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 八木が出ていって暫く。  志摩が言うにはもうすぐこちらへ栫井がやってくるはずだが……。  考えた矢先、携帯が震えた。画面を確認すれば志摩からだった。 「もしも……」 『俺だ。……開けろ』  聞こえてくる覇気のないその声は間違いではない、栫井だ。  とうとうこのときが来てしまったのか。 「……わかった」  すぐに通話を終え、俺は玄関口へと向かう。  そのまま扉を解錠かせた瞬間、勢いよく扉が開いた。慌てて飛び退く暇もなく、伸びてきた白い手はそのまま俺の胸倉を掴む。 「か、こい」 「……どこだ」 「“あれ”はどこにあるんだよ」顔を上げれば、直ぐ側まで迫る栫井の鼻先。ただでさえ白いその顔はより一層熱が抜け落ちているようだ。  ……無理もない。  俺は調査報告書に挟まっていた栫井と会長の新聞記事のことを思い出した。  今から俺達がしようとするのは、栫井が隠したがっていたものを暴き、踏み躙るような真似だ。  そう考えた瞬間、意識が揺らぐ。 「……っ」  ……やっぱりダメだ、俺には出来ない。  胸倉を掴むその手が微かに震えていることを気付かぬフリをするなんて、俺にはできなかった。 「そのことなんだけど……ごめん、さっき確認したらもうなくなってた……もしかしたら、先輩が持ち出してるのかもしれない」  そこまで言ったとき、栫井の目の色が変わる。  胸ぐらを掴むその手に力が籠もり、締まる首元に堪らず噎せた。 「八木さんは」 「風紀、室……ッ」  嘘だ。無論行き場は知らないが、施錠してなかったところを考えるとすぐ戻って来るつもりだったのだろう。だから敢えて俺は遠いその場所を口にした。  咄嗟にそう応えれば、小さく舌打ちをした栫井はそのまま俺の体から手を離した。  そのまま投げ出された俺は尻餅をつく。 「っ、ケホ……っ、栫井……」  顔をあげれば、何も言わずに部屋から出ていく栫井の後ろ姿が見えた。  これでよかったんだ。まだ全ては終わっていないが、それでも、少しでも栫井に休まる時間が出来たのならそれでいい。  なんて、志摩に言ったら殴られても仕方ないだろうが。  生徒会の仕業にするというのならば、仮にも会長と手を組んで阿賀松を嵌めたという実績がある俺でも出来るはずだ。どっちつかずの裏切り者の俺でも。  志摩に言ったことは嘘ではない。八木のことも裏切ることになるのは手痛いが、遅かれ早かれ破綻することだ。全て言い訳に過ぎないが。  立ち上がった俺は部屋の奥へと歩きだす。そして棚の奥、引き出しの中に仕舞われたままになっていた封筒を取り出した。たかが紙だというのに、その封筒は酷く重く感じた。 「……すみません、先輩」  うっかり落とさないよう、適当な紙袋にその封筒ごと詰め込んだ俺はそのまま八木の部屋を飛び出した。  学生寮の廊下を、自分の姿がしっかりとカメラに残るように小走りで。   今は一分一秒でも惜しくて、三年のフロアを移動しながらも俺は携帯を取り出した。  そして志摩に電話をかければ、志摩はすぐに出た。 「志摩?」 『栫井、そっち行ったでしょ?』  嬉しそうな声。  恐らく四方から疑いを掛けられる栫井を想像して楽しんでいるのだろう。 「うん、来たよ」とだけ答えれば志摩が笑う気配がした。それも束の間。 『そ、ならよかった。じゃあ後はこっちに……』 「封筒は俺が持ってる」 『……は?』 「これから会長に会いに行く。阿賀松の味方のフリして、話に行ってくるよ」  志摩と話すときは相手に主導権を握られてはならない。  そう思ってしまっているからか、それとも歩きながらだからか、自然と早口になってしまう。 『……ちょっと、ちょっと待って。話が見えないんだけど』 「やっぱり、栫井にばかり任せられないから俺が代わるって言ってるんだよ。作戦は志摩の言った通りにする」 『齋藤、本気で言ってるの?』 「……」  呆れたような志摩の声。  もしかしたら志摩に怒鳴られるかもしれない。罵詈雑言、或いはネチネチチクチクと言われるだろう。  それくらいは覚悟していたのだが、返って来た言葉は俺が想像していたものとは違うものだった。  狼狽えたような、諦めたような志摩の声。 『……わかった、取り敢えず合流しよう。すぐにそっちに行くから』 「悪いけど、それは出来ない。……志摩には他のことをお願いしたんだ」 『お願い? なに?』 「栫井が風紀室に向かってるはずだから、適当なこと言って止めておいてほしいんだ」 『齋藤』と、電話の向こうで志摩が息を飲む。  志摩がこんな風に狼狽えてるのは珍しい。そして、思いの外冷静でいられる自分もだ。 「ごめんね。でも阿賀松たちが動いて、俺が二人を裏切ってるって知られる前に会長に会っておきたいんだ」  栫井の代役になるには、やはり相応の効果を与えなければならない。  俺自身の立場でも利用できることといえばやはり、阿賀松と繋がっていたという事実だ。そのことを利用すれば、この調書の信憑性も少しは上がるはずだ。  ――そうすれば、芳川会長への揺さぶりも。 『……本当、信じられない』 「ごめん」  大きな溜息に耳が痛い。  けれど今が絶好のチャンスなのだ。いや、最後の好機と言っても過言ではないかもしれない。  エレベーター乗り場傍のラウンジまでやってきたとき、ふと足音が聞こえてくる。 「とにかく、栫井のことよろしく。……また後で」 『っ、齋藤ッ! さいと……』  一方的に通話を終わらせ、俺はスマホを仕舞った。そのまま物陰に隠れれば、どうやら一般生徒のようだ。こちらに気が付かないまま通り過ぎていく人影に小さく息を吐く。  そして、もう片方のポケットの中に忍ばせた硬質な感触を確認した。  ――八木の机から拝借した、スリムタイプのカッターナイフ。 「……」  こんなものを持ち歩かなければならないなんて思わなかった。  出来ることならこのままこれを取り出すことないよう済めばいいと思っている。  今手段を選ぶ暇はない。やるしかない。チャンスは一度切りなのだから。  ――志摩に顔向け出来ないようなことだけはならないようにしなければ。  俺は目的地――芳川会長の部屋へと向かって再び足を進めた。

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