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「取り敢えず場所を変えよう」
そう言った志摩に連れられてやってきたのは志摩の部屋だった。
予め十勝は校内にいないと聞いていたので入ることに戸惑いはしなかったが、先程鍵のかかった部屋を開けてまで入ってきた会長のことを思い出すとどうしても不安になってしまう。
そんな俺を見越したように、内鍵を掛けて志摩は笑う。
「あいつも合鍵は持ってないだろうから入れないでしょ」
「……合鍵?」
「渡してたんだろ、会長さんに。そのせいで齋藤大変だったんだからね」
煽る志摩に栫井の表情が僅かに引き攣った。その表情は確かに困惑してるように見えた。
「……渡してない、そもそもキーは二つしかないはずだ」
「俺のと、こいつが持っているので、二つ」怪訝そうに続ける栫井。そうなると新しい疑問が出てくる。
「……なら、どうして」
会長が部屋の扉を開くことが出来たのか。
「元から緊急時用とか他にも合鍵があるってこと?」
「俺が渡したそれが緊急時用なんだけど」
「……」
本人に無断で新しく合鍵を作る会長の姿が頭に浮かび、全身から血の気が引く。
まさかとは思うが、何も言わない栫井にそんな想像をせずにはいられなかった。
「……念のためチェーンも掛けておくか」
顔を引き攣らせた志摩は再び扉へと戻る。
「でも、そんなことしたら十勝君が……」
「良いんだよ、あいつは。外行った時は帰ってこない時もあるからね」
それならいいのだけれど。
もし帰ってきたときは申し訳ないが、やはり先程のことがあったばかりだ。今は安全を優先させたい。
それでも、チェーンカッターを持ってこられたらどうしようもないのだが。
「それでだけど」
扉を厳重に施錠し終えた志摩が戻ってくる。
本来ならば一つの部屋を真っ二つ、カーテンで仕切られたその部屋の志摩のスペースにて。俺と栫井はソファーに腰をかけていた。
「お前なんでそこに座ってんの?」
「は?」
「人質は人質らしく床に座ってろよ」
どうやらソファーに座ってる俺達が気に入らなかったようだ。早速笑顔で栫井に突っかかり始める志摩に『またか』と思わずにはいられない。
「志摩、これくらい……」
「これくらいこれくらいで許してたらどんどん付け上がるよ、こういうタイプは」
「でも」
どうしてこうも何かに付けて因縁吹っ掛けてくるのだろうか。
座るくらいいいじゃないかと宥めようとした矢先、栫井が立ち上がる。そして、そのまま栫井はどかりとカーペットの上に腰を下ろした。
――まさか、あの栫井が素直に言うことを聞くなんて。
「これでいいんだろ」
「なんでそんなに偉そうなわけ」
「いいよ。ほら志摩も……栫井、ちゃんと座ったんだから」
このままでは埒があかない。なんとか志摩の気を紛らわせるため、俺は早速本題に入ることにした。
「ええと、それじゃあ、その、栫井に聞きたいことあるんだけど……いいかな」
「何」
「……壱畝遥香って、知ってる?」
その名前を口にするのは、大層勇気が必要だった。
なるべくなら関わりたくない、思い出したくもない、名前すら口にしたくない。けれど、どうやら避けて通ることは出来ないようだ。
栫井の表情は変わらない。
「……転校生だろ、お前のクラスの」
「うん、そうなんだけど……その、壱畝君が副会長候補に上がってるって聞いたんだ。……栫井は何か聞いてない?」
「あり得ない。……あいつ、来たばかりだろ」
断言する栫井。俺も栫井と同意見だ。
けれど。
「まあ、普通なら有り得ないよね。でも、うちの生徒会役員選ぶのはさ」
「……生徒会長推薦か」
相変わらず他人ごとのような志摩に、栫井は静かに呟く。
志摩からお兄さんの話を聞いた。ぼんやりとだがそこで生徒会の仕組みはわかっていたが、それでも何故会長が壱畝を推薦するのかがわからない。
「このタイミングで栫井が解任されたのが阿賀松が退学になったからだとしても、それでなんで来たばかりの人間にそんな役を任せるのかが分からなくて……」
「ま、普通に考えるなら賢い判断ではないよね。周りから反対されるだろうし」
「……それを振り切ってまであいつに役職をやらせる。そのことにメリットがあるんだろ」
副会長候補の話題になるとある程度嫌そうな顔をするかと思えば、栫井の反応は冷静だった。
いや、寧ろ自分が抜けた後の生徒会には興味がないとでもいうかのように志摩同様栫井の目は冷めている。
「生徒会しかり役職持ちって進路や就職で役に立つんだよ。うちの場合は特に、学校ブランドってやつがあるからさ」
「ま、表向きだけど」と続けるのは志摩だ。
「それ欲しさのために何か取引持ち掛けたんじゃない?」
「壱畝が……会長に?」
「或いは、会長さんが壱畝遥香に」
「……っ」
確かに俺もここに来る前は名前を聞いただけですごいところなんだと思っていた。
設備は最新だし、建造物も内装も立派だと思う。けれどそれはあくまでも外に向けた魅力でしかない。実際は学園内は大きな派閥に別れ、それに巻き込まれた俺からしてみれば魅力もクソもない。
しかし、志摩の言葉に納得する自分もいた。
……あいつならば有り得そうだと思ったからだ。外面に拘るあいつならば。
「……でも、生徒会は前会長が割り出すんだよね。だったら、もしかして栫井も志摩のお兄さんに……」
「違うな」
「え?」
「前会長が割り出せるのは次期会長だけ。そして、任命された会長が役員を選べる」
ということは、栫井は会長に推されて副会長になったということか?
そう理解した時、腹の中、燻っていた違和感が僅かに膨れ上がるのを感じた。
「もし、次期会長が決定する前に生徒会長がなんらかの事情で駄目になった時に選挙が行われるんだよね。だけど、今年はその選挙が始まる前に有力候補だった阿賀松は停学。街中で喧嘩して警察沙汰だったんだってね」
「……」
「それで、他の立候補も“なぜか”辞退したりと最終的に選ばれたのは芳川現会長様。コネも無く努力と自分の力だけで伸し上がった、なんてなんも知らないやつらは言ってるけどね」
「他人を蹴落としてまで欲しがるやつも出る、ありがたい後ろ盾ってところかな、役職持ちは」そうどこか楽しそうに語る志摩に、栫井は何も言わない。否定もしない。
……恐らく、事実なのだろう。
会長がそこまで固執する生徒会長という役職の魅力。それを知っても尚、俺は会長の真意がわからない。
だとしても、ここまで他人を陥れてまで守るべきものなのかと。会長をそうさせる程の理由が他にもあると思いたい。そうでなければ納得できない、したくなかった――そんなことのために誰かを傷付けるということが。
「じゃあ、栫井って……」
「会長に推薦されたんだよ、こいつも」
「……会長に」
やはり、そういう事なのだろう。会長の様子からして栫井を邪険にしてるのかと思ったが、もしかしたら以前は仲が良かったのだろうか、なんて考えも直ぐに志摩に切り捨てられる。
「周りを都合のいい人間で固めたくなるんじゃない? それで他に適任がいなかったから、一先ず席を埋めるために適当に言うことを聞きそうなやつを用意するんだ。そんで、他に良さそうなやつがきたから解任ってね」
「……そんなに簡単に解任出来るものなのかな」
「出来る」
そう答えたのは栫井だった。
「役職持ちは恩恵受ける分、下手な行動したら他の生徒よりも厳しく処罰される」
「……退学も?」
「有罪にするのと同じだ、それなりの理由と物的証拠と被害者を揃えればいい」
「あんたと会長がしたようにな」阿賀松のことを言っているのだろうか。相変わらず読めない栫井だが、その声から怒りは感じない。感情も。
「栫井の退学の理由は?」
なんとなく、気になっていた疑問を口にする。
瞬間、僅かに栫井の視線が揺れるのがわかった。
「……そんなもの、覚えてない」
「覚えられないくらい沢山あったんじゃないの?」
茶化してくる志摩にさえ栫井は何も言わなかった。
余計なこと聞いたかもしれない。けれどやっぱり、何かがおかしい。先程まで薄ぼんやりとしていた違和感が、自分の中で大きな蟠りになっていく。
生徒会長であるということは学園から様々な特権が与えられる。
でも、相手が会長であることを利用すれば追い込むことが出来るのではないか。
必要なのは物的証拠。けれど、今までの会長の暴行の証拠は何一つ手元にない。それに会長のことだ。自分の不利になるものを易易と残しているとは思えない。
怪我した栫井を連れて行ったところで「こいつが勝手に言ってるだけだ」と逃げられてしまえば終わりだ。
そこまで考えて、俺は会長の阿賀松に対する行動を思い返す。そこでふと閃いた。
「……」
監視カメラはどうだろうか。
監視カメラをどうにして見るのは……いや無理だ、恐らく会長が既に手を回してるだろう。
ならば、それとは別に会長に見つからないようにカメラを仕込んで新しく現場を撮影するしかないのか。
いや、ダメだ。これ以上誰かを傷付けさせるわけにはいかない。そんなこと、本末転倒だ。
「齋藤」
そこまで考えた時だった。突然名前を呼ばれ、思考を中断させる。
顔を上げれば不思議そうにこちらを見ている志摩と目が合う。
「ずっと黙ってるから寝てんのかと思ってさ。どうしかした?」
「いや……なんでもないよ、ごめん」
「ならいいけど。でさ、何かいいこと思い付いた?」
「これからどうするかとか」と目を細める志摩。
――これから。
恐らく下手に動いたらすぐに会長にバレてしまう。じっとしていたからといって好転する可能性もないだろう。それでも、俺は。
「……少し、様子を見ようと思う」
「……様子って? 大人しく指咥えて待ってるってこと?」
「会長のこともだけど、ここまで色々会長も動いてるんだ。阿賀松がじっとしてるとは思えない」
現状が良くはならなくても、悪化する可能性は大いにある。下手に動いてそれに巻き込まれるわけにもいかない。
それに、俺たちの目的は会長だけではないのだ。
阿賀松の動向が不明な今、注意しておくべきは阿賀松も同じだ。
もしかしたら阿賀松も俺達と同じことを考えている可能性がある。というよりも、いつだって阿賀松はそのことばかりを考えていた。会長の裏を取ることを、一番に。
「それは、一理あるね」
志摩も理解してくれたようだ。
「……だけど、じっと指を咥えてるわけじゃないよ」
あくまで、阿賀松と会長には近づかないというだけだ。
大人しく待っている余裕はない。こうしてゆっくり話している時間も、いつまで続くかはわからない。
それならば、今の俺に出来ることは一つだけだ。
「俺は風紀室に行く」
今の俺達は監視の目がある。行動が制限される。
ならば、会長たちや阿賀松の目も気にせず表立って動くことが出来る人物が必要だった。
「風紀室?」
「八木さんなら寮の自室の方訪ねた方がいい」
驚く志摩の隣、俺の考えんとすることを理解したのだろう。栫井は「俺も行く」と小さく続けた。
栫井の申し出に驚いたが、心強いことには変わりない。それに応えるよう、栫井に頷き返す。
「ちょっと待って、八木って……」
「あんたは来んなよ、絶対」
「もしかして、あいつが阿賀松と……」
「……」
そう言えば、志摩には栫井から聞いたことをちゃんと言ってなかった気がする。しかし、説明をする暇は大分省けた。
どうやら志摩も八木のことを知っているみたいだが、志摩の顔色を見る限りなんだか少し嫌な予感がしない。
「俺も行く」
そんな中、立ち上がった志摩はそんなことを言い出した。そんなことだろうとは思っていたが、栫井の表情は渋くなるばかりだった。
「あんたが来ると拗れる」
「お前に齋藤守れるのかよ」
「……話をするだけだって言ってんだろ」
栫井の態度からするに、ここまで頑なに拒否するということはどうやら志摩はいない方がいいのだろう。
「志摩、大丈夫だから。俺達だけで行ってくるよ」
「齋藤、いつも言ってるけどさ……」
「わ、わかった、じゃあこうしよう。会うのは俺と栫井だけで、志摩は見張っててよ」
「それならいいよね」と、志摩が拗ねる前に妥協案を提示する。
元より駆け引きよりも暴力で捻じ伏せようとする志摩は話し合いに向いてないのだ。恐らくそれは本人も自覚しているのだろう。
「齋藤がそういうなら構わないよ」
「志摩……」
にこりと笑う志摩。よかった、分かってくれたようだ。そう安堵した時。
「けど、そのせいで何かがあっても俺は知らないからね」
ねちねちと小言をぶつけてくる志摩に俺は「分かったよ」とだけ返した。
話し合いはつまらないとか言うくせに、やたらと参加したがる志摩程厄介な人間はいないかもしれない。
そんなことを思いながら、俺達は早速部屋を出ることにした。
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