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『どんくさい齋藤のために』と、志摩は栫井の腕を前で縛り、それからその場を離れた。  どうせ志摩のことだ。見えない場所からこちらを伺っているのはわかったが、少しだけ、少しだけでいいから栫井と話したかった。 「……栫井」 「……」 「……」  やっぱり、もう駄目か。せっかく少しは心を開いてくれたと思ったのに志摩の行動のお陰で台無しだ。  壁を背に座り込んだまま、こちらを見ようともしない栫井。その前に立った俺は、そのまま視線を合わせるように座り込む。 「……栫井、お願いがあるんだ」 「……」 「もう一度、俺に協力してほしい。いや、一緒に居てくれるだけでいいから……来てほしいんだ」 「……」  何も応えてくれない。無理もない、と思う。それでも、ここで諦めたところで栫井が心を開いてくれるはずもない。 「栫井」と、もう一度呼び掛けた時。栫井の目が、ゆっくりとこちらを捉える。 「……なんで、俺に拘るんだよ」  ぽつりと吐き出された言葉は重く、静かに辺りに響いた。 「俺よりも役に立つやつ、教えただろ」 「役に立つとか立たないじゃなくて、栫井にいて欲しいんだよ。……その、心配だから」 「……っは、同情かよ」  同情。そうかもしれない。栫井を見てると他人ごとのような気がしないのだ。  あの日、殴られてる栫井を見た日からだ。 「……俺も、用済みだって言われたから」 「は?」 「必要ないって、会長に言われたんだ」  俺の言葉に、ようやく栫井は顔を上げてくれる。  驚いたように丸くなる目。突然何を言い出すんだという表情のまま固まる栫井。  それでもいい、栫井が俺を見てくれただけでも十分だった。 「だけど、俺には、栫井が必要なんだ」  何も考えずに、思ったままを口にする。感情とか整合性だとかそんなものは後からどうとでもなる。とにかく、栫井相手には躊躇ってはいけない。  だって、これ程のチャンスは二度目があるかどうかすら怪しいのだから。 「ばっ……かじゃねえの……」  栫井の表情が歪む。不快感、怒り、馬鹿にされていると思ったのか、栫井は睨みつけるようにこちらを見上げてくる。  反応としては悪いのだろうが、それでもいつもの栫井に戻ってくれたような気がして、少しだけ安堵した。  けれど、そんなことで満足してる場合ではない。 「自分のこと、どうでもいいって言うなら……俺と一緒に来てほしい。……俺には、栫井が必要なんだ」 「……なんでお前のお願い聞かなきゃなんねえんだよ」 「……っ、栫井」 「脅迫しろよ。俺に言う事聞いて欲しけりゃ、あいつみたいに殴ればいいだろ」  あいつ、というのは志摩のことだろう。  こちらを睨みつけてくる栫井の言葉に、思わず俺はたじろいだ。  照れ隠しなのかとも考えたが、栫井がそれを望むならそうするしかない。けれど、脅迫だなんて真似。でも、栫井はそういってるし。 「…………」 「…………」  重たい沈黙が流れる。これ以上は平行線だと肌で感じた。  これは、栫井から歩み寄ってきた……ということなのだろう。それならば、と覚悟を決める。  そりゃあ暴力なんて振るいたくない。殴られると痛いということを知っているから、余計。  けれど今更綺麗ぶったって、刃先が肉に食い込む感触も針が皮膚を突き破る感触も掌から消えるわけではない。  だから、俺は……。 「……出来ないのかよ、やっぱ口だけなんだな」 「…………」 「そんなことも出来ないやつの言う事なんか、誰が――」  そう栫井がそっぽ向いたとき。その隙を狙って俺は栫井に向かって手を伸ばした。そのまま包帯が巻かれたその手を取る。もちろん、傷に触れないように。 「は……っ?」  重ねられる手に、驚いた栫井がこちらを見た。  恥ずかしい。けれど、こうするしかないのだ。栫井をなるべく痛め付けず、尚且つご要望通りに俺の手で“強迫”するためにはこうするしか。 「ごめん、その……嫌だよね、俺から触られるの」 「……っ」 「あ、で、でも! 言う事聞いてくれなかったら……もっと力入れて握りしめるから……!」 「……その、少し痛いと思う」ダメだ、慣れない真似はするものではないとつくづく思う。  どうしても栫井を傷付けたくないという思いが邪魔をしてしまうのだ。  呆れ果てていた栫井の顔が今度は怒りに染まっていくのがわかった。それでも、ダメなのだ。 「……お前、馬鹿にしてんのか?」 「違、あの、そういうあれじゃ……あっ!」  そう、言いかけた矢先のことだった。  すぐ背後で影が動いたと思えば、音もなく伸びてきた足が思いっきり壁を蹴り上げた。  間一髪、それを避けた栫井はそのまま俺の背後を睨み付ける。  そして、 「惜しいなぁ。もう少しで腕、狙えたのに」  案の定、予想していた声が飛んできた。 「し、志摩……っ」 「ああ、早くその手を離しなよ、齋藤。汚れちゃうよ」  ニコニコと笑いながら肩に手を回してくる志摩は強引に栫井から俺を引き離そうとする。  悪びれるどころか全く気にも留めていない志摩の態度に我慢できず、俺は「志摩」と志摩の手を掴んだ。 「栫井に手を出さないで」 「齋藤、何言ってるの? 頭大丈夫?」 「栫井は……俺の人質だから、その、手を出していいのは俺だけだから……!」 「……人質?」  志摩の笑顔がぴくりと歪む。それでも、ここはきちんとしておかなければならない。けれど。 「か、栫井……」  縋るような思いで栫井に目を向ける。ここは栫井にも俺に合わせてもらう必要があった。でなければ、志摩はまた栫井に乱暴な真似をするとわかってたらだ。  目が合い、栫井は浅く息を吐く。  馬鹿馬鹿しい、相手にするのも無駄だ。そんな顔だ。そして。 「……勝手にしろ」  それはつまり、その言葉を俺の都合のいい解釈で受け取ってもいいということか。  まさか本当に言う事聞いてくれるとは思わなくて、嬉しくなるよりも先に自分の聞き間違いをまず疑ってしまう。けれど、それは俺の聞き間違いではなかった。 「そういうことだから、志摩、栫井に手を出しちゃ駄目だから。……栫井は、俺が責任持って見張るから……!」  緊張と動揺で声が裏返りそうになる。それでも声を振り絞って宣言をすれば、そのまま志摩は動きを止めた。 「………………」 「……志摩?」 「……ムカつく」  そしてそう一言。笑みを消した志摩はぼそりと吐き捨てる。  それは拗ねた子供のような言い方にも聞こえた。 「あーあ、俺も人質になっときゃよかったな」 「何言って……」 「なんでも好きにしたらいいよ。飼い主が誰だろうと関係ないしね、こいつの立場が変わったわけじゃないし」 「けど、俺たちの邪魔をするんなら許さないから」そう、栫井から手を離した志摩はそのまま栫井を睨む見つける。  何も言わない栫井の代わりに「志摩」と名前を呼んだとき。 「……腕の拘束は絶対外さないよ」  間違いなく怒ってるだろう。そうこちらを睨んでくる志摩だけど、それでも志摩が譲歩してくれるのはわかった。今までの志摩だったら許してくれなかっただろうからだ。  相変わらず皮肉っぽいが、俺の言った通り栫井に手も出さずにいてくれる志摩の態度は素直に嬉しかった。 「ありがとう、志摩」  そう口にすれば、相変わらず拗ねたように眉を寄せた志摩は「はいはいどういたしまして」と投げやりな返事をくれた。

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