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さっさと歩き出す栫井。置いていかれないよう、俺はそれに小走りでついていく。
そしてやってきた学生寮四階。八木の自室の前まで俺達はやってきていた。
「……八木さん、俺です」
数回のノックの後。栫井が扉に呼びかければ、眼の前の扉が勢いよく扉が開かれた。
扉の側にいた俺は、鼻先を掠める扉に思わず腰抜けそうになっていた。
「平佑! お前退学ってどういう……あ?」
現れた八木なる人物は、俺の苦手なタイプを見事に取り揃えたような男だった。
でかい。怖い。動作が荒い。声がでかい。派手な服。
鋭い目がこちらを向いたとき、背筋に冷たいものが走った。俺と八木は初対面である。そのはずなのになぜだろうか、目があった瞬間とてつもない敵意が八木から溢れ出すのだ。
「お前、」
「は、はじめまして……」
「八木さん……中、いいです?」
「見つかると厄介なんで」と、俺と八木の間に立った栫井は八木に耳打ちする。
俺達の様子から何かを察したようだ。
「……ああ、分かった。入れよ」
そう扉を開く八木。
――入れ。
そう視線で促してくる栫井に俺は頷き返した。
「し、失礼します……!」
さっさと八木の部屋へと上がる栫井に遅れを取らないよう扉を潜ろうとした矢先のことだった。
「おい!」と八木に怒鳴られ、片足上げたまま俺は動けなくなる。
「齋藤佑樹、お前はそこで止まれ」
「え、ぁ……」
「俺が良いって言うまで動くなよ」
「は、はい……」
何かしてしまったのだろうか。
それともやはり俺が何したのかバレてしまったのか。もしかしてこのまま捕まってしまうのだろうか。
動けない中、頭の中には悪い思考ばかりがぐるぐると巡る。変な汗が止まらない。
八木は自室の奥へと引っ込んだ。そして、やばい、どうしよう、なんて思っている間に八木が戻ってくる。
そして、
「ほら」
玄関口、俺の目の前に投げるように置かれたそれは客用スリッパだった。
「ぁ……」
もしかして、わざわざ用意しに行ってくれていたのだろうか。
阿賀松の後輩だというからいきなりぶん殴られるかもしれないと身構えていただけに、置かれたそれに脱力した。
もしかして、いい人なのだろうか。
そうだ。そもそも風紀委員の人なんだし、ただちょっと目つき悪くて声がでかいだけなのかもしれない。
「あ、ありがとうございます」と慌ててそれに履き替えた時だった。
「言っとくけど、そこら辺の物ベタベタ触んなよ」
「他人を部屋に上げるってだけで気分わりいんだから」そう八木に睨まれる。
……やっぱり怖い。
八木の威圧感に押し潰されそうになりながらも俺はなるべく部屋の物に近付かないよう気を付けて栫井と合流する。
「平佑、何か飲むか?」
「……いや、いいです」
「あっそ。お前は?」
「あ、俺も、大丈夫です……」
「ふーん」
……なんだこの対応の温度差は。
初対面の相手に馴れ馴れしくされてもそれはそれで戸惑うのだが、だとしてもここまで露骨に態度の差を見せつけられると困惑する。
そのくせ、俺を無視するわけでもなくめっちゃ見てくるしなんなのだろうか。
場所は変わらず八木の自室にて。
こまめに掃除でもしてるのだろうか、よく清掃が行き届いているようだ。八木の部屋はきれいだった。
「それで? わざわざ俺の部屋にあいつの恋人連れてきた理由はなんだよ」
「好きにしろってことか?」と、こちらに目を向けた八木は笑う。冗談のつもりだろうが、あまりにも笑えない。固まってる俺の横、ソファーに腰を下ろしたまま栫井は「八木さん」と小さく口にする。
「……そいつ、伊織さんと付き合ってるんで」
「は?」
「芳川とは伊織さんの命令で付き合ってたんすよ」
栫井が阿賀松のことを伊織さんって、なんの冗談だ。そして会長のことを芳川って。
「本気で言ってんのか」と驚く八木とは全く違うところで驚く俺だが、栫井は気にせず頷く。
「面倒臭えことになってるってのは知ってたけど……なるほどな」
「……ええ」
「で、なんだよ。つうか平佑、お前もなんで一言も教えてくれなかったんだよ。驚いたんだからな、お前が女孕ませて退学とか」
……孕ませ?
さらっと八木の口から出てきた衝撃の言葉に固まってると、「それ俺じゃないですから」と栫井は否定する。
「ならやっぱヤラせなんだな? まあ、だろうな。あの女、お前の好みじゃなさそうだし」
「……」
「じゃあ誰の子だろうな」
ニヤニヤと笑う八木に、素知らぬ顔で栫井は「さあ」と首を捻る。
なるほど、栫井が退学理由を教えてくれなかった訳がわかった。
もしハメられたとしてもそんなやり方、非人道的すぎるのではないか。
考えただけでぞっとしない。
どこまでが本当かわからないけれど、聞いてるだけで気分が悪くなってくる。対する二人は顔色一つ変わらない、まるで世間話のように会話を進めるのだ。
「は……なんだ、それ調べてほしくて来たんじゃねえのか」
「八木さんには別にお願いがあります」
「お願い?」
「こいつを……齋藤を匿っててもらえませんか」
え、とその言葉に頭が真っ白になる。
ここにやってるくるまで何も言わなかった栫井の口から飛び出した爆弾発言に、思わず俺は「栫井」と顔を上げた。こちらを一瞥した栫井の唇は確かに『黙ってろ』と動いた。気のせいではないはずだ。
そして、突然の栫井の言葉に驚いたのは俺だけではなかった。
「匿うって……俺がか?」
目を丸くする八木に、栫井は小さく頷き返した。
「伊織さんから言われたんです。芳川も弱味を握ってるこいつのことを切り捨てようとしてるし、縁方人もこいつを狙ってる。信用できるのは八木さんだけだって」
「ま……まじかよ……伊織さんが俺を……」
あながち間違いではないが、流石に強引すぎるのではないだろうか。
八木に疑われはしないかとヒヤヒヤしていた時だった。
「分かった、任せろ。こいつは俺が預かっていてやる」
二つ返事で受け入れる八木。もしかしてこの人、疑うことを知らないタイプの人か?
「伊織さんも芳川が邪魔するみたいで身動き取れないらしいです。……なので、落ち着いたら俺がまた迎えに来ます」
「その時まで絶対誰がこいつを探してきても知らないフリをしてください」平然と適当な言葉を並べていく栫井に、「おう、お前以外のやつは無視しときゃいいんだな!」と八木は大きく頷いた。
「ああそれと、もしかしたら伊織さんのフリした阿佐美詩織が来るかもしれません。けどあいつも信用できないので無視ってことで」
「ああ、阿佐美も無視な。任せとけ」
な、なんだか……信じすぎて心配になってきたな。
阿賀松から信用されてるという一言が余程感動したのだろうか、先程よりも見てわかるくらい気分を良くする八木に見てるこちらの心臓が痛くなってくるほどだった。
しかし、トントン拍子で進んでいく物事に逆に不安になってくるのは俺だけのようだ。
「それじゃあ……俺はこれで」
そう言いたいことだけ言って立ち上がる栫井。
まさか俺を置いて帰るつもりなのだろうか。
「栫井」とつられるように立ち上がれば、不意に栫井に肩を掴まれる。
そして、
「この人は馬鹿だから煽てときゃ言う事聞く」
「それまでに飼い慣らしとけ」そう、俺だけに聞こえるくらいの声量で囁いてくる栫井。
――飼い慣らす。
その言葉に目を見張れば、真っ直ぐにこちらを見てくる栫井と視線がぶつかった。
「出来るだろ、お前なら」
そう一言。今度は、先程よりもハッキリと耳に届いた。
喜ぶところではないと分かっていたが、それでもあの栫井に信用されている――そう理解した時、胸の奥で何かが弾けた。そんな気がした。
「……気を、つけて」
そうだ。今俺に、俺にしか出来ないことがあるのならそれをやるしかない。
「平佑、何かあったらすぐ連絡しろよ」
「……はい。その時はまた」
その後、栫井から声を掛けてくることはなかった。けれど、栫井が部屋から出ていったその後も先程の栫井の言葉がずっと頭の中で反響していた。
『出来るだろ、お前なら』
栫井のように冷静沈着でもないし頭の回転も早くない。それに、八木のようなタイプの人間、面と面向かうことだけでも緊張で震えそうになる。
それでも、栫井が出来ると言ってくれているのならやるしかない。期待に応えるしかない。
閉まる扉。八木と二人きりになった部屋の中、俺は一人決意を固めた。
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