかこのまま先に一人で出ていくのではないだろうか。  そんな嫌な想像が過り、咄嗟に起き上がった俺は志摩を起こさないようそっとその後を追いかけた。  しんと静まり返った消灯後の店内二階、その奥の方からどこからともなく生暖かな風が流れてきた。  それに混じって微かに鼻孔を掠めるのはヤニの匂いだ。  忍び足のまま俺はその風を辿るように薄暗い通路を進んでいく。そして、目的の人物は案外すぐに見つけることが出来た。 「か、こい」 「……なんだよ」  通路の突き当り。開いた小窓から差し込むのは白ばみ始めた空だ。そして、その空を見上げるように立っていた栫井はゆっくりとこちらを振り返る。その手には煙の元が握られていた。 「いや、出ていくの見えたから……何してるのかと思って」 「逃げるのかと思ったって?」 「そういうわけじゃないけど……」 「じゃ、帰れよ」  そう、深く息を吐く栫井。溢れ出した煙がそのまま窓の外へと逃げていく。  栫井も、疲れているのだろう。わかっていたけど、それでもやっぱり、なんでだろうか。放っておくことができなかった。 「……俺も、一緒にいていいかな」 「その、邪魔しないから」と慌てて付け足せば、栫井は面倒臭そうに目を細めて、すぐにそっぽ向いた。 「……もう十分してんだろ」 「え?」 「いちいち聞くなよ。……勝手にしろって言ってんだよ」 「あ、ありがとう」 「……」  取り敢えず隣に行こうとすれば、栫井は煙草の火を揉み消す。  わざわざ消すことなかったのに、と思ったがやっぱり俺がいると邪魔なのかもしれない。 「……あの」 「朝になったら、あっちに戻る気なんだろ」  栫井の方から話し掛けられて少し驚いた。  あっち、というのは学園のことだろう。小さく頷き返す。 「風紀委員に八木(やぎ)っていう三年がいる。そいつが、阿賀松伊織の可愛がってる元後輩だ」 「……え?」 「他にもいるけど、そいつに聞いた方が一番手っ取り早い。……お前に話すかどうかは知らねえけど、あとは自分でしろ」  まさかこのタイミングで教えてくれるとは思ってもいなかった。忘れてしまわないように慌てて俺は「八木」と口の中で繰り返し呟く。 「ありがとう、栫井」 「……」 「あ、あの……どこに行くの?」 「約束は守った。……後は俺の勝手だろ」  確かに、そうだ。約束はここまでだ。  これ以上踏み込めば嫌がられる。頭では理解できていたけれど、それでも栫井を黙って見送ることが出来なかった。 「栫井」  気が付けば、栫井の腕を掴んでいた。  瞬間、栫井の腕が強ばるのを感じた。そこで俺は自分の掴んだ腕が怪我している方の腕だということを思い出す。慌てて俺は手を離した。 「ご、ごめん……。でも、その……一人でどこ行くの?」 「……お前には関係ないだろ」 「それは、そうかもしれないけど……けど」  一人にできない。  そもそも、栫井を追われるような立場にした俺にも責任がある。  けれど、それを説明したところで栫井は『はいそうですか』と納得する男なのか。逆に反感買いそうな気もする。 「……」 「その、俺は……」  言葉を探すが、上手い言葉が見当たらない。  もごもごと口籠っていると、不意に栫井がこちらへと顔を近付てくる。  え、と思った時には両頬を鷲掴まれていて、次に瞬きをしたときには栫井の目がすぐそこにあった。 「っ、ふ、っぅ……っ!」  突然、強引に噛み付くようなキスに驚いて、全身が硬直する。  どうして、という困惑もあったがそれ以上に強引なそれがまるでこちらへと縋り付かているみたに感じたのだ。錯覚だ。分かっていたが、冷たい栫井の指を払うことは出来なかった。 「ん、ん……ぅ……」  唇に噛みつかれれば、鈍い痛みが走った。それでも、痛みや恐怖はなかった。  ろくに抵抗しない俺を見て、栫井の眉間が寄る。そして次の瞬間、突き飛ばすように身体を引き剥がされた。 「うぜぇんだよ、お前……っ」  そのまま転びそうになったが、なんとか転倒を回避することはできた。  顔を上げれば、忌々しそうに顔を歪める栫井がこちらを見下ろしていた。 「……ちょっと優しくしてやっただけで勘違いしてんじゃねーよ」  そう、唇を拭う栫井は吐き捨てる。それだけれならばいつものことだと流していた。けれど、普段幽霊のように生白い栫井の頬が、耳が、じんわりと赤く染まってるのを見て今度はこっちが狼狽える番だった。  どうして栫井が照れているのか。  そう呆然とする俺の横をすり抜け、そのまま栫井は逃げるように歩き出す。それを見て、考えるよりも先に「かこい」と慌てて声をかけたとき。 「着いてくんなよ」 「……!」 「……お前は、さっさと部屋に戻れよ。……あいつ、お前が絡むと死ぬほどうぜえから」  あいつって、志摩のことか。  そう聞き返そうとしたときには既に栫井の姿は見えなくなっていた。  追いかけようと思えば追いつけただろう。それでも、どんな顔をして栫井と向かい合えばいいのかわからなかった。 「……はぁ」  そのままその場に座り込めば、生暖かい風とともに栫井の残り香がした。窓の外では小鳥が囀り始めている。  ピンク混じりの朝焼けを眺めながら、暫く俺は頬の熱が冷めるまで外の空気を吸っていた。

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