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――生徒会室前。
無人の通路で俺たちは待ち伏せをしていたが、人が通る気配すらもない。
「……栫井、まだ来てないみたいだね」
「職員室からならここ通るはずなんだけど」
「もしかしたら、生徒会専用の通路の方を通ってるのかもしれない」
「……ああ、あそこね」
「とにかく、行くだけ行ってみよう。もしかしたらまだエレベーターの中に入っていないかもしれないし」
専用のカードキーがないと使えないエレベーターに乗られては、生徒会役員ではない俺達はもう大人しく待つしかない。
とにかく行くしかない。そう志摩に目で訴えかければ、志摩は「はいはい」と笑う。
それから、俺達はすぐさま生徒会専用通路へと向かった。
そして、俺達の予想は当たったのだった。
――生徒会専用エレベーター前。
閉じたエレベーターの扉の前、佇んでいた栫井の背中を見つける。
「栫井!」とその名前を呼べば、栫井はゆっくりとこちらを振り返る。
その顔はいつも以上に白く見えた。
「あんたら……」
「随分辛気くさい顔してるね。もしかしてそこ、使えなかったの?」
「副会長解任されたから」にやにやと笑いながら早速突っ掛かり始める志摩。
志摩、と咎めるように視線を向けるが、栫井はいつものように返すわけでもなく、「ああ、みたいだな」と小さく呟くのだ。
そして、栫井は手に持っていたそれをカーペットの上へと捨てる。
ばらりと足元に散らばるそれを目で追い、息を飲んだ。カードキーの下、そこに見覚えのあるカードを見つけたのだ。それは学生証だった。
「全部、使えなくなった」
咄嗟にそれを拾い上げようとした俺は、伸ばしかけた手を止める。そして、顔を上げた。
「嬉しいだろ」
喜べよ、と自嘲気味に吐き捨てる栫井。その覇気のない笑顔に、嫌でも理解してしまった。学生証が使えなくなったというその言葉の意味に。
俺が思っていた以上に事態が悪い方向へと転んでいるのは間違いなさそうだ。
「なるほど、退学ねえ。相変わらず用意だけはいいね、会長さんは」
いつの間にか俺の背後にいた志摩は、俺の肩に肘を置きながら手元の学生証を軽く指で弾く。
――退学。
志摩の口から出たその単語に改めて息を飲んだ。
「っ、退学って……どうして栫井が……」
別に栫井が清廉潔白な人間だとは思わない。けれど、それでも、嫌でも人為的なものを感じずにはいられない。
『邪魔者は必要ない』
そう笑う会長が脳裏に蘇った。恐らく、栫井の突然の退学処分の裏にいるのも芳川会長だろう。決め付けるような真似はしたくないが、それ以外考えられないのだ。
「カードの機能は既に停止済みみたいだね。職員室で今日中に学園を出ていけって言われたの?」
「……」
「何も、ここまでする必要は……っ」
「はは、本当に齋藤はお花畑さんなんだね。俺ならするよ、邪魔なやつも、今後邪魔になりそうな不穏分子も速攻で退学にさせる」
俺の肩を撫で笑う志摩だったが、それも一瞬のことだった。志摩の表情から笑みが消える。
「けど、問題なのは一番目障りなやつがその権限を持ってるってことだよね」
やはり、志摩も芳川会長が噛んでると考えているようだ。
そんな中、ふらりと栫井が歩き出す。考えるよりも先に体が動いていた。咄嗟に栫井の裾を掴む。
「栫井、どこに行くの?」
「……あんたには関係ないだろ」
その声には以前のような刺々しさはない。
しかし、それ以上に生気も感じられないその声にただ不安になる。そんな栫井を一人にしておけるわけがなかった。
拳を握り締める。栫井にとっては辛い状況に違いないが、俺からしてみればそれは『チャンス』でもあった。
栫井が会長から捨てられた、付け込むには格好のタイミングだ。
「……栫井、さっき、栫井の部屋にいたら会長が来たんだ」
本当は言わないつもりだった。けれど、状況が変わってしまった今、隠したところで何もならないだろう。
伝えなければならない。ちゃんと、栫井がどのような立場になっているのかを。
「……注射器持ってたよ、栫井に使うつもりだったって言ってた」
栫井は相変わらず何も応えない。
それでも掴んだ掌越し、栫井の体がぴくりと反応するのを感じた。
やはり栫井は会長のことには反応するようだ。
「栫井……きっと、会長はまた栫井を探して栫井のところに行くよ」
「……」
「一人でいるのは危険だ。……だから、一緒にきてほしい」
「齋藤」と志摩に睨まれたが、ここで引くわけにはいかない。
とにかく、栫井には口で言わなければ伝わらないのだ。言葉は本心だった。下心はもちろんあった、建前もある、それでも栫井に一緒に来てほしい。俺には栫井が必要だから。
けれど、栫井の目は相変わらず俺を映そうとはしなかった。冷たい指先、栫井は視線を落としたまま呟いた。
「いいんだよ、別に」
「最初からこのくらい予想していた。……寧ろ、今まで側に置いてくれていたことのが奇跡だからな」投げやりな言葉に、栫井らしくない、と思った。
栫井という人間の全貌を知っているわけではないが、それでも、今俺の目の前で弱々しく笑っている男は栫井だと思えなかった。
前々から自分のことを蔑ろにしているやつだとは思っていたが、今の栫井は自暴自棄そのものだ。
「……栫井」
「どうでもいいんだよ、全部」
「栫井……っ」
そんな言葉、聞きたくないかった。けれど、もしも自分が栫井の立場ならば、自分の身内から切り捨てられたときのことを考えると何も言えなくなる。
でも、だったら尚更だ。
どうして受け入れるんだ、普段から冷静な栫井ならば話し合うことも出来るはずだ。
そこまで考えて俺は以前阿賀松に見せられた栫井の背中の傷、そして芳川会長の部屋での会長の凶行を思い出す。
俺だったらどうだ、冷めた目をして見下ろす会長相手に「こんなのは間違ってる」と言えるのか。
今ならば言えるかもしれない。けれど前の俺ならどうだ。
誰も味方も居ない中、誰に相談したらいいのかも分からず、そんな状態で会長に面と面向かって平和に交渉など出来るのか。
無理だ。少なくとも俺には出来ないだろう。逆らって酷い目に遭うくらいなら、言う事を聞いていた方がいいと思う。それが安全だからだ。
栫井もそうだとしたら。そう考えると、途端に他人ごとには思えなかった。
「……栫井」
「ああそう、それを聞いて安心したよ」
そんな時だった。
志摩が一歩前に出たと思った瞬間、伸びた志摩の手はそのまま栫井の胸ぐらを掴む。
あ、と思ったときには既に遅く、問答無用で殴り掛かる志摩に俺は目を疑った。
鈍い音を立てて志摩の拳が栫井の右頬にのめり込むのだ。
「っ! 志摩!」
抵抗するわけでも避けるわけでもない。それどころか殴られても声すらも上げようとしない栫井に、慌てて俺は二人の仲裁に入ろうとする。けれど、栫井に掴みかかる志摩の腕は離れない。
志摩はいつもと変わらない笑顔を浮かべたまま、こちらに目を向けた。
「悪いけど齋藤の作戦は失敗だよ。何言っても頑固なこいつには無駄だからね」
「だからって、こんな……っ」
「栫井平佑。残念だったね、せっかく齋藤が情け掛けてくれたのに素直になっときゃよかったのにさ」
「……最初から、無傷で済ませるつもりはなかったんだろ」
そう呟く栫井の目は諦めきっていた。乱れた黒髪の下、志摩に殴られた頬が赤く腫れている。その目がただ痛々しくて、俺は言葉に詰まった。
そんな俺とは対象的に、さして興味なさそうに呟く栫井に更に笑みを深くするのだ。
「当たり前だろ。俺、お前のこと嫌いだしね」
次の瞬間、壁に叩き付けるように栫井を押さえ付ける志摩に血の気が引く。
「志摩っ!」
「齋藤、見たくないならあっち行ってていいよ。うっかり手が滑ったら危ないから」
「志摩、いいからやめて……っ!」
どうして栫井も抵抗しないんだ。本人が自分のことをどうでもいいと思っていようが、やはり黙って見逃すわけにはいかない。
こうなったら、と力いっぱい志摩の後ろ髪を引っ張った時、ようやく志摩がこちらを向く。苛ついたように眉間を寄せて。
「何? 齋藤がしたいの? 指折る時は関節を掴んで曲げたい方に一気に体重を掛けるんだよ」
「……っ」
今に知ったことではないが、志摩にはほとほと呆れさせられる。
聞きたくもないアドバイスに流石に我慢の限界に達しそうになるが、こうなった志摩を止めることは出来ない。
それならば、
「……っ言わなくてもいい。……ここから先は俺がするから志摩はあっちに行ってて」
嘘でもこんなことは言いたくないが、志摩を納得させるためにはこうする他なかった。
驚いたように目を丸くする志摩だったが、すぐに上機嫌な笑顔に戻る。
栫井は、最後まで俺を見ようとはしなかった。
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