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志摩は黙って俺の話を聞いてくれた。
だからだろうか、余計なことを考えずに目にした事実だけを述べることができたのは。
「もしかしたら、それで栫井は会長に強く出られないんじゃないかなって……」
『……ふーん』
「ふーんって……それだけ?」
あまりにも簡素、というよりも露骨な無関心に思わず聞き直す。
『だってどうでもいいんだもん、あの二人のことなんて興味ないしね』
「……」
志摩に話した俺が馬鹿だったのかもしれない。
まさに他人ごとと言わんばかりの言い草にぐうの音も出ない。真面目に悩んでるこちらが馬鹿みたいになってくる。
言葉に詰まってると、『それよりも』と志摩は強引に話題を変えてきた。
『八木がそれを持ってるってことは阿賀松に渡すつもりなんだろうね』
「……だろうね」
『齋藤、どうする?』
「どうするって?」
『盜まないの?』
「えっ?!」
あまりにも唐突な志摩の言葉に、声が裏返ってしまう。人のものを盗むなんて選択肢俺の中にはなかったのだから仕方ない。
けれど、志摩はそうではないようだ。
『阿賀松に使わせても芳川にとっては痛手だろうね、イメージ悪くなるんだから。でも、それを阿賀松にくれてやる必要もなくない?』
「志摩、何言ってるの?」
『利用するんだよ、それを』
なんでもないようにそう一言。通話の向こう側で志摩が笑う気配がした。
『例えばそうだね、大々的に広めてやるのは最終手段にしよう。けれど、その前科も全部洗い出してそれを使って芳川本人に揺さぶり掛けてもいいんじゃない? もちろん、匿名でもありだね』
「匿名って、意味あるの? 脅迫にならないんじゃ……」
『この状況でそんな姑息な真似をするような人間、そういないでしょ。だったら芳川は誰が犯人だと思う?』
「……阿賀松?」
『そうだね。そしたら勝手に潰し合ってくれて万々歳ってわけ』
志摩の言いたいことは分かった。けれどあまりにも非道ではないか。人の暗部を利用するなんて。
でも、志摩の言う通り会長の弱みになることには違いないはずだ。
『でも、その場合芳川が阿賀松を潰すように仕向けないと後が面倒なんだよね』
確かに。それに、阿賀松が会長の対策を練っている場合も困る。
この作戦を実行するならば、会長が動き出す前になんとか阿賀松を無防備状態にしておかなければならない。
「とにかく、阿賀松にあの調査報告書を渡さないようにしたらいいんだね」
『そうだね、それがいい』
志摩が珍しく素直に同意してくれただけで嬉しくなるのはどうなのだろうか。ここ最近呆れられて皮肉られる日々が続いていただけに、少しだけ認めてもらえたと場違いながらも感動しそうになる自分に苦笑する。
『けど、盗むのはまだ早いよ。八木が全て材料揃えて阿賀松にそれを渡すその時に盗んだ方がいい。今は少しでも多くの材料が欲しいからね』
「……分かった」
ならば俺は八木の動きを監視したらいいのか。
そう頭の中でこれからのことを考えている時だ。
『それと、齋藤。もう一つ吉報だよ』
「吉報?」
『芳川が体調不良で数日休むって』
「……っ!」
体調不良という言葉に、どくんと大きく心臓が跳ね上がった。
掌に注射器の硬質な感触が蘇り、口の中が一気に渇いていく。
『何をしたのか知らないけど、やるね齋藤』
「……そんなこと」
褒められるようなこと、してはない。
あの時の会長とのやり取りを思い出す度に心臓が締め付けられるように痛む。
『ま、一応は伝えておくね。引き続き俺は壱畝遥香の方調べてみるよ。また電話してね』
「……うん、ありがとう」
そして俺は志摩との通話を終え、端末を仕舞った。
志摩と話すことによって大分気持ちは落ち着いていた。
手探りだったところに、ようやく指標となるべきものを見つけたようなそんな感覚だ。しかし、ここで油断しては駄目だ。
余計なことを考えて八木に怪しまれないようにしなければ。
ここから先は、慎重になる必要がある。
志摩との通話を終えて暫く、買い物袋をぶら下げた八木が戻ってくる。
「おい、飯買ってきたぞ」
「あ……ありがとうございます」
「何が好きなのか知らねえから、取り敢えず人気の弁当買ってきた」
「すみません、わざわざ」
リビングルーム、テーブルの上にがさりと置かれる袋の中から取り出される弁当たちはどれも美味しそうなものだった。
それをじっと見てると、不意に八木がこちらを見下ろしてることに気付いた。恐る恐る顔を上げれば、八木は眉間に皺を寄せたまま口を開いた。
「好き嫌いはあんのか」
「あ、いえ、特には……」
「……そうか」
「あの、先輩は……」
「あ?」
「あ、す、すみません。その……食べないのかと……」
「俺はいらねえよ。腹減ってねえし」
「そ、そうですか……」
「……」
「……」
相変わらず会話は続かない。
全身で感じる八木の圧に潰されそうになりながらも、俺は沈黙を誤魔化すかのように弁当に手を付けることにした。
黙々と食べ始める俺を見て安心したのか、ようやくこちらから意識を逸らした八木。そのまま制服を着替えようとしたのか、クローゼットの方へと歩いていった八木は不意にこちらを振り返る。
「おい」
「……っ! は、はい」
「お前、何か触ったか?」
向けられた鋭い視線に一瞬、確かに心臓が跳ね上がった。
まさかバレたのか、と思ったが、そんなはずがない。俺は落としそうになった具材を掴み直し、そのまま首を横に振った。
八木は「そうかよ」とだけ呟き、そのまま着ていた上着を脱ぎ始める。俺は慌てて顔を逸らし、再び食事に集中することにした。
どうやらただのカマかけだったようだ。心臓に悪い。
それから制服から私服へと着替え、整えた髪を崩した八木が戻ってきた。隣にどかりと腰をかける八木に、俺の方まで振動が伝わってくる。
じっと八木はこちらを見てくる。なんだろうか。疑われてる、のか?
分からないが見られながらでは流石に味がしない。俺はとにかくこの空気をどうにかしようと、恐る恐る八木に目を向けた。
「……あの、どうして招集掛けられたんですか?」
「別に、テメェには関係ねえだろ」
ご尤もな意見だった。
再び話題が途切れてしまい、他になにか話題、せめて外のことが分かるなにかを聞き出せないだろうかと頭を働かせる。
「あの……」
「いいからさっさと食えよ」
「あ、は、はい」
そして再び怒られてしまった。
八木には隙がない。というか無駄話自体しない人なのだろうか。話しかけるなオーラに負け、俺はすごすごと食事に戻る。
そんな矢先のことだった。静まり返った部屋の中、無機質な着信音が響き渡った。
俺の携帯は音は出ないように設定してある。ということは、と隣に目を向ければ、ソファーに深く腰を下ろしていた八木がスマホを持ち出した。そしてそのままその着信に出る。
「俺だ、どうした? ……ああ、その件についてならあいつに伝えておいたはずだぞ。風紀は一切関与してないってな」
言いながら、ソファーから立ち上がった八木はそのままこちらへと背中を向ける。
その会話の内容からして相手は風紀の人間だろうか。なんとかして電話の内容が分からないだろうかと、あくまで食事に集中するフリして耳を澄ませてみるものの。
「ゴチャゴチャうるせえな、知らねーよてめえらがしっかりしてねえからだろっつっとけ!」
突然、荒々しくなる八木の声にビックリして箸を落としそうになる。
そして、苛ついたように舌打ちした八木はそのまま半ば強引に通話を終了させた 。
「……っクソ、どいつもこいつも……」
苛ついたように吐き捨てる八木。
何かあったのだろうかとこっそり盗み見たとき、俺の視線に気付いたようだ。こちらを振り返った八木とばちりと視線がぶつかり合い、冷や汗が滲む。咄嗟に視線を反らしたが、誤魔化しきれなかった。
「……なに見てんだよ」
唸るような低い声。「ご、ごめんなさい」と慌てて視線を反らし、食事へと戻ろうとしたときだ。丁度側にあったグラスに手が当たってしまい、テーブルの上に水が溢れてしまう。最悪だ。
「わ、わわッ……」
「何やってんだお前」
「すみません、今すぐ拭き……」
ます、と言い終わるよりも先に伸びてきた八木の手に手首を掴まれる。驚いて顔を上げれば、こちらを見下ろしていた八木と再び目が合った。
「いい、余計なことすんじゃねえ」
それだけ吐き捨て、そのまま俺から手を離した八木はキッチンの方へと歩いていく。
余計なことをするなと言われそのまま動けなくなっていると、すぐに布巾を手にした八木が戻ってきた。
「ありがとう、ございます……」
「これ以上無駄な仕事増やされたくねえんだよ」
「せっかくのオフだってのに」と、愚痴っぽく呟きながらもテーブルの水を拭いていく八木。そのまま空になったグラスを戻し、新しく中に水を注いでくれる八木に「すみません」と頭を下げる。
一連の八木の行動に俺は呆気に取られていた。てっきり「てめえで拭け」と布巾を投げ付けられるかもしれないと思っていたのだ。
いや、本当にただ赤の他人である俺に部屋を弄くられたくないだけだという可能性もある。けれど。
……なんて考えていた時だった。突然室内にインターホンが鳴り響く。
「んだよ、次から次へと」
イラついたように短い髪を掻き毟る八木。そのまま玄関へと向かおうとして、思い出したようにこちらを振り返った。
「おい、お前はクローゼットにでも隠れておけ」
「え」
「念の為だ。いいな」
そう、壁に取り付けられた収納扉を指さす。
八木自身が嫌がるのではないかと思ったが、状況が状況だ。「はい」とだけ返し、言われた通り俺はクローゼットの中へ入り込む。
あまり服がないそこには隠れるには丁度いい空間が広がっていた。扉を閉めた八木は、そのまま玄関の方へと向かっていったようだ。
暫くもしない内に玄関の方で扉が開く音が聞こえてきた。真っ暗な中、俺は息を潜める。
『お休みのところ申し訳ございません、委員長』
『どうかしたのか』
『あの、副会長が風紀室にいらしてまして……』
どうやら風紀委員がきていたようだ。
というか、委員長って。
粗暴な態度から全く結び付かないが、そもそもこの学園で阿賀松が風紀委員長をやっていたくらいだ。俺には理解出来ないこともあるということなのだろうが、それよりも会話に出てきた副会長という単語に引っかかる。
『副会長? 元の方か?』
栫井のことだろうか、と耳を扉に押し付けて見れば、『いえ』と風紀委員の声が聞こえた。
ということは、
『五味が? あいつがなんの用だよ』
『それが、その、自分もよく……』
五味が八木を訪ねている――その言葉に胸の奥がざわついた。
もしかして八木の裏切りを勘付かれているというのか。いや、でもまだ会長たちは八木と阿賀松の繋がりを知らないはずだ。
『分かった。……すぐに行く』
『は、はい!』
二人の会話はすぐに終わった。
扉が閉まる音がしたと思えば、そのまま足音がこちらへと近付いてくる。
そして、
「おい、もう出ていいぞ」
クローゼットの扉が開かれた。
つい先程まで真っ暗だったからか、射し込む部屋の明かりがやけに目に染み込んだ。
八木に手を引っ張られ、俺はクローゼットの中から出される。
「あの……どこか行くんですか?」
「聞いてたのかよ」
「す、すみません、聞こえてきたので……」
八木はばつが悪そうに舌打ちをする。
余計なこと言ってしまったかな、と思ったが、「そうだよ」と八木は案外素直に答えてくれた。
「呼ばれたら行くしかねえからな」
八木の性格なら真っ向から逆らいそうだが、そうしないのは阿賀松に言われてるからなのか。
その表情に不服そうな色が見え、つい俺は「あの」と口を開いた。
気をつけて下さい。そう続けようとして、俺はその言葉を飲み込む。
「なんだよ」
「……いえ、なんでもないです」
騙している相手に気を付けてなんて、専らおかしな話だ。
あまり、入れ込まない方がいい。
無意識の内に八木に肩入れしてしまいそうに 自分に喝を入れる。
「寝たくなったら勝手に寝といていいから。ベッドは使うなよ。ソファーなら貸してやる」
「ありがとうございます」
それだけを言って、八木は部屋を出ていった。五味に会うために。
五味は無事だということは志摩から報告もらっていたが、それでもやはりわざわざ俺を逃してくれた五味のことは気になった。
兎にも角にも、今は八木の動向に任せるしかない。取り敢えず今は体を休めよう。それくらいしか俺には出来ないから。
許可ももらったことだし、俺はありがたくソファーを借りて仮眠を取ることにした。
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