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「今日はありがとう」 「いいわよ、亮太ちゃんのお願いなんだもの! またいつでも来てちょうだいね」  すっかり明るくなった店の前。 「貴方達もね」とこちらに向かって微笑みかけてくる女将さんにに、俺は慌てて「お世話になりました」と頭を下げた。  結局、一睡も出来なかった。それはどうやら隣にいる栫井も同じようだった。  俺達は女将さんにお礼を言い、そのままその場を後にする。 「それじゃ、そろそろ行こうか。登校時間には遅れないようにしないとね」 「……そうだね」 「……齋藤、もしかして寝てない?」 「い、一応寝たよ。……少しだけ」  何か言いたげな顔をして、じと、とこちらを見てくる志摩に、慌てて俺は「でも大丈夫だから」と続ける。  そう。あの後、本当に栫井がいなくならないかと慌てて探しに行った。結局、気付けば栫井は部屋に戻ってきて休んでいたのだ。  それを確認して、ようやく俺は眠ることができた。  眠れはしなかったが、こうして朝まで栫井が残ってくれていたのは素直に嬉しかった。  ……俺が言ったから、というわけではないだろうが。  ちらりと栫井の方を見れば、目が合う。それから、栫井はそのまま素知らぬ顔をしてそっぽ向くのだ。  いつもと変わらない反応ではあるが、それでも十分だった。 「ねえ、さっきからなに栫井の方ばっか見てるの?」 「え? み、見てないよ」 「本当に?」 「本当だよ、……うん」 「それならいいけど。俺が寝てる間、隠れてコソコソなにかやってたわけじゃないならね」  そうさらりと図星を刺してくる志摩に、思わず噎せそうになる。咳払いをして誤魔化したが、全身にじっとりと嫌な汗が滲んだ。 「…………齋藤?」 「な、なんでもない。それより、そろそろ移動しようか」   なんとかこの流れを変えるために強引に声をかければ、「そうだね」と志摩は微笑む。  その奥、余計なこと言うなよ、とこちらをじろりと睨んでくる栫井の目がチクチクと痛かったが、俺は気付かないフリをしてやり過ごすことを選んだ。  その路地から学園までは然程距離はない。  ようやく始発が動き出した時間帯。まだ閑散とした町中を通り抜け、俺たちは学園へとその足で向かうことになった。  朝と夜とでは大分印象が変わる街だと思った。  晴れ渡る空の下、ひんやりとした空気が今は気持ちよかった。  そして、帰ってきた矢追ヵ丘学園校門前。  聳え立つ門の奥に、やたらきらびやかな大きな校舎と寮が見えた。 「こうやって見ると本当にでかいね、うちの学校は」 「……そうだね」  こうして自分たちの学校を外側からまじまじと見る機会なんてなかった。客観視していると、不思議と気持ちが落ち着いていくのがわかった。  ――どこにも逃げる場所なんて無いと思っていた。  けれど実際はどうだ。普段は閉塞的な建物の中を逃げ回っていただけで、外には当たり前のように広い世界が広がってる。  視野を狭めていたのは俺自身だったのかもしれない、なんて妙に感傷に浸りながら俺は志摩を見た。  良くも悪くも、“逃げる”以外の選択肢があることを教えてくれたのは志摩だった。  皮肉なことであるが、その点については感謝しなければならないだろう。 「どうしたの? 齋藤。変な顔して」 「へ、変な顔……」 「齋藤らしくない顔だね」  ――だとしたらそれも、志摩のお陰かもしれないな。  なんて思いながら、俺は「そうかな」とだけ返した。  今は感傷に浸っている場合ではない。とにかく、今は目の前の壁を壊すことを優先させるべきだろう。  目の前の聳え立つ門を見上げる。  本来ならば外部からの侵入を防ぐためのものではあるが、その門は一瞬、学園の中の生徒を閉じ込める檻のようにも見えた。

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