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 シャワーを浴びながら俺はひたすら八木を飼い慣らす方法を考えていた。が、そう簡単には思い浮かばない。  結局何も浮かばないままシャワールームを出て、水浸しのまま体を拭う。それにしても、片付いた部屋だと思う。タオルもふかふかだし。  八木から借りた服は大きくてなんだか気恥ずかしかったが文句は言えない。それに着替え、俺は部屋へと戻る。  扉を開けば、まず目に入ったのは八木だった。  私服から制服に着替えていた八木に驚いてると、「やっと出てきたか」と八木は袖のボタンを留めながら呟いた。 「す、すみません……遅くなって」 「別にいいけど、ちゃんと髪乾かせよ。……ちょっと用事出来たから出てくる。そんなに時間かからねえから」  制服の袖、その左腕の部分に嵌められた風紀委員の腕章を見てなんとなく緊張する。  先程までのラフな私服とは違い、きっちりと着込んだ八木を見てるとまさに風紀委員長の風格があった。 「あの、用事って……」 「風紀の招集掛かったんだよ」 「お前の元カレの仕業だろ、どうせ」と含み笑いを浮かべる八木に、俺は何も言えなくなる。 「とにかく、部屋から出るなよ。腹減っても我慢しろ、水だけ飲め。帰る時ついでになんか買ってきてやるから」 「は、はいっ」 「あと、勝手に部屋漁んなよ」 「……はい……」  やっぱり警戒されてるのだろう、無理もない。  そして、そのまま部屋から出ていく八木を見送る。  扉が閉まり、ロックがかかる。これで俺はこの扉から出ることは出来なくなってしまった。 「……」  八木の足音が遠くなる。それが聞こえなくなったのを確認し、俺は部屋の中を見渡した。  漁るなということは何かあるのだろう、やはり。  本当はこんなことしたくないが、情報が少しでも欲しい今背に腹は代えられない。  心の中で八木に何度も謝りながら、俺は八木の部屋を漁る。もちろん、なるべく痕跡は残さないようにだ。  サイドボードにクローゼット、デスク周り。  八木の部屋は整頓されており、無駄なものがないため探すのが楽だった。  そしてベッド周りを調べ終え、隣の棚に手を伸ばす。そして見つけた。引き出しの中、宛名の書かれていない分厚い封筒を手にしたまま俺は息を飲んだ。  恐る恐るその中を覗けば、そこには無数の写真が束になって入っていた。  それは学生寮や校舎の監視カメラの映像を現像したもののようだった。引き伸ばした画像は荒いが、全ての写真にとある共通点を見つける。 「これは……」  ――もしかして、当たりかもしれない。  その写真には全て芳川会長らしき姿が映っていた。  そして写真を一枚一枚確認していると、その中からひらりと一枚の紙が落ちる。  なんだろうかと咄嗟に拾い上げた俺はそのまま固まった。  そのメモ用紙には、時刻とともに会長の行動が記入されていた。  日付はいくつかあり、その中には学園祭のものもあった。そして、栫井が芳川会長に殴られたあの日のものも。  八木も探っていたようだ。この様子だと他にも何か会長に関連するものがありそうだ。  一旦写真とメモを封筒に戻し、更にその引き出しを探す。  すると、一冊のファイルが出てきた。その中には数枚の用紙が入っていた。  ここまで来て引き下がることはできない。手に滲む汗を拭い、俺は恐る恐るその用紙を取り出した。  それはとある人物のことについての調査報告書のようだった。  見慣れない名前に、もしかして俺には関係ないものだったかな、と思って仕舞おうとしたときだ。 「これ……」  調査報告書の下部、そこに纏められた経歴一覧に目を向けた俺は息を呑んだ。  その調査報告書は、伊東知憲という人物について纏められていたものだった。  その経歴には、七歳で両親が他界。その後親戚に引き取られ苗字が変わっているという旨が記されていた。  そこまではまだ何も思わなかった。けれど、戸籍が移動したあとの文字を見て言葉を失った。 『栫井知憲』  どこにでもいる、とは言い難いその字面には強い既視感があった。そして読み進めていけばいくほど『他人』であったはずの伊東知憲なる人物の姿が段々鮮明になっていく。  栫井の苗字であった時期もそう長くはなく、何度も苗字が変わっている様子からして親戚にたらい回しにされていたようだ。  苗字が変わってから何度も補導されている。暴行や器物損壊、不法侵入とよくニュースで見るような物々しい単語が並んでるのを見て何も言えなくなった。  それも三年前、伊東知憲が『芳川』の苗字に変わってからは問題は起こさなくなっていた。そしてその後すぐ、この学園に転入しているようだ。  全部、俺の気のせいだと思いたかった。  あの人とは関係ないと思いたかった。  けれど、最後の書類、数年前のものと思わしき伊東知憲の顔写真を見た瞬間確信する。  硬そうな黒い髪、硬い表情、こちらを睨みつけるような鋭い目も冷たい眼差しも全部――俺の知ってる芳川会長だった。  眼鏡はしていないものの、顔貌、人相は変わらない。 『君は、俺を軽蔑しないのか?』  そう問いかけてきたときの芳川会長の顔が浮かぶ。  どうしても、この書類の人物を会長とは思いたくなかった。  念の為もう一度俺は書類に目を通し直す。けれど内容が変わるはずがなかった。  全ての書類に目を通し終え、俺は全身から力が抜けるような感覚に陥る。  伊東は芳川知憲の旧姓で間違いない。  憧れていた人が、信じていた人が、俺の最も苦手とする人間だった。  ショックを受ける反面、腑に落ちる自分もいた。俺にだけ優しい会長のことしか知らなければ『他人の空似だ』と思うこともできただろうが、俺は会長の残酷な一面を見てしまった。だからこそ、これが本物だと分かってしまった。  虚脱感に襲われながらも調査報告書をファイルに戻そうとした時、ファイルの奥にもう一枚なにか紙切れが入ってることに気付いた。  取り出したそれは新聞記事をコピーしたもののようだ。  日付は約十年前、その切り抜き部分はとある火災事故について書かれているようだ。  その火災で亡くなったのは『伊東』という苗字の夫婦のようだ。家には他にも七歳の息子とその親戚の六歳の子供がいたようだが、二人は助かってる  ざわつく胸を必死に抑えながら、記事の続きに目を走らせる。  父親が家に残された親戚の子供を助けに戻ったお陰でその子供は助かったようだが、父親は倒れてきた家具に巻き込まれ死亡。母親は煙を吸っていたようで早い段階で死んでいたようだ。  気分が落ち込むようなニュース記事だが、俺が気になっていたのは助かった二人の子供のことだった。  苗字からして亡くなったのは会長のご両親だとすれば必然的に七歳の息子が会長になる。  ならば、六歳の親戚の子供は。 「っ、ま、さか……」  ぞくり、と背筋に冷たいものが走る。  栫井が頑なに芳川会長を庇おうとする理由が見えてきた気がして、同時に、パンドラの箱を除いてしまったかのように急激に自分の中の何かが萎んでいくのが分かった。 「……」  同情しては駄目だ。そう分かっているのに、目の前に炎の中燃えていく両親の姿を眺めている幼い会長が脳裏に浮かんでは、息が苦しくなっていく。  本当に、会長を陥れていいのか。迷わないと決意したばかりだというのに、本当に俺はどうしようもない。志摩の言う通り甘いのかもしれない。  震える指先で新聞の切り抜きをファイルに戻す。  そして引き出しを閉め、俺はポケットに仕舞っていた携帯端末を取り出した。  気が付いたら、俺は志摩に電話を掛けていた。 「……志摩?」  志摩はすぐに電話に出てくれる。 『齋藤、大丈夫?』 「うん……さっき八木先輩、出ていったんだ。なんか招集掛ったって」 『ああ、それならさっき校内放送も掛かってたね。……なら、暫くは大丈夫そうだね』  先程よりもいくらか落ち着いたようで、普段と変わりない余裕な志摩の声に波立っていた心が落ち着くのが分かった。 「志摩達は? ……そっちは大丈夫?」 『俺は今自分の部屋だから大丈夫だよ』 「栫井は?」 『ああ、あいつ? そういや見てないな。どうせその辺フラフラしてんじゃないの?』 「一緒にいないの?」  あまりにもなんでもない風に言う志摩にうっかり聞き逃してしまいそうになり、声が裏返る。 「どうして呼び止めてくれなかったの、今栫井を一人にするのは……」 『大丈夫大丈夫、そう遠くへはいけないだろうし』 「ひ……人質を自由に歩かせるなって言ったの志摩じゃないか……」 『あいつは齋藤の人質なんでしょ? 俺は手を出すなって言われたからね』 「そんな……」  どうやらあの時の俺の言葉を根に持っているようだ。もし栫井が会長と遭遇したらと考えただけでも生きた心地がしないのに。 『あいつを捕まえておきたいなら今直ぐその部屋出て来なよ』  あまつさえ、開き直った志摩はそんな俺を逆手に取ってくる。本気なのだろう。  確かに栫井のことは気になったが、俺にはまだここでやるべきことがある。 「……っ、分かったよ。けどなるべく目を離さないようにしてて。手も出さないで」  栫井も会長に探されていることは知っているはずだ。  それにこの状況で下手に動くことは出来ないだろうし、無茶はしない……と思うしかない。 『あーあーやだね、齋藤可愛くない』 「志摩」 『それで? まさかアイツのことが気になっただけで俺に連絡くれたわけじゃないよね?』  妙にトゲのある言い方だが、志摩の言葉にはっとした俺は「うん」と頷き返した。  志摩には伝えなければならないだろう、今見た調査報告書のことを。 「……志摩に話したいことがあるんだ」  脳裏に蘇る新聞記事、無数の監視カメラの写真。そして伊東知憲についての調査データ。  油断をすれば、頭がこんがらがってしまう。俺達の知らないところで、確かに物事は動いていた。 『いいよ、話して』  相変わらずの軽薄な志摩の声が、今は俺の気持ちを落ち着かせてくれるのだから不思議だ。  俺は小さく息を吐き、そして、今見たものを一つ一つ頭で整理しながら志摩に伝えることにした。 

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